ピピピピピの爽やかな日記帳

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親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

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【無能の過大要求】時給1500円デモは営業妨害!士業は儲かる!?【会社の最低賃金】

最低賃金が時給1500円になると、バイトの使い捨て奴隷化が深刻になる

 ここ最近、『時給1500円』デモがトレンド入りしている。

 僕の親が経営する会社のクライアントは、中小零細企業が8割だから、最低賃金が1500円になると骨が折れる可能性がある。
 クライアント先にしても、不要なアルバイターを削りまくるか、時給が高い」を免罪符にして馬車馬のように奴隷働きさせるしかなくなるだろう。

 利益を出せなければ、会社が存続しないのだから、黒に近いグレーな手段を取る可能性もある。
 バイトを大量に切り捨て正社員に残業を課すなど、誰かが被害者となる未来が訪れる。

 どこの企業も、「安い賃金で労働力を買える」からアルバイトを雇い、細かなことに目を瞑ってサークル感覚で働かせているものだ。
 それゆえ、『時給1500円』社会に変化してしまうと、ガチガチの就業規則、凍結する求人、ノルマの過激化、退職勧奨の乱れ打ちが繰り広げられることだろう。

 そうやって合法的にアルバイターをシバくため、契約書の文言について士業に相談しまくる企業が続出するかもしれない。
 そういう事業に力を入れている会社は、一時的な特需でウハウハになるだろう。

 それはさておき、無能たちの過大要求は営業妨害に近いものがある。

 企業に利益をもたらした社員に還元したいのに、ろくでもない下っ端全員に時給1500円も支払う必要が出て来ると、首が回らなくなる訳だ。
 そのせいで、優秀な社員を逃してしまうかもしれない。

 彼ら破壊工作員のやっていることは、シンゴジラとまるで一緒だ。

 会社を倒産させ、ビルを倒壊させ、社会を滅亡させようとしている。

利己主義の観点で考えると、学生が行うデモは馬鹿らしい

 今日文句を垂れて、明日夢が叶うことはない。
 凄まじい速度で制度改革が行われたとしても、状況改善には数年の歳月を要する訳だ。
 そうなると現時点でデモを実行している学生は、既に大学を卒業して就職し、時給とは縁遠い正社員になっている可能性が高い。
 血も涙もなく言うなれば、バイトの時給が低かろうと知ったこっちゃないステージに移行する訳だ。

 とどのつまり、学生が行うデモは我欲を満たせる確率が低いということになる。
 むしろ、数年後に時給が上昇したり、奨学金問題が改善したりしてしまうと、昔の自分よりも有利な環境下で生活する若者が増えてしまうから、利己的には逆効果だ。
 敵に塩を送ることは美談とされているけれど、それを地でゆく生き方で豊かになれる者は限られている。

 資本主義の本質は競争だから、次世代を叩きのめす老害力を、若いうちから養った方が良い。

 仮にデモを成功させて、次世代が得する未来が訪れると、「あいつらばかりズルい」「卑怯だぞ」という風に、相対的幸福度が低下してしまう可能性がある。

 今現在、じわじわと続いている痛みを、次世代にもプレゼントするべきだ。

無給デモ活動をする暇があれば、テレアポバイトをせよ

 時給1500円がどれほど、お気楽に稼げる金額であるかを身に染みて感じられるはずだ。
 それに加えて、給料を頂戴しながらトーク技術や精神力を鍛えられる

 無論、ガチャ切りやクレームの連続を食らうこともある。
 慣れないうちは、「無理だ……」「向いてない……」と気分が塞ぐだろうけれど、次第にそんな悪感情は消失する。
 なぜなれば、人間にはホメオスタシス(恒常性)という、いつもの自分に戻ろうとする機能が備わっているからだ。
 遅くとも三ヶ月あれば、うたた寝しながらクロージングを成功させられるようになる。
 
倍々に給料は増え、働くのが楽しくなって、デモみたいなお遊びをする気は失せるだろう。

 電話営業にしてもデモにしてもやることは変わらない。
 自分を売り込むのも、商品を売り込むのも、想いを売り込むのも、全て同一の作業。
 どうせならテレアポ会社のブースで叫んで、時給1500円以上を稼ぎだそう。
 そこそこ可愛い女子も余るほどいるから、出会いの場としても優れている。
 一度きりの人生、一石二鳥かつ合理的に動いて、豊かになろう。

 高層ビルからデモをする暇人を見ていると、優越感で幸福度が上昇する
 資本主義下における人間の幸せは、そうやって生じる。
 相対的幸福を意識する老害になろう。

 なりふり構わない人生へ。

雑記・読んだ本

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1)

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1)

 

われわれは皆、他人の不幸には充分耐えられるだけの強さを持っている。

 

傲慢はすべての人間の心の中では一様なのであって、ただそれを外に表す手段と趣に相違があるに過ぎない。

 さすがの箴言がこれでもかと凝縮された一冊である。

 僕たちは、他者との関係性によって決定される幸せ――すなわち相対的幸福というジャグジーの中に、傲慢な態度でざっぷーんっと飛び込んで生きてゆく生物なのだ。

 傲慢ゆえ、遠くの他人の苦痛など度外視にして、ほんわかほんわかーっと鼻歌を歌って幸せに笑える。

 優越感という名の、いい湯の中で。

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

 

「ゆたかな社会」――においては、供給が需要に先行している。いや、それどころか、供給側が需要を操作している。つまり、生産者が消費者に「あなたが欲しいのはこれなんですよ」と語りかけ、それを買わせるようにしている、と。

 こう書いているとおりで、ただ生きることは容易になった社会だからこそ、人それぞれの「幸せの形」が、外部情報によって半ば自動で決定されるようになってしまった。
 ネットの普及もそれを促進させ、遠くの他人の生き様が可視化したことにより、「絶対的幸福」では満足出来ず、「相対的幸福」の元で勝ち組にならなくてはダメだと思う人だらけになった。

 相対的というのは、他人と比較するということだから、その上で幸せを掴むならば、競争に勝たなくてはならない
 恋愛や結婚にしても、人間の数は無限でなく、地域ごとに男女比のバラつきもあるため、結局は勝負を制した者だけが享受出来る喜びである。

 このように、当たり前の幸せと思われている種類のことでも、実はフタを開けてみると、負けて腐った人々の屍が土台になっているものなのだ。

 要するに、誰もが相対的幸福という悪魔に取り憑かれた、傲慢な獣ということである。

 それゆえ、時給1500円以上ある人間が、時給1500円デモに参加したら、一時的にせよ、凄まじい快感と幸福を得られるだろう。
 そういった意味では、デモに参加する価値があるのかもしれない。

 なんて傲慢な人間だと思った?

 せっかくなので最後に、ラ・ロシュフコーの箴言をもう一つ貼っておく。

もし自分に傲慢さが少しもなければ、われわれは他人の傲慢を責めはしないだろう。

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