ピピピピピの爽やかな日記帳

ピピピピピの爽やかな日記帳

親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

ピピピピピの爽やかな日記帳

最高年収2000万円以上の家庭で育てられる地獄の辛さを、経験者の僕がお伝えします

僕は贅沢な暮らしの犠牲者

 僕の父親は会社役員だったから年収1200~2000万円ほどあり、高級車などは会社持ちで用意してくれがために、比較的裕福な暮らしだった。
 その上、母親もバリバリ働きに出ていたことで、二人とも値札を見ない買い物を良くしていた。
 この話をすると羨ましいと思う人もいるかもしれないが、それは勘違い甚だしい。
 一見すると猿だけど、チンパンジーのような話である。
 僕は恵まれた環境の犠牲者だ。

僕が求めていたのは札束なんかじゃなくて、引き続く愛情だった

 でも愛を求めて彷徨ったが、いつまで経っても愛の所在地は分からずじまいだった。
 愛は一体どこにあるのだろう?
 父や母が、金と一緒に僕へ手渡したのは、誘惑・快楽・刺激・堕落・麻痺・狂気・倦怠・中毒・依存などなど、神経に作用する負の要素であり、総合すると借金をさせられているような気持ちになっていた。
 好き放題なんでも買って貰って得をしつつも、自分の中の大事な物が奪われて損をしているという感覚が常にあった。
 金持ちの親の溺愛は、常に逆進性を抱えている。
 やはり、親の教育方針が悪いというか、子育てスキルが低いというか、リスクマネジメント不足としか言いようがない。
 二十年前の父と母は、想像力が欠如していたことによって、僕をどん底に落としてしまった。
 つまり父と母は二度、出産している。
 赤ちゃんの僕と、犠牲者という僕を。

お金があったことで、僕がどのような被害を被ったか

 親が僕の喜びそうなものを全て買い与えてくれたせいで、主体的に夢を見てそれを叶える能力が低くなった
 ありとあらゆるゲームを次々にプレゼントしてくれたせいで、一つの物語を深く学べるほどに執念深くプレイするという集中力が損なわれた
 欲しいものが一通り手に入る生活のせいで、幼くてして人頼みの精神を持ってしまった
 頑張ることで何かが手に入るという喜びを教えてくれなかったせいで、自堕落に暮らしていても何とかなるという運頼みで生きる人間になってしまった
 駄々をこねる前になんでも買ってくれたせいで、我慢出来ない性格となり大学を三日で辞め、それからすぐ100万円ほどの借金を背負う羽目になった
 待っていれば全て解決するという考えを持つようになってしまったせいで、借金も全て親に返済して貰いのうのうと暮らせるようになってしまった
 少年期という大切な時期に猛毒レベルの甘やかしを受けてしまったせいで、自ら頑張るという発想を持つことが出来ず、低学歴になってしまった
 ざっとこんなとこだろう。

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僕は甘やかされて育てられなければ、高学歴エリートであったはずだ

 冗談抜きの話で、僕は年収400万円くらいの慎ましい家庭に生まれていたら、慶応早稲田辺りの大学には一発で合格出来ただろうし、間違いなくエリートコースを走っていたんじゃないかと思っている。
 これは可能世界(クレオパトラの鼻が一センチ低いだけでも歴史が変わっていたはず)という哲学的領域の話になってしまうが、幼少期の僕はどう考えても、名のある何者かになれるだけの才能を秘めていた。
 パステル画みたいに朗らかでやんわりとした性格だったのに、今じゃ血のダイイングメッセージにも劣らないおぞましい人間になってしまった。
 せっかく黄金ロードを歩いていたのに、ちょっとばかし他家よりも多いお金が迫ってきて、僕を横へ横へと押しやり、転落の坂道へと追いやったのだ。
 僕に備わっていた純粋無垢な力は、親の荒い金遣いというぶん殴りによって、全て綺麗さっぱりなくなってしまった。
 これって数億円の損失をしたようなものだ。
 僕は、親のマネーという手枷足枷によって動けない子供時代を過ごしていたから、取るに足らない存在になってしまった。

