ピピピピピの爽やかな日記帳

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親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

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30歳、会社員を辞めたゆえ報告!父親という仮想通貨に投資して生きてゆく

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会社員を辞めた理由&父親という仮想通貨の要点まとめ

・今働いている経営コンサル会社を辞める
 約10年前に父親が起業し、3年前に正社員として雇い入れられた。
 僕は、事務作業やセミナーの設営準備、犬の散歩などをしてきた。

 

・3年間働いた末、「働きたくないし、働く必要がない」という賢明な判断を下した
 専用ソフトウェア導入により、作業時間の短縮・効率化が図られたゆえ、会社への負担が大幅に減った。
 そして元より、僕は単調的・創造的作業のみならず「やるべきことをこなす」というプレッシャーが苦手であるから、働くこと全般を諦めた。
 これからは「責任」の埒外から、父親の負担を軽くすべく作業する。

 

・定額給与10万円コース
 毎月の労働時間が0でも、10万円だけ支給され続ける。
 家賃、光熱費、スマホ代、ネット代は、会社で支払ってくれる。
 お手伝いをした場合、閑散期・繁忙期の区別なく、インセンティブ(数万円~)を与えられる。
 先にも記述したとおり、今後は「所属」という概念の枠外でサポートする。

 

・資産状況
 マイナス40万円(リボ払い借金20万円・BTOパソコンローン20万円)
 将来、フルリフォームした一軒家を受け継ぐ
 社内預金(300万円程度・毎月増加)
 ダックスフント(亡くなった場合、新規調達可)

 

・父親という仮想通貨に投資して、好きなことで生きてゆく
 人間には向き不向きがあり、僕は労働が性に合わない。
 従って、「高度な専門的ビジネススキル」を持った父親に動いてもらうほうが得策。
 そこで、父親を仮想通貨に見立て、様々な意味合いでの投資を行う。
 具体的な例を出すならば、「健康」「寿命」「幸福」という3点のレベル向上を図るため、栄養度の高い料理の提供、健康情報の家庭内メルマガ発行、ラポール形成と維持を前提に置いた父子間コミュニケーションの増強、などを半永久定期に実行する。
 これはつまり、日本人が熱狂する仮想通貨のように冷たいマネーゲームではなく、家族愛を中心に据えた温かいヒューマンゲームなのだ。
 それゆえ僕は、ビットコインやイーサリアムではなく、父親という仮想通貨に投資する。

 これらは、真剣に頭を悩まして考えた、僕の断固たる決意だ。

 ラ・ロシュフコーが箴言集の中で、『運命によってわれわれに起きるすべてのことに、われわれの気質が値段をつける』と語っているが、僕は傲慢な無職になると心を決めたゆえ、堕落した己自身の全生涯に、勝手気まま100億ドルの値を堂々と付けるから、何一つ怖いことなどありはしない。

ピピピピピの爽やかな「☆顔出しお喋り動画☆」


30歳、会社員を辞めたゆえ報告!父親という仮想通貨に投資して生きてゆく

“遊ぶ寝る食べる”にしか時間を使いたくない

 1時間で6000文字書くという超速筆の小説家・森博嗣が、『基本的な人間の権利(人権)は、なにかの義務と交換するものではない』と主張するように、親のすねをかじる無職も立派な人間だ。
 女子高生や東大教授となんら変わりない、尊き人類の一員なのである。

 この僕自身、2018年から晴れて無職の民になる訳だが、決して後ろめたい気持ちはない。
 むしろ清々しく、陽光と交わる雨上がりの雪だるまのごとく、心に光が帯びている。

父親という仮想通貨で億り人になるため、まずは健康ガチ勢になる

 腹が減っては戦は出来ぬし、健全な精神は万全な肉体に宿るし、つまるところ最高の未来は最善の心身あってこそだ。
 廃業農家で横たわるみじめな養豚にならぬよう、ハッピーマテリアルな食料品に投資する癖付けをしたい所存。
 かくのごとく、爆益を呼び込める小綺麗なブタさんになるべく、健康ガチ勢、栄養ガチホ勢としていざ出陣する。

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 こちらはつい先日、デパ地下の健康スーパーでざっとまとめ買いしてきた。
 なるだけ、必要過多な糖分が排除されていて、食品添加物や邪悪な油分の含まれていない商品を選択したつもりだ。

 大体これで7000円弱である。

 すぐに咀嚼し飲み込むものに多額の現金を投じるのは、心苦しくもあるのだが、飲み会を2度、どんな闇の手法を用いてでも奢ってもらうことにすれば、なんなくペイ出来る数字だ。
 また、僕の顔面劣化ゆえか、悪意に満ちた人間性ゆえかは不明だが、まったく女っ気のない日々になってしまったため、浮いたデート代を健康投資として注ぎ込めるから、涙がちょちょぎれるほど幸せこの上ない。

 彼女がいなくっても、大好きなミニトマトやふじリンゴの真っ赤なほほえみ、十勝彩美牛の丸みある柔らかさ、豆乳グルトの雪原レトリック的な表現力、玄米胚芽納豆の落ち着きっぷり、飲むミドリムシの自己主張力、これらを舌先で味わい、喉元で捕まえ、胃でもってその力強さ、優しさ、愛おしさを消化吸収させてもらえるだけで、この銀河系ひいては地球惑星に、心より感謝申し上げたくなるので、お悔やみの言葉など毛頭必要とせぬのである。

犯罪者のおじいちゃんが憧れであった

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 僕は北海道の辺境地帯、深い森に囲まれた村――世にいうところの限界集落じみた場所で生まれた。
 そのような地域にて、おじいちゃんは数々の悪行に手を染めながら、“人間の幸福とはなんたるか”をその身でもって教えてくれた。

 とある日、見知らぬ倉庫に連れて行かれ、「大きいおうちだねー」と幼少期の僕が反応するや否や、窓ガラスを肘で割るおじいちゃんの姿が目に留まった。
 なぜだか、ガシャーンっという高音の響きなどなくて、一体全体どうしたことだ……と幼いながらも疑問を巡らしていると、その理由が解明された。
 窓ガラスを打ち砕く前にガムテープを張り巡らせ、木っ端みじんの不協和音が出ないようにしていたのだ。

 あまりの驚きに目玉がごろごろと転がって、到着した先は翌日の水辺。
 僕の眼前で、青々とした龍が空を突き破らんばかりに、悠々と飛翔していた。
 厳密にいえば、水面が砕けるがごとく、激烈な勢いを持って大量の水分と魚類が吹き上がったのである。

 投げたのだ。火を付けたのだ。おじいちゃんがダイナマイトをぶち込んだ!
 先日の不法侵入の成果、ここに極まれり。

 そう、そうである、違法至極の盗難式ダイナマイト漁を敢行するに至ったのだ。

 ひゅるりひゅるりと、狩りの喜びを口笛へと昇華したおじいちゃんは、その帰り、非合法ルートから入手したトラックを運転し、中途、古くさいパチンコ店に停めてあった乗用車からナンバープレートをべっきべきに引っ剥がし、あたかも最初からワタクシの所有品ですが? という面構えにタバコを一本差し込んだ風情を決め込み、颯爽と帰路につくのであった。

 そんな風に悪事を働いてばかりだったおじいちゃんは、少し前、農業用倉庫の中で、安らかに絶命していた。
 上向きになった腐乱死体は、世間に誇れるような代物ではなかったかもしれない。
 でも最後の瞬間、犬や猫がおじいちゃんを取り囲み、いつまでもいつまでも瞳の開きを待ち望んでいた。
 そこには幸せの集大成があったのだ――

 僕はダークヒーローのおじいちゃんになりたかった。
 なのに気付けば、会社でこぢんまりと座ってポチポチと数字を打ち込むだけの、乾ききった社畜くずれと化していた。
 そうして、資本主義の犬畜生に成り下がった僕は、憂さ晴らしをしたいがためにトレンド記事をまき散らしたり、テレアポ会社を転々として小銭稼ぎをしたり、通り魔ナンパをめくら滅法に行ったりと、貧弱で浅薄で下劣なるつまらない大人の一人になった……。

 なにがどうして、なにがどうなって、こんな理想の対極で腐りゆく羽目になってしまったんだ。
 こんなことなら、僕もろともダイナマイトで粉砕撃破してくれば良かったのに。
 なんでだよ、なんであの日の爆破は、僕に致命傷を与えなかったんだ。
 ただの穀潰しが、薄汚れが、人崩れが、寄生虫が、蛆虫が、屑が、意味もなく呼吸して、まばたきして、座って立って、眠って起きて、泣いて笑って悲しんで喜んで、そんな穢れた繰り返しを生きて、どうするんだよ。

