ピピピピピの爽やかな日記帳

ピピピピピの爽やかな日記帳

親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

ピピピピピの爽やかな日記帳

メンヘラ系の記事は死んでも書かないようにしようと思う

死にたいだとか、人生に疲れただとか、もう終わりですとか

 こんな言葉を大量投入するような記事は、一切禁止とすることにした。

 今日の朝、気づいたら手が勝手に動いていて、『日本に安楽死施設が出来ても、そう簡単に人は死ねないだろう』といった病んだ記事が完成していた。
 ネガティブな事柄満載で4000文字ぐらいになった。

 寝起きはすこぶる調子良かったし、今日も良い日がはじまろうとしていると思ったのに、なんかそんな文章を書いたせいで気分を害した。

人間は言語で考える生き物であり、言葉によって死ぬ

 そら言葉を駆使して死について思考し書き出したら、心が疲弊するよ。
 自業自得のデスゲームでしかない。

 もう削除してしまったが、以前のブログでは憂鬱な現状を盛りたい放題にした記事をわんさか投稿していた。
 そのせいで、はてなにいればいるほどQOLが低下し、もう人生の終えどきかなと日がな一日思っていた。

 人の心は、鬱々とした状況ではなく、それに対する自分の言葉によって汚染されて行く。
 書けばスッキリするという考えもあるが、それは頭の中で散らかっているものをまとめるから良いのであって、そのレベルを超えてなぜ自分は死にたいか? などを深めて書けば暗黒面に墜ちないはずがない。

メンヘラ記事の投稿は、毒物を飲んでいるのとおなじ

 しかも自分の心と対話しながら感情込めて書くと、日に日に文章力が伸びて行く。
 そうして思考力、筆力が高まれば、自分を貶めることも容易になる。
『わたしの人生が最低最悪なたった一つの理由』
 この題に通ずるような感覚で、己の人生の退屈さ愚かさ酷さを列挙していけば、誰であれ毒されてしまう。

 だから僕は、死んでもメンヘラ記事を書くことはないだろうし、メンヘラ記事を書くぐらいならいっそのこと死ぬことにしようと思う。
 そうやって、手っ取り早く、効率的で、効果的な、人生を歩んでいきたい。

 鬱々としてメンヘラ記事を書くなんてのは自殺行為なんだよね。
 自分の人生を悪く思って悩んで生きていれば、手に負えない不安感や焦燥感で眠れない日々がやってくる。
 メンヘラ記事と睡眠不足と憂鬱、これらがセットになったらどうなるか。
 臨界点を越え、人の心は死ぬ。

 思考力を高めた内向きメンヘラは、そのように終わりを探して彷徨い歩いていく。

 だから、塞ぎ込みやすい人は、メンヘラ記事か睡眠不足か憂鬱か、のどれかを捨てなくちゃならない。
 この三つをやってしまうと、家を出て靴を脱いで飛び降りる、となんら変わりない死の日々を過ごすハメになるからだ。
 誰だって、絶望が全身に張り付き、毛穴を通って体内にまで侵入してくるような、真っ赤なステータスで生きたくはないだろう。

 メンヘラはヘラることにより、ますます強化されて進化してしまう。
 そうならないためにも、ヘラることを回避する日常を送ることが必要なのである。

 だから、死遊び文章はもう二度と書くことはないだろう。

 

 たぶん遺書も書かずに最後の日を迎えると思う。

 

 

 

鋼のメンタル (新潮新書)

鋼のメンタル (新潮新書)