全ては、親の教育と社会のせいである

 人のせいにしても何も始まらないが、それを理解した上で、何が原因であったかを感情に流されずじっくり考えてみた結果、やはり親と社会が諸悪の根源であること間違いなしだった。
 こういうことを口にすると、「情けないな。お前みたいなもんはどんな環境でも出来損ないだよ」と分かった口を利く人が出るだろうけれど、逆にいってやりたい。「おまえも生まれてみ。来世で年収1000万円以上の家に生まれてみ? 絶対僕と同じような辛さを味わうから」と。
 マネーのダイナミズムによって、僕の心性が台無しになってしまった。
 今や僕は熟成されたナマケモノだ。
 忍耐力は人間の水準に達していないし、快楽を得るために定石を踏むことも出来ないからすぐに女子に手を出そうとしてフラれてしまい、否応なく涙が落ちてくる。
 こうした愚痴を思うままに記事にして世に出すとミソジニーだと蔑まれてしまうし、少し前には、『スーパーナチュラル責任転嫁マン』と罵られてしまった。
 それもこれも全ては、金が持つ魔力のせいだ。
 僕の父親は、山村の暮らしに嫌気が差して都会に飛び出し、そうして一気に稼げるようになった新興成金タイプである。
 だからあの頃は、捨てるように金を使っていた。
 そうした豪快な金遣いが、僕をたわけにしてしまうとは、あの頃の父親は知るよしもなかった。

贅沢という苦行によって、僕は潰れてしまった

 父と母とは今も仲良しであるし、過去の横暴な父と母にも感謝している。
 しかし、好きなだけおもちゃを買ってくれたり、マンガを全巻一気買いしてくれたり、ゲームセンターでは一万円札をくれて飽きるまでプレイさせてくれたり、散々なくらい誘惑されてしまい、そのせいでダメ人間になってしまった。
 袋小路に追い込まれて、ゴールド版でしこたま殴られているような少年時代だったんだ。
 僕の父親は有能な人間であるし、母親もそこそこな人間だから、僕は劣悪遺伝子のようなものを受け継いでいないはずなのに、没落者になってしまっている。
 これは間違いなく、親の育て方、湯水のように使ってくれたお金のせいである。
 世の中には、様々な種類のダメ人間が存在するけれど、やはりそれって親の育て方と、社会の仕組みのせいだ。
 ガキの時代に誘惑に打ち勝てる者などごく一握りであるのに、なぜ僕のわがままを全て叶えてくれるような真似をしたのだろうか。
 飼育法に難があるとしか思えない。
 地団駄など一度も踏んだことがなかった。欲しい、の一言で大抵のものは買ってくれたからだ。
 そのせいで忍耐力を失い、快楽だけを追求して生きるしかない歯止め利かずのモンスターに成り果ててしまった。
 どう考えても親と社会のせいである。
 僕のような被害者を産み出さないためにも、皆さんどうか、子供の育成に細心の注意を払うようお願いします。
 他人のせいにするのは良くない、という考え方が社会には根付いているけれど、実際問題、何者かのせいで人はおかしくなるものだ。
 僕は他人のせい、という外的要因がなければ間違いなくエリートであっただろう。高級官僚になっていたかもしれない。
 誠に残念。至極無念。

お金に困らなかった少年期の絶望的記録

 僕が小学生の頃は、『おもちゃのハローマック』というお店があった。
 そこへ連れて行かれて、「欲しいものは全部買っておけ。二度手間になるから」と父親に命令された僕は、プレッシャーに潰されそうになりながらも、マリオカート聖剣伝説サンドラの大冒険奇々怪界などを適当に指差す。
 すると父親は考える素振りもなしに、すぐさま財布を開いて万札をひらひらさせていた。
 自宅へ向かう車の中で眠ると、大量のゲームソフトに押しつぶされる夢が展開した。