 ――そんな風に思ったこともあるけれど、「人生……、開き狂って、気が狂って、踊り狂った者勝ちなんだ」って、僕の肥大化し続けていた憂鬱を、おじいちゃんが、肘打ちでバリィーンっと割って、その上、ダイナマイトで破裂させてくれた。

 おじいちゃん、おじいちゃん、僕の大好きだったおじいちゃんが、「人生を楽しむためには、どんな手段でも使ってのける」というあの執念を、天上世界から伝達伝送しようとしてくれているんだ。

 団鬼六も語っていたよな。

「一期は夢よ、ただ狂え」って。

 人生、気が触れてからが始まりだ。

ただ遊べ 帰らぬ道は誰も同じ-団鬼六語録 (祥伝社新書148)

ただ遊べ 帰らぬ道は誰も同じ-団鬼六語録 (祥伝社新書148)

 

親に依存して、好きなことで生きていく

 それでは最後に、来年の抱負――否、この先、一生涯における理念を掲げておきます。

『心から楽しいこと、好きなことしかしない』

 極論、はてなブログやYouTube経由で女の子と知り合って遊んだとして、その子が退屈なブスだったら5分で家に帰ろうと思います。
 僕は、退屈な美女は好きです、愉快なブスも好きです。けれど退屈なブスは大嫌いなのでございます。

 こうした好き嫌いの強化、やりたいこと以外は一切やらないという、ワガママ頑固一徹として生き延びるつもりです。
 なので、はてなブログにおいても、自分が心の底から書きたいと思う記事しか、今後は投稿しない方針にします。

 以前は、訳も分からず追い立てられるようにトレンド記事を粗製濫造して、数字の上昇を追い求める、不健康な青い鳥症候群に陥っていました。
 そんな退屈で惨めな競争から僕は脱することを誓うとともに、飛ぶ鳥を見逃す勢いのKYな穀潰しブロガーとして生存してゆく心積もりです。
 かいつまんで言えば、SEOや広告収入のことは考慮せず、ただ書きたいことを、ただ書きたいという一心で書き上げたときのみ投稿するという、従来のスタイル(はてなブログにやって来た5年前)を蘇生させます。

 という訳ですので、ムカついたら誰かを罵倒し、偉そうに自慢を繰り返して優越感に浸り、他人の揉め事に口を挟んで状況を悪化させたり、と言いたいこと、やりたいことを存分に楽しみます。
 そんな邪心を研ぎ澄まして、マウンティング活動を心ゆくまでやり続けるのが大切だなー、と考えています。

 自己中心主義に立ち返るピピピピピを、来年もどうか皆様、宜しくお願い致します。

良いお年を!良いお年を!良いお年を!

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雑記・社会が保護すべき『労働障害者』について

 僕は精神科医をただの妄想家と見做しているため、彼らの業務など知ったこっちゃないのだが、うつ病や双極性障害、社会不安障害と並列で、『労働障害』という病名も流行らせてくれないものかと思わずにはいられない。

 自己診断をした結果、僕も『労働障害』を煩っていることが判明した。
 何もこれは、皮肉をまき散らす意図で書いているのではない。

 僕は18歳で社会に出てからというものの、100社以上の企業を退社し、履歴書・職務経歴書を軽く500枚以上書いて来た。
 でも、踏み込んだ右足にガムが付着するように、出鼻をくじかれることばかりだった。
 毎朝毎晩、スタンドミラーの前に立って、

「今回こそは今回こそは今回こそは……辞めない辞めない辞めない……駄目だ駄目だ駄目だ……負けるな負けるな負けるな……耐えろ耐えろ耐えろ……働け働け働け……負け犬負け犬負け犬……強くあれ強くあれ強くあれ……稼げ稼げ稼げ……出世出世出世、名声名声名声、地位地位地位」

 などと、鏡面の自分に自己暗示を掛け続けても、労働を継続することが出来なかった。
 どうにかこうにか就業までこぎ着けても、『労働うつ』のような症状が起きて、「あぁ……えぇ、あ、う、ぅ、ああ、あぁ、はい……」など吃音だらけのコミュ障となり、1時間に5回くらいトイレに行きたくなり、続けようがない状態に追い込まれた。
 そしてばっくれる訳だが、途端に羽ばたくモンシロチョウのように、心が真っ白に洗われて、「あー幸せ、人生幸せ、ありがとう!」と、森羅万象への感謝がみなぎってくるなんてことの連続であった。

 これすなわち、労働障害。そう命名せず何と呼ぶ。
 労働障害者年金を支給せよ!

雑記2・読んだ本

ラ・ロシュフコー箴言集

慎ましさとは、妬みや軽蔑の的になることへの恐れである。幸福に酔いしれれば必ずそういう目にあうからだ。

 他者から罵倒され、軽蔑され、藁人形に釘を打ち込まれたとしても、慎ましさをかなぐり捨てて自分に正直に生きた方が、人生の総合満足度は大きくなるだろう。
 そんなことを考えさせてくれる、一文であった。

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫)

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫)

 

暇と退屈の倫理学

 労働者の暇が搾取されている。高度情報社会という言葉が死語となるほどに情報化が進み、インターネットが普及した現在、この暇の搾取は資本主義を牽引する大きな力である。
 なぜ暇は搾取されるのだろうか? それは人が退屈することを嫌うからである。

 暇は幸せの源であるけれど、手に入れた暇の運用方法を誤ると、それは途端に「退屈」へと変化してしまい、所有者の心をじわじわと蝕むような危険概念でもあるなー、と思えた一冊。
 それゆえ、「ただ遊ぶ」「ただ楽しい」という感情を育て上げることに成功した者は、たとえ地位も名声も金銭もなかろうと、世界の覇者なのだ。
 資本主義にヒビの入り始めた昨今では、尚更そうなるであろう。
 暇の中でなにかしらに没入するという行為、それこそが人類究極の幸福なのではないか、というひとまずの結論を得た。

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

 

【2度目の逮捕】はじめしゃちょーがストーカー被害!前科あり女性を現行犯で取り押さえ!【YouTuber】

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はじめしゃちょーのストーカー女性(前科あり)、現行犯逮捕!

 クリスマスの深夜、国宝級のYouTuber・はじめしゃちょーが、ストーカー被害の終わりをツイッターで報告なされた。

逮捕されたのは千葉県の派遣社員、29歳の女性、前科あり

 過去――2017年2月に、東海オンエアのボス・てつやに対してのストーキングで、逮捕歴のある人物だ。

 同年11月に「つきまといの禁止命令」を警察から直接受けていたのだが、なんら反省の姿勢を見せず、一方的で暴力的な愛情を注ぎ続けた結果、あえなく御用となった。

 彼女の執念は筋金入りであり、自分自身のことを『ストーカー系YouTuber(マネしないでね)』と名乗り上げているほどだ。

 今回も、「Xmasに約束した」という妄想・妄言をまきちらしていた。

 ツイッターのアカウント名で、『はじめしゃちょーに乗り換え中 元・春からてつやと同棲!!』と語っているのだが、てつやに乗れた実績などないのにも関わらず、「乗り換え」という言語表現をしている

恐るべき観察眼でもって、自宅を特定して押しかける

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 本件で逮捕された女性は、YouTubeに投稿された動画を見て住所を割り出し、執拗にストーカー行為を行った。

 こうした住所特定、自宅特定をされるといった個人情報バレは、ニコ生やYouTubeを始めとした業界でずっと以前から盛んに取り上げられている大問題だ。
 もはや自然の摂理といえるくらいに、動画に映り込んだ玄関の作りや窓の形から、どこそこのマンションであるか、が事細かに特定されてゆく。

 名の知れたニコ生配信者となれば、宅配ピザが届いたり、救急車や消防車を呼ばれたり、挙げ句の果てにはチンピラが乗り込んで来るほどだ。
 つい最近でも、今回の被害者であるはじめしゃちょー宅へ、約400kgの牛のフンを送りつけた悪質なアンチがいる。

