ピピピピピの爽やかな日記帳

ピピピピピの爽やかな日記帳

親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

ピピピピピの爽やかな日記帳

個人ブログの世間的価値は低下している? 数年前は一記事で4万PVとかざらにあった

はてブからの流入数が極端に下がったという話をちょくちょく耳にする

 中でも情緒的な文章を書いているようなブロガー、つまりどこまでも個人の日記的なブログ記事は伸びなくなっている。
 2014年くらいは、ひな壇芸人みたいな、はてな的中堅ブロガーでもはてブだけで月に10万PV以上稼げる時代だった。この僕も二日で4万PV稼げたりしていた。
 一夜にして億万長者になれるチャンスがごろごろ転がっていた。
 というのもはてブの威力が強烈だったため、そのお陰で2chやまとめサイトなど、人の目につきやすい場所へと拡散されて行ったからだ。
 こうしたPV爆発の連鎖が、起きなくなってきている。
 ここ数年で人類の大半が死んだ訳でもないのに、だ。
 やはり我も我もと、人気ブロガーを志す若手が増え過ぎたせいだろうか。
 僕がはじめてはてなに参上した3年前は、収益報告だとか、互助会問題なんて騒がれちゃいなかった。
 田舎の老人会みたいに、ほんわかな雰囲気が漂っていた。
 誰かを出し抜こうというオラオラを発揮する人は、あまり見掛けなかった。
 今はどうかっていうと、東京の山手線みたいになっている。
 人が密集しているために、人を人として見られる余裕がなくなったのだ。
 人が集まり過ぎると、そこに悪意が生まれる、ということが分かった。
 人は皆、我が強い。
 この世に上昇意欲のない人は存在しないってことが分かった。
 口先では、「私なんて……」「PVとか気にしてません」「平凡な日常を送れたらそれで十分です!」という人たちの瞳がぎらついている。
 全てのブロガーの目標地点は、猿山の頂点なのだ。
「私は書くのが好きなだけなんです。書けるだけで良いので、PVとかお金なんて関係ありません」というセルフハンディキャップを武器にして、ヘイコラしながら人を殴って勝者になろうとしている。
 人生って極端に言えば、喧嘩なんだなと思った。
 ルール無用であり、どんな手を使ってでも最後に立っていた者の勝ち。
 引きこもりニートという金属バットを握る者、メンヘラというメリケンサックをはめる者、子育て主婦というスタンガンを持つ者。
 どいつもこいつもキャラクターに違いあれど、全員が武者なのだ。
 そもそも良い人間なんていないし、誰もが己の価値観に従って生きているだけである。

