ピピピピピの爽やかな日記帳

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ピピピピピの爽やかな日記帳

親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

ピピピピピの爽やかな日記帳

金や読者からの愛に囚われてしまうとブロガー失格。囚われていた僕の体験談

 確かに僕は、グーグルアドセンスやアマゾンアフィリエイトのお陰で、黒毛和牛やイクラを取り寄せてたらふく食べたりと、すこぶる幸せな時間を過ごせた。
 ぐちぐちと愚にもつかない内容の記事を量産していただけなのに、こうやって美味しい思いが出来るなんて、他では考えられない至福の喜びだ。
 しかも病んだときに不満をぶちまけると、優しいブクマがつき、その優しいブクマがつく理由はピピピさんの人柄ゆえですね、と高度な褒め方をしてもらえたりもした。
 ほかにもダイレクトメールを出してくれる、はてなポイントをプレゼントしてくれる、などなど様々な支援をしてもらった。
 自然と全能感が得られて、人生に対する自信が湧いた。

ムカついたらムカついたことをネットに投げ込むだけで、金や愛が手に入る

 その事実を知って、もっと上級のなにかを得るために、さらなるムカつきを求めて生きた。
 そして想いのままに得たいものを得ていった。

金や愛は、雑にブログを続けているだけでもある程度得られる

 なんて素晴らしいのだろう。こんな素晴らしいことを自分だけのものにしてはだめだ、このことをみんなに知ってもらいたい! そうは思わなかった。なるべく喜びは独り占めしたかったからだ。そのように非道なブロガーとして、卑屈な記事のアップを続けていたわけだが、ドラマや映画の世界のように強欲者が地獄に落ちるなんてイベントもなくて、延々と気持ち良くなれた。常に頭の中でぱんぱんぱんっ! とクラッカーの鳴る音が聞こえてきて、毎日ハッピーバースデーの曲が鼓膜を揺さぶった。
 とくに愛に関しては、他人がこうあるべきと決めるものではなく、一から十まで主観的なものだ。
 そのため、愛情豊かなブログ人生を送れていると思っていた僕は、誰がなんといおうと心底幸せだったし、胃の中が、大量に死んだ高級牛の墓場になるぐらい肉を喰らって大満足であった。もうずっと体がポカポカとして優しい気持ちになるぐらいだった。
 金に関しても、資本主義社会である以上、どんな金であれ金を出して何かを得られる文化が継続している限り貰って無駄になることはない。

読者や金に囚われた僕は、いつもニコニッコしていた

 つまり僕は、嘘偽りのない金と愛に包まれていた。そんなの絵空事じゃないかと口撃してくる者もいたが、その他の人間がいうそれは浅はかな観察の結果でしかないため、僕の主観的な想い、本心にはたどり着けていないからノーダメージであった。
 他人の忠告などガンシカする覚悟があった僕は、暴走しながらも幸せの汽笛を鳴らし続けた。
 そのように我関せずな態度で、猛烈なまでの金と愛と幸福感に包まれ続けていた僕は、いつも笑顔が絶えなかった。
 なんて素敵なのだろう。一歩目から、最終地点で立ち止まるその瞬間まで、嬉しさが雪だるま式に増えていった。
 ブロガーは金に囚われ出すと失格らしいが、失格者である僕はとても幸せ者であったし、幸せな僕を見てくれる人々までもが幸せになって、地球全体が幸せのハンケチーフに包まれている気がした。

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僕が世の中を幸せいっぱいしている、そう確信を持っていた

 女神様になった気分で、僕の言葉は全部が全部、幸せを運ぶ使い魔なのだという考えを持ち、みんなに幸せをみんなに夢をみんなに幸あらんことを、と念じながらブロガーを続けていた。
 まるで社会的起業家になった気分で、ぽちぽちとキーに指を叩き付けているだけで、高次元のボランティアを行っているのだと思え、自己肯定感が倍増した。

これが金や読者からの愛に囚われた者の末路だ

 小遣い稼ぎを目指してブロガーをやっている人は、こうした僕の実体験を反面教師にして、なるだけ貧乏人になって欲しい。
 僕のような失格者という被害者を、これ以上増やしたくないのだ。
 なんとか合格者という貧乏人になって、爪に火をともし、徐々に燃え広がって終いには捨てられるべき焦げ目となってもらいたい。

 以上、読者や金に囚われてはならないという話でした。