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個人情報の特定をされたり、ストーカー被害に遭わない方法

 こちらに関しては、配信歴が10年近く、幾度もの炎上や特定を経験してきた現YouTuber・みずにゃんの動画が参考になる。

www.youtube.com

 内容をざっくり下記にまとめておく。

■SNSに個人情報を載せない
■固有名詞に気をつける(人名の傾向から地域を割り出される)
■玄関を写さない
■飲食店の料理やメニュー表をアップしない(お店の場所は簡単に特定され、ここから最寄り駅を知られてしまう)

 上記のように、戦略を練り上げ、ゲーム感覚で特定を楽しむツワモノが、世の中には想像以上にたくさんいる。

YouTuberとは、狂信者ほいほいビジネス

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会いに行けるアイドルは、必ずストーカーを呼び込む

 AKBの握手会、地下アイドルのコンサート会場などにおける『ストーカー襲撃事件』は有名であるが、そもそも日本だけでいっても、平成24年以降から、ストーキングに興じてしまう――そういった異常なる者たちは高水準で推移している。
 去年のストーカー相談件数は2万2737件と発表されており、相談者の9割は女性であったのだが、男性は自分の力で対応しがちという傾向を考えれば、さらにこの数値は高まることが予測出来る。

ストーカー - 「普通の人」がなぜ豹変するのか (中公新書ラクレ)

ストーカー - 「普通の人」がなぜ豹変するのか (中公新書ラクレ)

 

 単なる一般人でもストーカーの被害に遭いやすいのだから、常時、多人数に自分を猛アピールするYouTuberが、格好のターゲットにされやすいのは当然の話だ。
 それに加えて彼らは、テレビタレントとは対照的に、『距離感の近さ』『親しみやすさ』を商品にして売っていることが多い。

 はじめしゃちょーにしても、意図的に洗練されていない動画――つまり、手が込みすぎていない、言うなれば温かみのある動画を数多く出している。
 そうすることで、リスナーたちが彼らを友達感覚で捉えはじめる。
 したがって、信者としての教育・囲い込みが容易になる。

 金や人気を運んで来る、『カモ作り』が出来る。
 しかしながら、その近い距離感が気の狂った妄想をリスナーに生じさせてしまうリスクもある。
 これはつまり、『ストーカー作りの工程』ともいえるだろう。

 まとめると、YouTuberとストーカーは切っても切り離せない関係、ということなのだ。

 運命といっても過言ではないだろう。

はじめしゃちょー Photo Book

はじめしゃちょー Photo Book

 
はじめしゃちょーのユーチューバーな日常(1) (KCデラックス)

はじめしゃちょーのユーチューバーな日常(1) (KCデラックス)

 

 

#Me Too『童貞いじり』=いじめっ子が起こす心の殺人事件

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『童貞いじり』をする者は、犯罪者にも等しい

童貞というのは、思春期の男子が持ち合わせる最上のコンプレックス

 つまるところ、究極の急所であり、そこを狙い撃ちにする『童貞いじり』という行為は、黒人を見て「黒くてキモいねw」とか、義足の人を見て「右足がない分、体重軽くて羨ましいねw」とか、死刑囚を見て「あの世行き、おめでとうw」とか、そんな見下しや差別の感情をぶつけているのと大差がない。

『童貞という寄生虫』を飼う男子たちは、とても傷つきやすい

 童貞――それは、人格というか生命そのものにも等しい、重大なるアイデンティティーなのだ。
 その点を執拗にいじられ続けるのは、人生のすべてを否定されるも同一であり、まったくもって自信を形成出来なくなる可能性がある。
 下手すると、男子の一生における幸せを、悪ノリ一発で息絶えさせてしまうかもしれない。

 であるがゆえ、『童貞いじり』は心の殺人事件にも等しい行為なのだ。

『童貞いじり』セクハラが原因で、大学を退学させられた

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 僕は10年以上前、【丘の上の遊郭(仮名)】と2chで噂されていたF欄大学に入学した。
 育ちが悪く、柄も悪く、頭も悪く、人の痛みに鈍感なる、浅はかな男女が集う――極限の底辺空間であった。

 そこで僕は、『童貞いじり』というセクハラ被害に遭い、退学に追い込まれた。
 同期の学生たちから好奇の目を向けられ、あざ笑われ続けたのだ。

 でもきっと、彼ら彼女らの胸中には、明確な悪意などなかった。
 そこに存在したのは、笑い狂いたいという遊び心のみ。

「童貞か、一人で生きてて人生楽しいの?」
「見るからに童貞だもんな、そんなんだから童貞なんだよ」
「童貞……ははは」「うふふふふ」「きゃはははは」「あっははははは」

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 悪意の展覧会が催されていた。

 そして、弱冠18歳だった僕の心は……、鮮やかなほどに砕け散った。

『童貞いじり』をされるようになったキッカケ

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 あの当時、赤面症だったのもあって、女子に挨拶をされるだけで、全身の毛が一本残らず抜けてしまうのではないか、っていうくらい、ぞわっと燃えるように真っ赤っかになった。

 そんな症状があまりにも頻繁に現出するものだから、周囲の学生たちは、僕を格好のネタとして弄んだのだ。

 しかも不幸なことに、思春期ニキビにも悩まされていた。

 そのようなコンプレックスのかたまりであった僕を、奴らは、『妖怪童貞・ボツボツ魚肉マン』というあだ名で呼び始める。

 自宅のパソコンで、【魚類 赤】と検索すると、狼狽中の僕と似た魚が、こちらへ泳いで向かってくるように表示された。
 苦しみのあまりPCを強制終了すると、真っ暗な画面に、死んだ魚のような目をした僕がいた。

 なんて醜悪なツラなんだ……、マジかよマジかよマジかよ……、一回しかない人生なのに……、一回きりの命なのに……、なんで僕だけ……、なぜ僕だけがこんな穢らわしい顔面をひっさげて生きなくちゃならないんだ……、終わりだ終わりだ終わりだ……。

 憂鬱な言葉の群れが遊泳をスタートし、僕は完全なる『視線恐怖症』患者の一人になってしまった。

 僕の汚らしい顔面を見て、どいつもこいつもが腹の内で、せせら笑っているのではないか、という自問自答をやめられなくなった――

『童貞いじり』をされたせいで人格が崩壊した

 次第に僕は……、イジメられることが快感と思えるようになってきた。
 なぜあの頃、より激しい『童貞いじり』を渇望しなかったのかと、後悔が押し寄せてくる。

 これは決してギャグで書き記しているのではない。

 おそらく、生存本能というか心の防衛機制が働いたことにより、無意識かつ強制的に『童貞いじり』対応者へと変化したのである。
 欲を言えば、『童貞いじり』専用車両の導入を検討して欲しいくらいに思っている。

 でも悲しいかな、僕はすでに非童貞へと落ちぶれてしまった。

 腹の底から、『童貞いじり』被害に遭っているリアルタイム童貞たちが羨ましい――などと、この僕自身も『童貞いじり』に興じてしまうくらいには、人格が崩壊してしまった。

 これはある種、虐待は連鎖する、というDV研究の結果を体現しており、まことに興味深い。
 強い者にやられたら弱い者にやり返す、という共存共栄に背くバッドなシステム。
 しかしながら、本来生物というのは、弱肉強食の中でずっと生きてきたゆえ、そうした本能にあらがうことは難しいのかもしれない。

いじり芸は積み重なる過程で、愛が途切れゆく

 僕はなんやかんや批判しつつも、『童貞いじり』をしてしまうような、A級戦犯まがいの男女が心から好きだ。

 つい最近、読み込んだ【週刊文春 編集長の仕事術】の中に、

 やはり人間はおもしろい。愚かだし醜いけど、かわいらしいし美しくもある。立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を遺したが、週刊文春も全く同じ。「週刊文春も人間の業の肯定」なのである。
 スクープを負う場合も、表の顔、裏の顔も含めて人間を愛し、とことん付き合うことから情報がもたらされる。

 という、人間愛に基づいた名文があった。

「週刊文春」編集長の仕事術

「週刊文春」編集長の仕事術

 

 僕が尊敬してやまない島田紳助も、「いじり芸を成り立たせるには愛が必要」などと語っていた。
 とはいえ、深い愛情が土台になっていたとしても、それがイジメ――心の殺人に帰結しやすくはある。
 なぜなれば、いじりは積み重なりやすい性質を持っているため、途中で愛が消失しがちという危険性を内包しているからだ。

