ピピピピピの爽やかな日記帳

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ピピピピピの爽やかな日記帳

親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

ピピピピピの爽やかな日記帳

年収2000万円以上の父親がプレゼントしてくれようとした、億単位の保険金について

※追記・注意 一部修正させて頂きました 2016/11/20 9:01

 僕の中では最低限の配慮は出来ているつもりでしたが、少々過激に思う方もいましたので、記事タイトル、当時の崩壊した部屋の写真や数万文字単位で掲載したネガティブ日記写真、最後のブラックジョークは削除させて頂いたので、ざっくりした終わり方だな……と思う方もいるかもしれませんが、ご容赦ください。

 この記事はハッピーエンド作品のようなものであり、落ちるところまで落ちた過去のある僕ですが、現在は急浮上し、父が経営するコンサル会社で働いておりますので、この文章自体はネガティブなものであるにせよ、現時点での僕や父は幸せに満ち溢れた牧歌的な暮らしを存分に楽しんでいます。ご安心ください。

 それとですが、僕は炎上させたり人を煽る気持ちは一切なく、過去にも今にも炎上や煽りによって記事のアクセス数を増やしたことは一度もありませんし、たまにスーパーナチュラル責任転嫁マンであると罵られたり、炎上煽りを趣味とした心のねじ曲がった子供と評されるのですが、それは全くの筋違いな話でして、ただただ純粋な気持ちから、社会の底部に叩きつけられて無気力になった人生がどれほど苦痛に満ちているかといった、嘘偽りのない事実を今回の記事では書きたかっただけですし、これは大変意義のある社会活動であり、募金したり異国へボランティアへ行くも似た慈善活動に近いなと自負しておりますし、どこからどう見ても炎上や煽りを主体とする文章でないことは一目瞭然であるのにも関わらず、僕の父親が過去に『年収2000万円以上』だったという嫉妬心を煽るパワーワードによって、得手勝手に妬み嫉み、激怒した一部の人たちが、朝から晩までムシャクシャして、僕を虐げ、支配し、飼育しようと、罵詈雑言という虫取り網を持って追いかけてきます。まるで真夏の虫取り少年ですよ。

精神疾患と保険金の話

 父が働いていた会社の役員が一斉交代して、その影響で居場所がなくなってしまい、そんなに重くはなかったみたいだが、精神的な病を発症してしまったのだ。
 ほとんど父の貢献によって会社が大きくなったのに、恩を仇で返される冷酷な事態が訪れた。
 それにより、働かなければ家族を助けてやれないと考えた父は、自害の道を選んだ。
「保険金さえおまえたちの手元に残せば、専業主婦のお母さんや、引きこもりニートのおまえにいくらかの救いを与えてやれると考えたんだ」と書かれた手紙を貰った。
 しかし、その直前に生命保険がきちんと出るかを確認したところ、加入期間がもう少しだけ足りなくてまだ全額は出ないということが分かり、その間をどう生きようかと思い悩んでいた父の横で、多数の電話が鳴り響いた。
 「○○さん大丈夫ですか? 急に顔を見せなくなったので驚きました。会社辞めてしまうんですか? 困っていることあればなんでもいってください。独立するのであれば、今日中にでも乗り換えますよ!」「○○さんじゃないと困るんですよ!」「○○さんには感謝していますから、今度は私たちの方が頑張らせて貰います!」
 父を慕うお客さんたちからの、救いの手が次々に伸びてきたのだ。
 それらの言葉に尻を叩かれた父は、一念発起して開業を心に決めた。
 ちょっとでも歯車が違えば、既にこの世に経営者である父がいなかったかと思うと、冷や汗が出てくる。
 父が保険金によって、家族を救うという使命に囚われてしまった原因のいくらかは、もしかすると、仕送り40万円で引きこもりニート生活を送っていた僕にあったのかもしれない。
 会社を辞めてしまって療養期間に入り、今後の展望も暗いとなれば、体たらくな僕という息子を、不幸で貧困などん底に落としてしまう。
 そんな最悪の結末を止めようとする尊い親子愛によって、父は天国へ旅立つ決意をしたのだ。
 だけれど幸運なことに、必要加入期間が少し足りなかったという女神様の配慮によって、父は命を続行することが出来た。
 人生とは偶然の積み重ねなのだ、と痛感する。
 それから開業して難なく事が進んだ訳ではなく、最初の一歩目から事件が起きた。
 待っていたのは長期にわたる裁判であり、「計画的犯行だな? 前々からクライアントを奪取するつもりだったんだろ? 盗人が」といったあらぬ疑いを、辞めた会社の連中に掛けられてしまったのだ。
 それでもお客さんたちが鼓舞してくれたことによって、父は泥沼の法廷闘争に打ち勝ち、誠実にお客さんの喜びのために働いた結果、少しずつ会社の規模は大きくなり、もうすぐ開業十周年を迎えようとしている。
 HAPPY BIRTHDAY!

