ピピピピピの爽やかな日記帳

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ピピピピピの爽やかな日記帳

親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

ピピピピピの爽やかな日記帳

親戚付き合いという苦行によって、生きる気力を完全に奪い取られた

 定期的に従兄弟とか爺ちゃん婆ちゃんがやってきて、宴をする。
 大量の寿司や焼肉が出て、豪華極まっているのだけれど、ワイワイガヤガヤの中で食べる飯はまずい。
「誰々ちゃんは公務員に一発で受かって、結婚もしてすごいねぇ」
「ピピピと違って努力したから当然よ」
「努力したことのない綺麗な手をしてるものね」
 こうした話が繰り広げられる中、ほとんどニートのような人生を過ごしてきた僕は、胃を痛くしながら縮こまることしか出来ない。
 今はちゃんと働いているけれど、それは親が用意してくれる仕事を右から左に片付けているだけだ。
 なんだかスクールカースト底辺時代を思い出して、吐きそうになる。
 すべての近親関係を砕き散らしたくてしょうがない。

僕は、冠婚葬祭とは無縁な人生を送ろうと決めた

 ふつうの人は、他者との関係性の中で幸せを得るようだが、僕にはそれが出来ない。
 親友はいるのだが、多人数とのつながりは皆無である。
 幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、専門学校など、連続的に通ってきたわけだが、そこで出来た仲間ってのは一人もいない。
 どころか誰一人連絡先を知らない。
 そのため仕事の関係以外では、飲み会にも結婚式にも誘われず、東京にいる友達を除けば、常に一人で動いているに等しい。
 そんな寂しい人生を送っている。
 だからいっそのこと、冠婚葬祭は例外なく断って生きようと思った。
 それによって自分の価値が損なわれたり、将来的な不利益になっても構わない。

 ちなみに僕は今、田舎に住んでいる。
 それもあって東京の友達と遊ぶ機会もない。
 人間とより犬と会話する時間の方が長い。
 たまに前から仲の良い女子と遊ぶけれど、それは互いに孤独を解消し合う都合の良いぺらぺらな関係だ。

 それでも楽しいことをやりながら生きている。
 北海道の山々を登ったり、スイーツを食べ歩いたり、キャバクラ初回巡りしたり、映画デートしたり、犬と自転車の旅をしたり、日本語ラップ聴いたり、昼寝したり、アニメ見たり、マンガ読んだり。
 でもなんか虚しいし、その虚しさの中で人生に意味を感じて生きるのが人生なのではないかと自分に問いかけるんだけれど、それでも虚しいものは虚しくて、意味ないなと中学生みたいなことを考えてしまう。
 少し前にニセコスキー場にスノボーをやりに行ったんだけれど、滑っている途中で、僕はなんなんだろう? こんなところになぜいるんだ? って思いはじめてしまい体に力が入らなくってゴロンゴロンっと転がってしまった。
 そしてコースの端っこに張られた網にもたれながら、降り注いでくる雪を全身に浴びつつ寝た。
 これって今思えば、無意識下にある自殺願望のようなものが表に出たってことなのかもしれない。

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混乱を極めた人生

 これから年をとっていけば、もっと嫌に思えることが増えるのだろう。
 息抜きに公園のブランコでひとり遊ぶことがあるんだけれど、おっさんになれば不審者として通報されるだろうし、ノリノリの中学生ヤンキーに刺されるかもしれない。
 この先、痛いことだらけなんだろうな。
 国民健康保険にはしっかり加入しているけれど、だからといって痛みが消えて無くなるわけじゃない。
 激痛に耐えられなくて転げ回るように、一生を過ごさないとならないのだろう。

 数日前、昼ご飯を食べる約束をしていたため、チャリで立ち漕ぎしながら店に向かったんだが、そこで待っていた知り合いに、
「良い大人の癖して立ち漕ぎするなよ。恥ずかしいぞ?」
 鼻で笑われ、目で悲しまれた。
 なにをやってもダメなんだな。瞬間的でにはあるが、そんな自己評価をしてしまった。
 そんな日は早々と切り上げて、自分の部屋に籠もるに限る。
 パソコンを立ち上げて、あられもない姿の写真が流出してしまった人々について調べることにより、溜飲を下げるのだ。
 でも、他人を人柱にすることで自分を救うという品性下劣な行いのせいで、強い自責の念に駆られてしまう。
 自律神経がはじけ飛びそうなぐらい、自分と自分の存在する世界そのものが憎く思えてくる。