 いじりは、基本的に複数人が集まったところで行われる。

 最初の一人目が、愛でこしらえた『童貞いじり』をしたところで、その次、また次といじりを重ねてゆく者たちは、その愛をスムーズにリレー出来るとは限らない。

 そうやって人間は、悪意なく悪事の共同作業を行ってしまう。

『笑いと嘲り ユーモアのダークサイド』という書籍の中で、

人間は自分の笑いについての自己認識を避け、自分の感情を自覚することを抑圧せずにはいられない、自分は最善の者であると信じたいがために、笑うのは客観的におかしい何かがあるからであって、残酷なものや卑猥なものを喜んでいるからではないと主張する

 と書き込まれているように、僕たち人類は、己が披露したネタを徹底的に正当化する。

笑いと嘲り―ユーモアのダークサイド

笑いと嘲り―ユーモアのダークサイド

 

 今現在、そんな心の動きが至るところで見受けられる。

 というのも、『童貞いじり』という概念がちょうど今、世間的に多少、「笑って良いもの」から「笑ってならないもの」へと転換する、過渡期にあるからだ。
 この微妙なる時期に、「自分の童貞いじりは、悪の試みだったのか……反省」と、己の笑いを悔い改められるような、出来た人間はほとんど存在しない。

 上記で挙げた書の中で、精神分析学者のジークムント・フロイトが、「人は自分の笑いを良いものと考えるように動機づけられていて」と語った一節が紹介されていた。

かいつまんで言えば、人間は人間を舐め腐っている

 自己を守るためならば、正義でも悪でも武器として振り回す。

 みんな、みんな自身のことが愛しくてたまらないのだ。
 でも時折、ふと思い出したように誰かのことも心から愛する。

 そんな自分勝手な生物でありながら、文春が書き記したように――愚かだし醜いけど、かわいらしいし美しい、という性質も持っている。

 人間の業に愛を。

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www.pipipipipi5volts.com

30歳になり『人生詰んだ』ことが確定したゆえ報告!社会不適合者の本音まとめ

 灰色の空を見上げたとき、深刻な問題に気付いてしまった。
 まともに働いたことがない、という事実に――

ピピピピピは、晴れてというか、曇りまして30歳になった

 という訳で、30歳になり『人生詰んだ』理由の要点をまとめておく

■まともに働いたことがない

■自活能力があまりにもない

■まったくモテなくなった

■なぜか借金をしてしまう

■親の会社はもって15年

 これらを総まとめにすると、社会不適合者ということになる。

 しかも極め抜いた社会不適合者ではなく、大したネタにもならない種類の『平凡な穀潰し』だから始末におけない。
 たとえば下記のごとく、約17万円――微妙至極で笑いにもならぬ額のリボ払い借金があったりする。

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 本日は、前段に羅列した5つの『詰みポイント』について語らせて頂く。

 現時点における財産や負債を添付しつつ、懇切丁寧に書き上げてゆくつもりだ。
 一度きりの人生、見栄ではなく声を張り上げ、開き直ってことごとくを告白した方が有益で愉快だと思った次第である。

ピピピピピの顔出し動画

www.youtube.com

まともに働いたことがない 自活能力がない

 20代半ばくらいまで、無断遅刻・無断欠勤・無断早退が日常茶飯事であり、下記にあるような『静かなるお怒りメール』が毎週届いた。

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(こちらは2014年に実際に送られてきたものである)

 正社員や派遣社員、アルバイトやパートどころか、職業訓練校すら続けられなかった。

 ただし一度だけ、とあるオラオラ系で有名な営業会社にて、2年ほど社畜ストーリー(朝8時出勤、25時退社)を喜んで受け入れていたことはある。
 なぜなれば、都合良く上司に気に入られたことで、『確度の高い顧客リスト』を秘密裏に入手可能となり、全社員をごぼう抜きにし続けられる、という幸運に巡り会えたからだ。
 その後、100人ほどいたテレアポ部隊の管理も任せられて、平均月給も残業代を含めると100万円ほど頂戴した。

 ところがどっこい新統括の登場により、評価基準や営業体制が一変する。

 KPI、KGI、定量的、定性的など、意味不明で難解で嫌がらせのために生み出されたとしか思えないイビリ用語でシバかれたり、それのみか中小企業診断士が用いるようなデータ分析の研修まで日課になり、大脳が複雑骨折した。
 続けざま、僕のマネージメントスキルのなさ、セールスマンシップのなさ、が浮き彫りとなってゆく。

 次第に辛抱耐えがたくなり、脳髄を抜き取ってぶちまけるように辞表を提出。
 僕はあの日、脳みそを放棄した――

偽装の給料と塗り絵仕事

 今日この頃は、父親がやっている経営コンサル会社に所属してはいるものの、声高らかに『労働』と呼べるようなことをする機会は皆無に等しい。

 数字の打ち込みや資料作成、といった事務作業――『僕がやらなくてもなんとかなる』物事を、まるで塗り絵でもするようにさらさらと行っているだけなのだ。

 最初から用意された枠の中を、適切な色鉛筆の先っぽで塗り込んでゆく作業。
 労働ではなく、整理整頓をしている。

 そういった、頭脳不要のホワイトカラーな作業をする無脳人の僕に対し、経営者の父親は給料を支払う。
 厳密にいうと、それは仕事に対する報酬ではない。
 実の子供である僕を生き延びさせるために支給する、『給料』という偽名を用いた『延命費』なのだ。

 決められた枠を埋める――『塗り絵仕事』を強引に作り出し、あたかも仕事かのような雰囲気をまとわせながら、父親はそれを提供してくれる。
 言うなれば、僕は給料ではなく、哀れみを頂戴している。
 段ボール箱の中の捨て犬も同然なのだ。

ホームレスもありえる人生

 もし仮に父親が存在しないパラレルワールドで生きることになれば、家賃も光熱費も支払い不能となり、水道も電気もガスも止まり、夜逃げを実行し――
 ホームレスとなり、コンビニの廃棄弁当を食べ、公衆便所の蛇口で洗髪洗顔し、虫けらと雑草が安らぐ自然のベッドで就寝せざるを得なくなる。

 きらめく星々のパノラマが、僕の絶望を明るみにして、あの世へと誘うであろう。

 以上(異常)の理由により、僕は、『まともに働いたことがない』だけではなく、『まともに働けない』のだ。

顔面&オーラ劣化による深刻な非モテ化

 手っ取り早く解説するため、『若かりしあの頃(25歳)』と『劣化した現在(30歳)』の自撮り画像を掲載しておく。

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 これが25歳。
 日がな一日ナンパをしたり、ホストクラブで働いたり、キャバクラ嬢のヒモになったりと、若者特有の全能感に包まれ続けていた頃の一枚

 バーベル上げや懸垂をやって、バナナとプロテインを同時に飲み干すのが趣味であった。
『女は星くずの数よりも多い、ゆえに数打ちゃどうにでもなる精神』を抱えていたため、女関係は99%充実していた。
 それゆえか、怖いものなしだった。ドヤ顔が日常茶飯事だった。

 そんな輝かしい日々は、5年後消失する――

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 30歳、つい今し方、撮影した。

 眼光が弱まり、目の下にくまがあり、肌の潤いはなくなり、何かにおびえた表情であり、生気を感じられない。
 出来損ないのカマ野郎みたいな面構え、になってしまった。

 こうした落ちこぼれ傾向は心理面にも及んでおり、自信の欠如――内気であがり症、臆病で心配性という、まじめ系クズ特有の腐り方をしている。

 そうした末期症状を抱える僕の横には、虚空しか存在していない。
 男女関係という、普遍的な競争原理の渦中において、腰の抜けた顔面崩壊のクソ野郎は、はじき飛ばされること不可避だからだ。

 僕は負け犬へと転成したのである。

「やるべき時期にやるべきことを、死に物狂いでやれなかった者は、女神の視線に入ることすら許されないのだ」ということを、今やっと知り尽くしてしまった。

 なるべくしてなった転落劇。
 非モテ落下は続くだろう。

 顔面バッドエンド――

『借りるの大好き! 返すの大嫌い!』な借金体質

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(2012年当時、社会経験として自己破産をすれば、遊び狂った上に思い出も作れて一挙両得だと考え、片っ端から同時多発的に借りることで三桁の借金をすることに無事成功した。※自己破産はしなかった)

 これは天性のものだと思われるが、借金をすると心がすーっと落ちついてゆく

 以前は不明瞭だったそのワケを、やっとこさ解き明かすことが出来たから、順を追って説明する。

 よくよく思い返してみると、過去にも借金関係で困り果てたことが2回ほどあったのだけれど、すべて知人が一銭も残すことなく返済してくれた。
 そのため、悪性極まる条件付けのようなものが僕の内部にこびりつき、『借金=損失0』という、気の狂った責任転嫁の思考が生み出されてしまった。

f:id:buzama-www_pipipipipi:20171221192012j:plain ごらんの通りの経緯をたどり、僕は借金をするたび幸せになってゆく。