 父親は僕が持つ欲望を日々育成するゲームをしていて、僕はそうやってコントロールされながら、マリオサーキットでドリフト走行をする日々だった。

 親の操り人形であった僕は、買い与えられたスーファミのソフトを全クリするためだけに生きていた。
 ドラクエの勇者よりも冒険時間が長い少年だった。

 小学生の時分は、そのようなモノカルチャーな家庭空間の中でカチャカチャと丸っこいコントローラを握り込むだけで日が暮れた。

 そうした廃人育成環境を作り上げながらも、父親は僕に対して、「勉強しろ。四の五の言うな。ゲームばかりしているとバカになるぞ」と口酸っぱくいった。
 しかしやはり言行不一致の父親、翌日にはがんばれゴエモンドカポン牧場物語川のぬし釣りなどを意味もなく一気買いしてきて、「遊ぶときは遊ぶ。勉強するときは勉強する。切り替え能力をきらきらに磨くんだぞ」と満面の笑みで僕の懐にぐいぐいと突っ込んできた。

 判断能力の低い少年時代に、ゲームソフトが頼む必要もなしに間断なく飛び込んでくるのは、もはや中枢興奮剤を注入させられているに等しかった。
 甘過ぎる味わいの日常を過ごしているもんだから、苦味のある――つまり、自分の思い通りにならないことに遭遇すると、誰よりも大きく叫んだ。泣き叫びを赤子の専売特許にさせてたまるか、という気概を示すように、喚き散らした。
 若くして僕は快感原則の鬼となり、快か不快だけで全てを判断する冷酷な人間となってしまった。
 とりわけ小学校4~6年生は問題児であり、隣に座る男が頬を膨らませているのに我慢ならず立ち上がって、真上から振り下ろすように、その風船じみたツラに拳を墜落させた。
 鼻血を垂らして泣く男の前で僕は、胸中の不快感が雲散して、同時に温かい気持ちになった。
 自己利益の追求こそが幸せに通じるんだ、と幼いながらもぼんやりと考えた。
 ムカツクという気持ちは、ムカツク対象が存在するがゆえに発生する悪性の感情であって、全ては目前の不快物質を始末することで解消する、そう確信していた。
 このようにあの頃の僕は、何不自由なく育てられたことにより、共感意識や忍耐力というものが欠落していて、どこで何をしていても苛立ちが脳と心を支配した。

欲しいと願っているのに手に入らない=虐げられている

 そのため、新作のゲームソフトに取り囲まれながらも、「僕ほどの灰かぶり姫は他に存在しない」と嘆くことを辞められなかった。
 父親の手によって、快楽という地獄に叩き落とされたことによって、全神経に強欲がベタ塗りされてしまい、救いようのない即物的な餓鬼となってしまった。
 老婦人に固めた雪玉を何発もぶつけて、道をどかせたこともあった。

 物心ついて間もない子供にとっての快楽遊びは、脳汚染薬物を投与するのと変わらず、アッパーとダウナーが入り交じる分裂病のような症状を引き起こしてしまうのだ。

 その上、醜い自尊感情を持っていたから、「学校の教師みたいな存在にこの僕が指導させられてたまるか、先公は例外なくろくでもない」と下に見ていたせいで、授業を真面目に受けるということはただの一度もなかった。

幼少期、少年期、青年期の僕に与えられたのは幸せなんてものではなく、劇毒にも勝る快楽という悲劇だった

 奢侈に流された豪華で不幸せな時の流れの中で、自己利益という栄養だけが、僕の心の中に群居していた。

家庭内に愛情はなく、無惨な死体のように金だけが散らばっていた

 愛情が欲しかった。

 愛がない……愛がない。来る日も来る日も愛がどこにあるか、お金はもういい、愛の居場所を教えてくれ、と心の内側で叫び続けていた。

 夫婦の不和も酷く、奇声と打撃音が飛び交っていて、僕は観葉植物にしがみつきながら、「ぁぁああああ!」「あぁあああ!」「あぁぁああ!」と親に負けじと悲鳴を高々と上げることによって、現実逃避を実力行使した。
 心を塞ぎ込んでへたり込んでいると、シャツに血を飛び散らせた父と母が青白い顔をして戻ってきて、そのままゆっくりとではあるが、いつもの日常に回帰する。
 快楽を求める欲望と、現実から逃げ出したい逃避願望が混交してしまった僕は、自分を守りながら一人気持ち悪く楽しむという方針で人生を生きるようになった。