 際限なく悪意がぶつかっているために、規制を設けずにはいられなくなり、結果この様という訳だ。

 人間が人間を苦しめている。ブロガーがブロガーを追い込んでいる。

 素敵な世界だ。

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これからは浅い人の需要が増えて行く

「長時間働きたくない!」「自由な生き方!」を望む人が増殖し続ける社会情勢になっているからだ。
 適当に好きなことやって生きて、ダメだったら生活保護を貰えばいいやというレールが既に出来上がりつつある。
 そのため、暇というか、自由な時間を獲得する稼ぎの少ない人がこれから増えて行く。
 そうなると、無料レベルの遊びに飛びつく人が増える。
 だから、お金がなくても自分でなにかを産み出して承認欲求を満たせることをやり始める人が増えるだろう。
 ブロガーなど物書き、YouTuberも、考えられないくらいに増え続ける。
 こうなるとどうなるかっていうと、大概の人は自分の才能のなさに打ちのめされる訳だ。
 自由の中で不自由さを知ってのたうち回る。
 このとき、浅い人間の中から神が生まれる。
 自己実現出来なかった者の支えになるのは、大した力を持っていない癖に売れ始めた人のリアルタイムな成功情報である。
 そんな光景を見ると、「あ、俺なんかでも運良く一発当てられるかも!」とワンチャン思考になっていく。
 つまり、浅くて輝く人が才能のない人の夢になる。夢を見せてくれる神様となる。
 浅くて成功した自分を見せつける。
 こんなビジネスモデルがどんどん強化されててゆく。
 だから今後は、明らかに素人としか思えない下手くそな成功者が、様々な分野で出現することが予測される。
 それは僕ら一般人の希望だから。
 将来的にはそういう浅い人が、深いことを口にする人なんかよりも、人を幸せにするようになるかもしれない。
 簡単にいえば、疲れた人の疲れを誤魔化す商材が売れやすくなる。
 実際にその人の成長の後押しはしないんだけれど、瞬間的に希望をもたらせるもの。
「なんでこんな浅い文章が売れるんだろう」「なんでこんな浅いブロガーが人気なんだろう」と、近頃でもそんな感想を抱いた人はたくさんいると思う。
 それは、時代とマッチした商品を押し出しているからだ。
 きっとこのまま、需要と供給が釣り合うレベルまでになるような気がする。
 そうなれば、浅いことはそう簡単にダメなことと言えなくなってくるんじゃないか。
 人が求めるものを打ち出して、刹那的にでも快の感情を生じさせる。
 これは一つの立派なビジネスだろう。
 僕が働く会社にも、無料で簡単に調べて実行できるような事柄を頼んでくるクライアントが訪れる。
 こっちは浅い働きしかしていないが、向こうは大変喜んで大枚をはたいてくれる。
 今すぐ解決したい問題をさっさと片付けたいクライアントがいて、こっちは既存の情報の横流しをするだけでお金を貰う。
 この程度のことでも、時と場合によれば人は幸せになる。
 ブログなんかもそうで、世の中は広いから浅くてぺら読みしてなんとなく気持ち良くなれるような文章を求めている読者が存在する。
 彼らに対して、ありきたりな言葉を送ってあげて喜んで貰えるなら、それはそれで貢献出来たということになる。
 浅さを悪で語る風潮は、表向きにはどんどん廃れて行くだろうね。
 もちろんそれを良しとしない連中は、延々と怒りを裏で撒き散らし続けるだろうが。
 繰り返しになるが、これからの日本社会は、お金はないけれど暇な時間を持った人がまだまだ増える。
 無理な働き方なんて一切しないよ、会社なんてやーめたって考えるのが自然の流れになってきているからだ。
 だから、YOUTUBEとかで馬鹿なことだけやって金を貰っている浅い人などに憧れを持つ人が爆発的に増えて行く。
 昔ながらの社会的レールを外れているのに、成功している人が羨ましいと考えるからだ。
 人は影響されやすいものだから、最初はそんなのありえないと思っていても、一人また一人とそういう人を尊敬する人が増えていくと、どんどんその傾向は拡大してゆく。

ただただ真面目な人ってのは、今までよりも損をする社会

 やはり臨機応変さ、つまり適応力のある者が勝つ社会になる。
 リングの上じゃなく、喧嘩の強い人間が勝ち上がる。
 クリエイティブに人を叩きのめせる人。
 心の中だけで優しい人なんて意味ないように、これからは人を楽しませられない人は、より孤独を感じるだろう。

承認の取り合いが加熱する

 今後は肉体的には疲れていないけれど、精神的に限界を来して他界する人が、右肩上がりに伸びる。
 今もそうだけれど、誰がどれだけ承認欲求を満たせているか分かりやすい社会だ。
 そんな世界の中で、自分が恵まれていないと考え過ぎてしまうと、そらおかしくなる。
 自由という爆弾が社会に投下されているってことなんだよね。
 自由時間=豊かな時間、ではない。
 自由な日常の中でネットに接続し、自然と人と比較して落ち込んだり、自分でなにかをやろうとしてなにも出来ない無力感に苛まれて、おかしくなる可能性がある。
 社会はどんどん弱者に対して手厚くなってきている。
 しかし、僕の予想ではこれから精神的に弱い人などは、より生きるのが辛くなると思う。
 国家の保証はもっと良いものへと変化して行く可能性は高いけれど、世間の動きっていうものは、精神病者にとって耐えがたいものになるのだ。
 今後の社会は、今までにないくらい人間の醜い部分が浮き出てくるはずだ。
 通常のやり方で社会に勝てなくなった人たちは、自分がどれだけ辛い人生を送ってきたかという被害を盛って語ることで承認を得ようとしたり、逆にそういう人をズルいと強烈に主張することで承認を得ようとしたりと、電子的な戦争がこれまでにないくらい勃発することが予測される。