 世間的にはトンデモ思考かもしれないが、事実、そういったカチッサー効果の虜になってしまっている。
 これは誰が悪いといった話ではなく、環境やタイミングといった、人間関係における『事象の責任』という言い方が正しいだろう。

 宇宙の法則というか、人知を超えた概念のせいなのである。
 運命に翻弄される、とは僕のためにあるような言葉だ。

親の会社はもって15年、刻一刻と破滅へ向かう

 先にも触れたが、僕の父親は経営コンサル会社を営んでいる

 独立して10年目くらいであり、専門的資格や大手企業との複数契約経験などを武器に――つまり、過去に成し遂げた偉業がコマーシャル代わりになっているため、クライアントを獲得・維持しやすい状況となっている。
 無論、経営努力を怠らないという基礎があるからこその話ではあるが、やはりバックボーン的なアドバンテージが並じゃない

 とどのつまり、僕のように履歴書が空白――引きこもりニート歴4年、自動車免許なし、めぼしい資格なし、Word・Excelのスキルは0に等しい、F欄大学を3日で中退などという、ポンコツ以下のビジネス弱者では、事業継承をされたところで、会社を沈没船に作り替える働き方しか出来ないだろう。

 したがって父親亡き後のことも踏まえると、

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 青髪美少女が提示してくれた『生存戦略5点セット』が、僕に残された数少ないライフロードといえるだろう。

 ヒエラルキー底辺部の選択肢は、恐ろしいほどに狭いのである。

 プライドをかなぐり捨てて現実逃避?

 丁か半かの博打勝負?

 これらが、僕の人生におけるキーワードと考えて間違いないだろう。

時間の猶予は15年~20年

 父親が会社を存続(15年)させ、社内預金(生活余裕資金5年分は蓄積する予定)を獲得するという、予定不調和のないコースを辿ることさえ叶えば……の話だが。
 それと3階建ての一軒家(リフォーム予定)と土地を、長男待遇で遺産として譲り受けることになりそうである。

 それゆえ、贅沢をしなければ15~20年は生存出来るだろう。

 なので50歳から頑張る!

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社会不適合者ピピピピピの本音まとめ

 長々と書いてきた訳だが、一言で表すと、僕は人間的に底辺である。

 参考までに、僕の日常生活におけるスケジュールを貼り付けておく。

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 親の経営コンサル会社では、週2~5日働く。
 月間の平均労働時間は、50時間ほどだ。

 休日は、ゲーム実況を10時間やったり、小説や漫画を読んだり、映画やドラマを観たりと、ソロ行動で楽しめる遊びに興じていることが多い。
 ごくまれに、登山、田舎巡り、スノボーといったイベントを楽しむ。

 こうした自由な生活をしているが、心では不自由を感じる。
 そのゆえんはシンプルで、『誰かにタダで作らせた自由』の中にいるからだ。

 気付いたら僕は、箱庭の少女であった――

ピピピピピのよもやま話

言霊すらも砕く、生粋の没落者ピピピ

 筒井康隆の著作に、【白いペン・赤いボタン】という作品があり、その主人公が『臨機応変に対応しようぜ、ビクビクしていちゃ世の中は渡れないよ』という男気あふれる名言を放つ。

ミラーマンの時間 (角川文庫 緑 305-13)

ミラーマンの時間 (角川文庫 緑 305-13)

 

 趣旨としては、「どんな手段を講じてでも、俺は勝ちに行く、俺は利益を得てやる」といったもので、当時の僕はこのキャラクターを尊敬した。
 セリフを印刷して壁に貼るくらい好きだった。

 瞬間的にダサくても、ダメ人間だと思われても、心に決めたあるべき地点にたどり着くためには手段を選ばないという、狂気的な信念。
 そんな生き様に憧れていた。

 常軌を逸したルートを通ってでも勝ち上がろうとしてこそ男だ、と感じ入った。

 にも関わらず、この有様。
 僕の出来損ないっぷりは、言霊すらも砕くほど強かったのだ。

モテないし、犬を愛するか!

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 犬、犬、犬、犬は僕を、疑いなく敬い、救う。

 順風満帆な人間には見ることすらも不可能な闇の境地で、暗黒サイドの波乗りピカチュウになってしまった僕を、この犬はいつも慰めてくれる。

ゲーム実況やりまくっています

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 YouTuberとしてのし上がるとかそういう、下克上精神を元にしている訳でもなく、ただただ楽しいというその一点のみで、今後もおじいちゃんになるまでやり続けるつもり。
 底辺ゲーム実況者ではあるのだが、アマゾンのギフト券を贈ってくれたりする人がたまにいて、とても気分が良くなる環境で遊べている。

関連記事・今後も宜しくお願い致します!

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「選挙に行け」パワハラが深刻!投票を棄権するだけで義務違反の社会不適合者と笑われる日本

「選挙に行く行かない」の自由を搾取される若者たち

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 ここ最近、衆議院解散、総選挙の流れに乗じ、「若者よ、選挙に行こう!」「積極的棄権(投票放棄)とかふざけるな!」「選挙に“行かない”と主張している人たちは、“めんどうだから行かない”だけのナマケモノでしょ?」という声が、方々から聞こえるようになってきた。

 それどころか、『選挙権を行使しない国民=義務を果たさない社会不適合者』というレッテルを貼られてしまう。

 中には、「投票を棄権するのなら、日本の政治にただのひとことも文句をつけるなよ? おまえにその資格はない!」という、言論統制人権剥奪などなど、脅迫行為を仕掛けてくる輩まで存在する始末だ。

 これはれっきとしたパワーハラスメントである。

 他者の意思を踏みにじり、精神をとことん追い詰めることによって、『自分の価値観≒絶対正義』という攻撃的な思想を塗りつけようとする、一国の暴君によるヘイトスピーチに等しい。

選挙・投票をする上での『個人的な必要性』が皆無

 まず最初に断っておくと、僕はいつも散歩がてら投票しに行く。
 投票所が小学校の中にあるから、懐かしい気持ちになれるし、気分転換として悪くない。
 なにより、紙切れに殴り書きして投げ込むという――投票行為を行うだけで「社会不適合者」という烙印を押されずに済み、一市民としての暮らしが楽になるのは素晴らしいなと思う。

 僕にとって選挙とは、政治に参加するイベントではなく、世間体を取り繕うための儀式だ。

 選挙・投票という、政治の本質部分に参加する『個人的な必要性』は、皆無だと確信している。

 なぜなれば、まったくもって困っていることがないためだ。
 もしも仮に今よりずっと、若者冷遇・老人優遇の程度が強化されたならば、むしろ僕の人生においては好ましいとすら考えられる。
 理由は、将来不安にさいなまれる若い女子が増えると、遊び友達や彼女を作る際の成功率が飛躍的に上昇するからだ。
 不安になった人類は、すべての者に磁力を感じるようメカニズムされている。

 そして、社会が悪い方向に進んだとしても、それは国民全員に降りかかる火の粉であるために、「自分だけが損をしている……俺だけが底辺だ」という、『社会的報酬の欠落感』でつらい思いをせずに済む
 それゆえ、絶対的な豊かさは下落する可能性があっても、相対的には大して変わりがない。

 結論としては、選挙に行こうと行くまいと、社会が急発展しようと滅亡しようと、僕の高い幸福度はみじんも揺れ動きはせぬということだ。

 そんなこんなの経緯により、いくら説得されたところで、「社会を変えるために選挙へ行こう! 白票でも良いから投票しよう!」といきり立つことは出来やしない。
 今年のキングオブコントで準優勝を果たした、縄跳び職人のにゃんこスター・アンゴラ村長が、『もっとブスでデブで貧困に生まれていたら、勉強がんばるのだけど、、、』と、胸の内を披露していたように、僕がもし政治のせいで落ちぶれたら、「じゃあ頑張らなきゃ!」という原動力が生じるから、むしろ悪徳政治家に感謝するだろう。