 だから、戸川純の『蛹化の女』という曲を大音量で流し、砂糖・食塩不使用のトマトジュース(900ml)を一気飲みし、コアマガジンから出ている『絶望社会』だとかそういうマンガを読んだりして、暗い気分から抜け出せるように努めている。
 でもそうやってあがけばあがくほど、惨めな気持ちがより積もっていく。
 なんだか自分を破壊したい気持ちになってくるから、夜の街に出向いて散財してしまう。
 つい最近もそんなことがあった。そのとき行った店でちょうど女の子のバースデーイベントがやっていて、待合室が芋洗い状態だった。
 僕の周りに座っていた客どもは、大概中年のオヤジだったのだが、なぜかどいつもこいつもリボン付きの箱を持っていた。
 しかも、ふぇへへと小さく笑い声が漏れ聞こえてきて、寒気が止まらなかった。
 どうしてみんな、本名すら教えてくれない女の子に、そこまで尽くせるのだろう。それも心底嬉しそうな、本当に本当に幸せそうな笑顔を浮かべながら。
 せっかく気晴らしになると思ってやってきたのに、自分はここでも通用しないんじゃないかと思ってしまった。
 ぷるぷる震えながら、ケラケラ笑うオヤジたちの間で僕は耐え続けた。
 我慢だ我慢だ……。
 そう自分に言い聞かせながら待ち続け、「お次お待ちのお客様」と呼ばれたので行くと、
 アスパラガスの先っぽのような髪型をしたおばさんが、ヤニで薄汚れた前歯を覗かせて立っていた。
 人間の人生は、一度落ち始めると止まらないんだなと思って今にも涙を流しそうになった。
 でも泣いてしまったら、アスパラガスが濃厚なサービスという地獄のお節介を焼いてくるんじゃないかと思ったから、太ももをつねりあげながら耐えた。

考え詰めるほどに、冷たさを増す人生

 だからネットで善良な人々を怒らせたり、あえて本音を洗いざらいぶちまけ、白い目で見てくれる人をたくさん作って喜んだりするような、リスカ的行為をバンバン打ち出して、自分の心を凍らせないように気をつけている。
 苦肉の策ではあるが、こうした馬鹿げた過ちの連打によって、自己が完全崩壊してしまう未来を避けている。

 谷底に蹴り落とされては引き上げられ、かと思いきやまた殴り落とされる。
 なんて落差の激しい人生なのだろう。
 いっそ、無駄な抵抗はやめなさいってことで腕のある狙撃手によって、脳天を撃ち抜かれたい。
 脳髄が花火のように弾け飛ぶそのときは、きっと最期の力を振り絞ってバンザイすると思う。
 大空よ、全宇宙よ、創造主よ。さらばだ!
 粉々になりながら、そう感謝の念と別れの言葉を放つことを約束しておく。

 もうそろそろ三十歳になるというのに、とてつもなくウジウジしていた中学二年生の頃と変わらないな。
 絶望と孤独と限界を深く知ってしまった今は、もしかしたら最も卑屈でどうしようもない精神状態なのかもしれない。
 だから、この絶望感を二次元に解き放ち続けていないと、発狂絶叫しそうになる。

 自分より成功している人間を、引きずり下ろしたい衝動に駆られる機会も増えた。
 こうして人は、三次元の人格までも2ちゃんねらーになって行くのだろう。

どれだけお腹いっぱい食べても、またお腹が空く

 人生ってのはそんな風に、繰り返すだけだ。
 その繰り返しに耐えられなくなった僕みたいな人間は、ゆっくりと人格破綻していき、いつかこの辛すぎる現実すら見ようと思っても見られないぐらいに、おかしくなっちゃうんだろうな。
 それまでの想い出として、この深い闇のような人生を凝視しておくとしよう。
 真っ暗でおっかない記憶をたくさん蓄えるんだ。
 そのためにも、もっと苦しまなきゃ。
 苦しさを追い求めなくては。
 がんばって生きよう。