 殻に閉じこもってニヤニヤするような日々の到来であり、そんな僕に奇異の感を抱いた同級生達は、暴力を振るってきた。

イジメを受けるようになったが、もうその頃には戦うという意志は消失していた

 なぜなら、父と母の血みどろの決闘をしょっちゅう見せつけられたことによって、恐怖だけが心を駆け巡り、手も足も出せなくなるという麻痺状態になっていたためだ。
 痛かった。でも笑っていた。
 あれはきっと今思えば、反動形成であり、心の底から嫌だったからこそ、その苦痛を与えてくる奴らを遊んでくれる仲間と認識することで、自我の崩壊を避けようとし、自分を守るために感謝の笑いを偽装したのだ。

人は地獄を天国と勘違いする生き物であり、人は天国を地獄と勘違いする

 悲劇の中で起きる防衛機制は、目前に天国を映し出すプロジェクターの役割をしている。
 厳格な神の存在を信じて疑わない一神教の信者たちは、迫害された過去を持っているものであり、その悲劇ゆえに希望(神様)が生成されている。
 悲しみの中で掴み取る希望というのは、毒林檎も同じで、それを吸収した途端に本来の自分が死んでしまう。
 つまり抑圧という奴であり、人がそうやって自分を抑え込むと、こうした悲劇ゆえに希望を求めて彷徨わなくてはならなくなり、救いを求めて救いを自己創作してしまい、蜃気楼のように脆い喜びを抱えることになる。
 実体もない、事実でもない、そう、神様のようなありもしないものに追いすがって生きるしかなくなってしまうのだ。

希望とは悲劇の産物である、と僕は確信している

 目に見える者に虐待されているから、目に見えない者に助けを乞う。
 希望は不幸の街に存在する。
 希望を見つけたとき、それは悲劇の再認識をしたことにもなる。
 このように僕の心は屈折してしまい、天国も神も信じない、無神の愚か者に成り果ててしまった。

 少年期には既に、夢や希望を謳う人間を生き地獄池の釣り師だと考え、彼らはかわいそうな人間を釣り上げて笑いものにしようと企んでいるに決まっているとしか思えなくなっていた。
 だから僕は、小学校を卒業する頃には厭世主義者であった。
 人は人に迷惑を掛けるために生きているのであり、時計の針は我々に地獄がまだまだ継続することを伝えるために動いているのだと思っていた。

逃亡と快楽追求だけが、人生でやるべきことだと考えるようになってしまった

 そう考えた僕は、将来を捨て、ただ遊ぶことだけを覚えた。
 父親が僕を持ち上げて床に叩きつけようと、勉学に励むことはせず、ただ一人自室に篭もって、黙々とゲームをプレイしたり、小説を読んだりして、生きているという実感から遠ざかり、楽しさ、気持ち良さ、逃避感だけに溺れた。

快楽を追うというのは、実のところ、人生から逃げている行為ともいえる

 人は欲に全力で溺れているとき、我を忘れられるからだ。
 これほど激しい逃亡は他に存在しない。

 ということは僕が現在も快楽主義者なのは、人生から逃げ出したい、人生を終えたい、ということに繋がってくるのであろうか。
 無意識に育まれる自殺願望というものがあるのかもしれない。

 常日頃から、「逃げ出すためにはどうするか? 逃げる他に選択はないでしょう。逃げるために逃げるのです」というトートロジーな時間ばかりが過ぎていて、ただただ逃亡先を探して生きている。
 僕は指名手配犯よりも逃げたい存在なのだ。

こんなにも辛い人生が他にあるのだろうか……

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