 従って、この僕には選挙・投票に参加する『個人的な必要性』は皆無である。

次世代が得をすると、今の僕たち世代が精神的に損をする

 すこぶる性根の腐った発言をさせて貰うと、もしも良い政治家を国民でプッシュすることに成功し、『若者がより良く生きられる社会』に移行してゆくとしよう。
 たとえば、小池百合子がベーシックインカム(すべての国民に等しく、一定の所得を給付する制度)を検討・公約している訳だが、こういった大々的な制度には、「来年すぐやりますね」というスピード感は宿らない

 何が言いたいかというと、ありったけの儲けを得るのは、次世代である可能性が高いということだ。
 今、必死にベーシックインカムを宣伝したとして、それが30年後に実施されるとしよう。
 すると、僕たちは50歳くらいになっていて、「あー、結局、無職でも暮らせる時期って短くなっちゃったな」と愚痴を吐くかもしれない訳だが、その隣には、「いえぁ! おっさんたちは食うために働いてたんだろ? かわいそうな世代だな。ハハ!」と遊び狂う若者がいるかもしれない。

 このように経済的には損どころか得をしていたとしても、その状況をじっくり観察した際に、果てしのない損をさせられ続けている感覚(相対的不運)に陥ることも考えられる。

 僕は出来れば、「仕事しなければ食えねぇんだよ」という態度で、イソップ寓話・アリとキリギリスを嫌がらせのように喧伝することを、老後の生きがいにしたいと考えている。
 その点も含めると、ますます選挙に行く必要がないと思えるのであった。

国民の政治参加は、徹底的なまでにエゴを発揮する方が良い

 ここまで、選挙はくだらないものだと言わんばかりに、心情をぶちまけてきた訳だが、僕もいつか結婚してかわいい子供が出来るかもしれない

 その暁には、「ちゃんと選挙行けよボケコラ」と若者を叱りつけるだろう。

 なぜならば、息子・娘という自分の分身的な存在(次世代)に、利益をもたらしたいと思うからだ。
 未誕の子に愛は注げないが、生誕した子にはこれでもかと、すべてを注ぎ込みたい。

 この僕を恐ろしく利己主義者に感じる方もいるかもしれないが、こんな風に国民一人一人が自分のやりたいように行動することで、価値観・言動に多様性が生まれ、政治に必須な材料を与えることが出来る

 つまり僕の自我は、国の宝なのだ。

選挙が面倒で行かない人は、『選挙は面倒』という見えざる投票を行っている

 政治家は、国民の一人一人が浮上させた気持ちを汲み、国のあり方を流動的に変更させる必要がある。
 だから大切なのは、国民の本音と、政治家の本気なのだ。

 世間体だとか慣習に縛られて、惰性の行動を繰り返していると、社会は息苦しくなり続ける。

 極論、選挙が面倒で行かない人は、『選挙は面倒』という見えざる投票を行っている訳だから、立派に権利を行使している

 その声なき声を拾い上げ、新ステムを築き上げるため奮闘するのも、政治家の役割だ。
 我々国民は、やりたいように行動するだけで良いのである。

最近読んだ本・『選挙に行けイジメ』が増加する季節

ヒトは「いじめ」をやめられない(小学館新書)

ヒトは「いじめ」をやめられない(小学館新書)

 

いじめの始まりは、「間違っている人を正す」という気持ちから発生します。「おまえは間違っているだろう!」という気持ちで制裁し、「自分は正しいことをしている」と感じることで得られる快感があるのです。

 

いじめが増える時期は、6月と11月
(中略)
日照時間が変わる時期にあたるので、セロトニンの合成がうまくできず、分泌量も減り、その結果、不安が強まり、“うつ状態”を経験する人が散見される季節なのです。
(中略)
セロトニンの不足は不安を招くだけではなく、暴力性を高め、過激なギャンブルにはまるなど、悪い結果になることを承知しつつも、それを止められない“衝動性障害”を招くことがわかっています。

 などと書いてあるように、今は10月中旬だがこれくらいの時期から、衝動的に人をイジメる人が増えてくる。

 将来不安が激しく、正義感に燃えたやっかいな存在が、『「選挙に行け」パワハラ』を繰り出す季節の到来だ。

 悲しいかな、この社会には『良い大人なのに選挙に参加しない者は、大体、社会不適合者だ』という印象を持つ者が多いため、奴らは援軍を得たとばかりに、ちくちくと嫌みを放つ。
 そしてトドメとばかりに、「選挙に参加しない人間は、一生文句を口にするな」と恫喝してくる。

 だが投票の有無によって、言論の自由度が決まるとは、とんでもない。
 国民年金、住民税、消費税などを余すことなく支払っているのに、『選挙に行かない』という一点の曇りがあっただけで、社会人としてあるまじき、たわけと評される。

 正しいとされているものを武器にするイジメっ子は、たちが悪い。
 そういう人間に絡まれないために行うべき対策は一つだ。

 選挙へ行こう!

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「キモくて金のないおじさんとおばさんが結婚して子供を産むのは虐待!」と女子高生が語っていた

キモくて金のない生命の再生産は『罪』なのか?

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 とある早朝、JR北海道の電車に乗り込むやいなや、膝上20cmのミニスカを履きこなす、見目麗しい女子高生3.5人(うち一人は中学生)が盛んにしゃべり立てていた。

「良いねぇお嬢ちゃん、いい脚してるよ!」という所感を述べながら、僕は彼女たちに横付けした。
 すると次の瞬間、己の耳を疑いたくなる主張が鼓膜を突き破った。

「キモくて金のないおじさんとおばさんが結婚して子供を産むのは虐待!」

 なかなかのタブーを、平然とぶち壊す一言であった。

女子高生の語ったことを箇条書きにしておく

先行的な虐待じゃん。電光石火じゃん、その虐待。生まれ落ちた直後に災いかよ。

・「キモくて金のないおじさんとおばさん」が結婚出来ないのは良いこと。
 貧困と不幸の拡大再生産にストップを掛けられるから。

・あいつらが子供を産んだところで、「清くて金のあるお兄さんとお姉さん」を発生させる確率は低い

・うちらは、「キモくて金のないおじさんとおばさん」よりも、「未来の胎児」を救ってあげたい

キモさのフランチャイズ経営をやめろ。愛を取り立てるな。
 ブサイクでブスでハゲでメンヘラでコミュ障で根暗でKYな存在がいたとして、そいつが誰にも好いて貰えなくて絶望して、無職のごくつぶしニートになったら、みんな叩くでしょ?
 生まれただけで感謝しろって、おまえの境遇はおまえの責任だって、てめぇのことばかりで他人を愛せない人生は悲惨だなって。
 子供がかわいそうだよ。
 キモくて金のないおじさんとおばさん予備軍が誕生しちゃうよ。

・ゾンビパンデミックに歯止めを掛けよう。
 ラクーンシティは二次元だけで十分だ!

 さすがの僕でも心苦しくなるほど、無慈悲な言葉がたわわに実っていた。

 でも、周囲の乗客たちは心なしか、うなずいているように見えた。

 酷い、酷すぎる。
 これが国民の総意なのか? 人類社会における真理なのか?
 なんだこのリズミカルなディスの発表会は?

 胸の痛みを覚えながらも、「僕が聞かなきゃ、誰が聞くってんだ!」という執念を、終着駅まで燃やし続ける決心を固めた。

 続けざまに彼女たちは、「キモい奴=ヤバい奴」という図式について、タブレット端末を用いて丁寧な解説をしてくれた。

「キモい奴=ヤバい奴」という認識はなぜ完成するのか?