俺は正しい、私が正しい、僕こそ正しい、のオンパレード社会

 死ぬ気で承認を得ようとする血みどろの戦い。
 ギブアップして死んじゃう人がどんどん増えて、狂気の地獄絵図社会が完成する。
 死体の上で快楽を貪れるほど狂人にならなきゃ、人生は楽しめない。
 これからは冷酷な戦いの連続だ。

 誰かが過去のトラウマ体験を語る→辛気くさい話しないでよ、こっちまで不幸せになるから→酷い、人権侵害だ→被害妄想野郎め。自分だけが辛いと思ってんじゃねぇーぞ→ぶぇぇーーん→泣いて仲間集めて有利にしてんじゃねぇぞカス→怖いよぉぉ。○○ちゃんがかわいそうでしょやめなよ→ズルいなぁ多人数で責めてくるなんて→私たちは弱者だよ、弱者をいじめないでよ→弱者だと、なら俺も弱者と名乗るぜ、てめぇの席奪ってネットにも居場所をなくしてやっからな→うわぁあ……まずいよぉぉ……もっと弱音吐いて急いで読者獲得しなきゃ取られちゃうよぉぉぉ→あの疾病利得のカスを追い込んでやる→なんて醜悪な人、こっちの辛さも知らないで→俺の悲劇的人生も知らないで自分だけ涙流しやがって→ぶぉぉんぶおおぉん、いっぱい涙落とそう……涙、涙、涙……もっともっと……、私の痛みはお金に繋がるよぉぉぉ……→あの野郎、PVと金で気持ち良くなりやがって、安い正義で刺されてる俺は鬱状態だ、弱者だ……→いいえ、わたしの方が弱者ですよふぇぇぇええん、かわいく悲鳴を上げるぅぅぅぅ、もっともっと弱ろう、おいで目眩ちゃん、おいで立ち眩みちゃん、おいで病みちゃん……弱者……弱者最高→すいませんでした、死ぬことにします→はぁ? クソオヤジ、地獄を味わいながら生きろよゴミカス。私のせいになったらどうすんだボケ→あなたの躁鬱が転移したのか心身が酷いんです……うぅぅ→うぁあぁ、あの人嘘の精神病を口にして私を追い込んでくる、死にたい……→みんなで死のう→グサっ→ジュパッ→赤い→温かい→やったぁ(群衆)席が空いたぁ(その他の群衆)→弱者ってかわいそうだねぇ~(心で笑う群衆)。

 こんな愚かな争いが終わらなくなる社会が既に始まっている。
 弱者の生きにくさっていうのは、これから間違いなく倍増してゆく。
 であるから今のうちに、躊躇なくなにかをやる訓練をしておかなきゃならない。
 信じたくないだろうけれど、ズルい人が最も得をする社会になって行く。
 卑怯な人たちが社会を巨大化させているのだから、その仕組みに乗っかって上手いことやれた者が勝つに決まっている。
 大事なのは綺麗事を捨てること。
 そして、他人に対してズルいという感情を持った際に、それは果たして道義的な意味での批判をするために抱いたものなのか、あるいは自分には出来ないことをやってのけて得をしているから、ひとまず不快な思いをしただけなのか、っていうことを冷静に考えた方が良い。
 大半の人は後者なのだ。
 我々人類の心はとうに腐っている。

 終わっているのは文学じゃない、人間の心なのだ。

 

野性の条件 (角川文庫)

野性の条件 (角川文庫)

 

(この本がなぜか好きでしつこいくらいに読んでいるのだが、やはり人間は野性が必要だと思うね。本能に助けられてこそ、勝ち上がれる。リアリティとかそういうものは抜きにして、異常性を抱えたまま生き抜く人の人生が映像的に流れるような豪快な物語だから、読んでいて勝ち気になってくる。ドーピング剤みたいな小説である)

 

ミラーマンの時間 (1977年) (角川文庫)

ミラーマンの時間 (1977年) (角川文庫)

 

(短編集だが、「白いペン・赤いボタン」という話を数十回読んだ。これもすかっと終わって、全能感というかメンタルが強化される作品なんだよね。後味の悪い作品も好きなんだけど、やっぱりこういう人生を勝ち上がるための燃料を投下してくれるようなのが最も好き。生きていく中でやるしかねぇな、と拳を握らせてくれる小説は最強。僕は他人の話を聞くのが嫌いであり素直じゃない人間なのだが、こういう作品の登場人物の言葉には耳を傾ける)