 多くの人間は、キレイな生命・物質が好き。
 ↓
 結果、キモいに該当する人類は後回しにされる。
 ↓
 「キモい奴対応マニュアル」が薄っぺらくなる。
 片や、「キレイな奴対応マニュアル」は分厚くなる。
 ↓
 それゆえ、怠惰な生物である我々は、攻略法がいくらでも現存する存在(キレイな奴)を選ぶ。
 人間の普遍的な心理傾向として、「よく知らない概念を恐れ、嫌悪する」いうものがあるからだ。
 ↓
 キレイ優遇キモい冷遇のサイクルが回り続ける。
 ↓
 キモい奴を遠ざ過ぎるあまり、彼らがアングラな狂気を漂わせているように見えてくる。
 ↓
 しかしながら、我々には倫理や良識が備わっているため、「キモい奴なんて思っちゃだめだよ。心はキレイかもしれないんだから!」という自制が働く。
 とは言いつつも、「でもキモい奴は嫌だ! 心だって汚いはずだよ!」という本音がせり出すことにより、強烈なジレンマに直面することになる。
 イライラする。すごい。
 ↓
 人間は、自己保存欲求が強いゆえに、「このイライラは俺のせいなのか? キモい奴のせいじゃないのか! そうに決まってる。奴らはキモい上に狂っている!」と責任転嫁をはじめる。
 この自問自答は、生存を賭けた戦いにも等しい。
 つまり、自己完結的に、キモい奴を忌み嫌うようになる。
 ↓
 以上の理由により、「キモい奴」=「ヤバい奴」という図式が完成するのだ。

 筋の通った話ごちそうさまでした、と僕は舌鼓を打った。

 思春期を生きる女子高生は、「わたしってかわいい?」とうぬぼれているだけだと誤解していた。
 ロジカルな青春も悪くない。

「キモくて金のないおじさんとおばさん」は、理屈の通らぬ次元で嫌われている

 女子高生たちの話を整理すると、「キモくて金のないおじさんとおばさん」が蔑まれるのは、人間生命の本能による働きのせいということになる。
 それゆえ、理屈ではあらがえぬ領域の問題ということだ。

 もちろん良識ある大人は、「容姿だとか貧乏だとかですべてが決まるわけじゃない」と綺麗事をぶちまける訳だが、そんな生やさしい社会であれば、「キモい」という概念は発生しないはずである。

 なぜ僕たちは、ゴキブリを恨むのか? カラスを敵視するのか?

 答えはシンプル。
 嫌なものは嫌だからだ。

簡単に結婚できない状況=親としての適格度を測るオーディション

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「キモくて金のないおじさんとおばさん」が、売れ残り――天涯孤独の身の上となりやすいのは、「嫌なものは嫌だ」という理不尽な理由で、隅に追いやられるためである。
 もしもこの者たちが、政府の介入、民間人のお節介などによって、強引にマッチング(結婚)させられ、ぼこぼこと苦し紛れに子供を産むとろくなことにならない。

 むろん、持たざる者である彼ら彼女らが、純粋100%の恋をし、おめでたいことに新規の生命を誕生させたのであれば、それはとても幸せなことである。
 なぜなれば、その夫婦生活のスタートは、『自発的に沸いた愛情を伝え、添い遂げる覚悟を決める』という高度なコミュニケーションスキルの所有を証明するものであるから、その子供も正常なソーシャルスキルを持った幸せな大人になりやすいためだ

 要は、コミュ力とメンタルが強ければ、キモくて金のないおじさんとおばさんでも、良い子育てが出来る可能性が高いということになる。

 ゆえに、「キモくて金のないおじさんとおばさん」は救うのではなく、そのまま放置しておくべきなのである。
 婚活環境を過剰にゆるめてしまうと、キモくて金がなくてメンヘラで、自分のことすらままならない人間が毒親となり、子供を苦しませてしまうかもしれない。

 言い方はきつくなるが、キモくて金のないおじさんとおばさんが簡単に結婚できない社会環境は、『親として適格なメンタリティを持っているかどうかをチェックするオーディション』の機能を内包している。

 キモくても金がなくても、不屈の精神で結婚を果たせるパワーがなければ、子は腐る。
 救われないとなにも出来ない人間は、どのみち救われない。

 そう考えると、今回登場した毒舌な女子高生たちは、ある意味、キモくて金のないおじさんとおばさんの心の強度を試す、結婚の神様といえるだろう。

 未誕の子に愛を。

最近読んだ本

生涯未婚時代 (イースト新書)

生涯未婚時代 (イースト新書)

 

「あるべき姿」から逃げる人が増えた場合、結果として「あるべき姿」とされていたモデルが王道として価値が上がってしまうという状況が起きがちなのも難しいところだと思います。

 主にネット上で、「『普通』に縛られない生き方をしよう!」といった内容の、弱者を救う目的でのアドバイスがばらまかれているけれど、そうした発言が増え、それを実行する者が増加するほどに、『普通』が高等なものになってゆく。

 よって、今まで当たり前にあった普通が、憧れの対象となる。

 そうであるから、「キモくて金のないおじさんやおばさん」が、結婚や子育てとは別枠の喜びを見つけられる社会になって欲しい、と願う人が出現するたび、より結婚や子育てが他に代えがたい幸福の鍵と化してしまうのだ。

 つまり、他人の優しさはいつだって、お節介なのである。
 自分の人生を幸せに出来るのは、自分だけなのだ。
 繰り返しになるが、救われないとなにも出来ない人間は、どのみち救われない。

ブログを10年書き続けて、「文章を書くのが嫌い」という結論に至った

絶望に追われて辿り着いた先が、白紙の上であった

僕が思いの丈を書き始めたのは、10年以上前である

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 入学して一週間で大学を辞めたとき、人が怖くなってバスに乗れなくなったとき、家族関係に亀裂が入ったとき、上京して知り合いが皆無でいつも一人だったとき、芸人養成所に通うも笑いのセンスのなさを痛感したとき、ホストクラブに入るも月々7万円しか稼げなかったとき、好きな子にフラれその子の妹にもフラれるというダブルパンチを食らったとき、彼女はおろか女友達すら作れなかったとき、多額の仕送り(月40万円)で無様な無職生活を堪能していたとき、ニートから脱却しようとするも正社員・派遣・バイトの一人バックレ祭りを展開してしまったとき、100万円以上の借金で首が回らなかったとき、低学歴低収入低身長かつブサイク&ブス&ハゲ&デブがひしめき合う魔界こと破格的ゲストハウスで暮らしていたとき、憎しみ煮えたぎるブラック営業会社の競争原理に焼き払われそうになっていたとき、自分が世界でいちばんに愚かで惨めな生物なのではないかと苦悩していたとき――

 そんなとき……僕はひたすらに書いたんだった。

 100円均一の日記帳からはじまり、ミクシィ、アメブロ、アメーバ、ライブドア、FC2、Seesaa。

 そしてはてなブログへ…

文章を書くのが苦痛だった、文章を書くのが嫌いだった

 散々、過去記事にも書いてきたが、僕は窓なしの違法建築物件に住んでいたり、親と半絶縁状態だったりで、心が割れて尖った瓶のようにとげとげしく荒れ光っていた。
 それに加えて、引きこもりニート歴4年、100社以上で働くも続かず(出社して挨拶後、契約書を書くのにくたびれてトイレの窓から逃げ帰るなど)、そして10インチ程度のネットブックだけが手元にある状況という、追い込まれた生活がそこにあった。

嫌だった、苦痛だった、不幸だった

 あの頃――僕がはてなブログに乗り込んだ5年前は、救いを求めて執拗に記事を投げつけた。
 目的だ、野望だ、そんな高尚な概念を抱える余裕すらなくて、ただ、ただ一心に言語的な猛り狂いを継続したのである。

 記事を書きたかったのではない、現実逃避の術を編み出したかったのだ。

 物書きの集うこんな場において口にすることではないかもしれないが、僕は文章によって救われたことなど、ただの一度もない

 そんなものは底辺の水飲み場でしかなかった。
 苦味が口内に広がり、幾度も吐き溜めを作りながら、それでもなお飲み続けたのはなぜか
 簡単なことだ、その一点しか僕の飢えを満たす方法がなかったからだ。

 自他滅殺思考が極まりに向かい、森羅万象を砕きたいという悪意が迸り、脳髄と精神がうごめくに任せてキーボードを弾きまくった

 書きながらに……すべてが蝕まれゆく予兆を人体の深みで持って感じ取っていた。

幸せな毎日を得た代わり、白紙の上に絶望が鎮座した

もう、良い意味でも悪い意味でも人の心を動かす文章は書けないだろう

 書く必要もなくなり、書くことも出来なくなり、すなわち鉛筆が折れた――いや砕け、そして遠くへと転がって行った。
 ごろごろと地割れの底に叩き落とされたごとき日々は、なんのかんので緩和、完治してしまったのだ(家族との絆再統合、父親が起業、この僕自身も営業会社に就職したのち親元で働き始めるといった具合に社会復帰した)。
 ちなみに愛犬のダックスは15歳の誕生日を迎え、妹は小売店に就職、弟はゲーム実況で大成したことにより少なく見積もっても上位1パーセントの高みに君臨する存在となった

 こうやって単なる個人ではなく、一つの家族単位が這い上がるように豊かになると、メンタリティが極度に強靭化する

 つまるところ、絶望の入り込む余地が消失するというわけである。

 端的に言ってもはや、負の感情(執筆欲)がまったくもって蓄積しない

 残念ながら僕は、とびきりの幸せを獲得してしまったのだ。

「書くことが大好き」と自己暗示し続けていた自分にさようなら

 ずっとずっと僕は、愚かなマインドコントロールを、己に施していたんだ。

 当初それは、自己逃避でしかなかった。
 だが日を追うごとに、余計余分な想いが付与されていった。

 自己救済のためだったはずの書くという「手段」が、いつの間にか「目的」へと変貌を遂げていた。
 そして最終段階、「面白い・楽しい・好き」という肯定語ではじめる自己洗脳生活。

 僕は己に騙され続け、10年もの間、ブログ記事を書き続けてしまったのだ。
 書くことに救いを求めているうち、それは恐ろしいほどに習慣化されてゆき、その圧力を伴った“継続”によって産み落とされた、亡者のアイデンティティが口を開き、「書くことが大好き!」という感想を口にせよと義務づけてきた

 好きだったんじゃない、好きだ、という思い込みの中にいた。

 肥大化した自己救済願望によって築かれた、極大の妄想に自我が巻き込まれてしまい、気が触れていった。

 もはや自我が先なのか妄想が先なのかも分からなくなり、自分という存在そのものが不安定になり、その不安感を解消するべく書いた――来る日も来る日も書いた。
 すると確立した、曖昧模糊とした自分が確立した、これまた来る日も来る日も確立した。
 ありとあらゆることが、ますます意味不明になって確立していった。
 虚栄心が確立した。己惚れが確立した。憂鬱が確立した

 好きなのか嫌いなのかも分からなかった、何がしたくて何がしたくないのかも判然としない迷走状態に陥った。
 全てが理解不能となり、機能不全を引き起こした。

 それゆえ、『書き狂うことで、自己確立した気分を病的に連打生成する』という、精神リソース消耗ゲームに興じる他なかった。

 すなわち、書いていたというより、書かされて生きていた。

落ちぶれた出来損ないは終身刑を食らう

 落伍者に成り果てた者にしか、穀潰しと罵られた者にしか、心得ることの出来ない底辺生活というものがこの世には存在する。

 この僕も奈落を舐める人間の一人だった。犬も食わない動く人肉であった。

 5年前の僕は……。

 高卒無職だった。借金まみれだった。働けなかった。
 隣人は半グレだった。夜中に怒声が響いた。壁に穴が空いた。
 星が綺麗だったある日、警察官がやってきて、なぜか動かない隣人にブルーシートを掛けていた。静寂が駆け抜けていくようだった。

 時を同じくして、とある会社の重役であった父親は、何の前触れもなく現れた経営者の親族に追い込みを掛けられ、一時的に休職するはめになった。
 仕送りが停止した。僕は頭を抱えた。

 愚かな自分と、後悔と、苦痛と、無気力と、寂寞感と、やるせなさと、それから絶望だけが残った。

 全てが白紙と化した。頭が真っ白になった。

 絶望牢獄に閉じ込められた。終身刑の判決が下された。

 もう、人生……終わった、と悟った。

精神的に極限の中において、書くことだけが現実逃避の手段であった

 僕自身が、気狂いの時間線を辿ってきて思い知ったことは、社会的ステータスが過度に低い人間は狂っているということだ。

 本当に将来がお先真っ暗な状態になると人は、極端にしか生きることが出来なくなる。
 己の内にある精神世界が、中道を粉微塵にしてしまうからだ。

 全ての者には普遍的な感情というものがあり、ある一定のラインを下回った暮らしをすると、かなりの確率で頭のネジが腐れ散る
 そしてそこまで深刻な状態に陥る者は少数派であるがゆえ、常人には理解されない=狂人と見做される、といった図式が成立し始める。

 ここまで来ると、疎外感がみるみる膨らみ、“安全な暮らし”という最低限の欲求が阻害されているも同じ心持ちで生きなくてはならなくなってしまう。

 自然と牙が尖り、爪が鋭さを増し、直情的なまでに社会を敵視するようになる。

 その攻撃性は、外部か内部か――つまりは己に向かうか、他者に向かうか、はたまた総崩れを志して諸刃で切りつけるか、のいずれかが自然選択される。

 結果。
 訳も分からず借金をすることを辞められなくなり、深い理由もなしにあらゆる概念を恨みはじめ、「自分が最底辺の状況にいるからこそ、他人が羨むようなとてつもない成功を掴まなければ生きている意味などありはしない!」と逸脱した思考をするようになる。
 もちろんそんな夢は、そうそう語ることは出来やしない。
 であるから猛烈なる本性を隠して、窒息しそうになりながら暮らし続けることになる。

 そうやって人は我慢を続けると自律神経に異常が生じて、疲れやすくなり、ますます無気力で無能な敗残者としての道を極め抜こうとしてしまう。
 生き様のバランスが崩壊してしまえば、それに伴って脳も正常に働かなくなるために、一企業における庶務業務すらやっとになり、出世どころか、明日の出勤すら望めなくなる。
 このような絶望の連鎖、不運のループが延々と続き、気付けば歳だけ重なりゆく。
 そんな自分に焦れば焦るほど、ますます心はどす黒く濁りを増し、果ては無重力空間にいるかのごとく、自分を一切制御出来なくなってしまう。

 世の中は残酷であり、その残酷さは大衆が予想しているよりもずっとずっと、破壊的に強烈なのである。
 それに加えて残念なことに、僕たち人間なんてものは、いくら傷付いたところで、強くなることもなければ優しくなることもない。
 鬼のように、自己中心的(自我から目が離せない)になるだけだ。

 そうした流れでもって僕は、嗜虐的で被虐的な熱意を宿し、無目的に書き続けてしまった。

 本来の自分とは、別物の、妖怪じみた書き手に成り下がっていた。
 考え過ぎたんだ
 思考という危険概念の取り扱いを誤り、自ずから闇へと没入していった。
 考え過ぎたんだ
 虚勢を張りに張って、視界が真っ暗になるほど張り巡らすという過ちによって、自ずから光を遠ざけていった。
 考え過ぎたんだ

だからこそ僕は、知能ではなく本能で命を全うしたい

 書くより読み、作るより破壊、努力よりサボり
 食う寝る買う、この三つ巴の生き様のみで幸福度は100%まで上昇する

 どうして僕は、そんな簡単な理屈に気付かなかったんだろう

 なんであんなにも見栄を張って、鋭利な鉛筆を掲げて叫び踊っていたのか。
 思考の末に憂鬱を呼び込んで不幸と戯れるなど、とんだ不合理だ。

 1+1が2でも3でも4でも5でもなんだって良い。
 真の幸福はあらゆるロジックを凌駕するんだ。
 僕は血反吐を吐くほどに、心臓が笑うほどに――そう悟り尽くした。

 結論。
 社内ニート最強。

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ピピピピピによる雑記・報告

 今回は一言の休止報告もなく、3ヶ月以上、ブログやツイッターの更新を止めたため、尋常ではない数の心配や応援のメッセージ(Gmail・ツイッターDM・LINEメール)が届きに届いた。

 ただただ感謝(๑¯Δ¯๑)/

 まだ一通も返信を返していない。さすがに今回は数が多いから遅くなるかも知れないけれど、ひとつひとつ、丁寧に返していきたいなと思う。

 めちゃくちゃに感謝(๑¯Δ¯๑)/

 ありがとうございますぅぅぅぅっっっっっっ!!!!!

 休止理由としては、以前から機会を見つけて、3ヶ月ほどSNSを遮断する実験をしようと考えていた。

 体感的にそこそこ長い期間を休んで思ったのは、何一つ不自由はないどころか、無駄な自問自答や感情エネルギーの浪費が減少したことで、現実空間を生きる僕の健康レベルがみるみる高まっていった。
 この辺は別な記事で詳しく書くつもりだから、今の時点で深掘りはしないが、ひとまずの結論として、SNSはドブの沼にも等しいなということが分かった。

 でもみんな優しかった。世の中、捨てたもんじゃないと思った!

 これからまた、ブログ記事もばんばん書きたい!

ゲーム実況(生放送)もがんがんやり始めた

com.nicovideo.jp

 今はニコニコ生放送でしか配信していないけれど、そのうちYOUTUBEと同時放送をして行くつもり。

www.youtube.com

 全く宣伝してなかったのに、ちょこちょこブログ読者が観に来てくれた。


ニコ生でゲーム実況中に、ブログ読者が観に来てくれた!

 やったー、と思った(๑¯Δ¯๑)/