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仕送り40万円生活から転落 孤独で貧困で無能な僕は、人生に見切りを付ける

 親の開業十周年とは別に、実はもう一つ話があって、父が悲劇に見舞われたのと時を同じくして、この僕も、東京にて人生を終える覚悟を決めていた。
 父が精神を壊したために、突如40万円の仕送りが0円になるという報告を受け、生きる気概を失ったためだ。
 孤独な東京一人暮らしで、ただの一人も友達がいないうえに、彼女いない歴=年齢であり、人生は完膚なきまでに詰んでいると思えた。
 こんなに不幸せな人間は、僕を除いてこの地球上にただの一人も存在しないではないか、と神に怒りを訴え続けた。
 最低なことをしてしまった思い出が、胸の奥から毒虫のように這い上ってくる。

金の切れ目が縁の切れ目を実行した親子

「仕送り停止だと? ならば縁を切ろう。金の切れ目が縁の切れ目。最低な家庭に産み落とされてしまった。お金があることで、なんとか最低な家族の元に生まれた、最低な人生の最低な日常を最低に生き抜いていたのに、それすらもないなんて、全て終わりじゃないか!! 最低以下だ!! ふざけやがって!!」
 僕はある日の深夜、中野区のコインランドリーで、実の父に放ってしまった。
 電話越しで、最低最悪な言葉の数々を。
「僕は運悪く生まれてしまったんだ。父さんや母さんは、運悪く僕を生んでしまったんだ。もはや家族は死んでいる。終わるべきなんだよ」
 他に客のいない室内で、怒声を一息に散らして、それから通話を終了した。
 すると次の瞬間、足が切断されたような浮遊感に襲われ、すぅっと血の気が引いて自分という存在の認識が出来なくなった。
 憎しみの発散により引き金を引いてしまい、僕はアナフィラキシーショックを起こし、身体感覚が消えたのだ。
 それから何の目的もなしに、中野から高円寺、高円寺から阿佐ヶ谷へと、目的もなく幽霊のようにふわふわとおぼつかない足取りで歩いた。
 生みの親に致命的な暴言を放った僕の心にあったのは、虚無だった。
 目玉は勝手にぎょろぎょろ動くが、視界が狭まっていて、夜中の冷たい地面しか目に入らなかった。
 憎しんでいたはずなのに、永久の別れを告げて清々したはずなのに……どうして。
 晴れた日だった。
 だから僕の目から滴り落ちる、理由の分からない涙が際立っていた。
 暗闇で落ちる涙は、おぞましい虫けらのようにも見えた。
 恨まなきゃ……恨まなきゃ……恨まなきゃ……
 もっとあいつらに憎悪を向けなきゃ……
 あの家庭に人生を潰されたんだ、○○家が全ての元凶なんだ。
 あんなやつらの元に生まれなければ、あんなやつらに育てられなければ、あんなやつらに……。
 でもどうやったって、憎しみは深まらなかった。
 それどころか、急浮上した罪悪感が内部爆発を引き起こしたかのように、胸が張り裂けそうになった。
 あんなにも嫌いだった、父と母の顔が浮かんで消えなくなり、嗚咽がこみ上げた。
 親子で笑って遊んだ、楽しかった頃の記憶だけが嫌がらせのごとく、次々と脳裏で再生し、悔しいくらいに悲しい気持ちになった。
 憎しみと申し訳なさが心に積もり重なって、どれが自分の感情なのか分からなくなっていた。
 心の底から嫌いだったはずの肉親に別れをやっと告げたのに、どうして他のどんなことよりも寂しくなるんだよ……、なんであんなやつらとの関係性による涙が止まらないんだよ……、僕の暴言で父と母はどれだけ嘆き悲しんでしまったんだろう……、涙ながらの疑問を繰り返すうち、憎しみの感情を失念してしまい、罪悪感だけが手元に残った。
 ……最後の親孝行だ。
 二度と父さんと母さんに……会わない。
 僕のようなクズの存在が抹消されること、それだけが父さんと母さんの喜びのはずだ。
 夜の帳が下りた寒空の下で、涙と一緒に、そんな言葉をいくつもいくつも落とした。

悲劇への第一歩は、罪悪感に背中を押されて踏み出した

 今思えば、あの頃に抱いていた憎しみは正当なものじゃなかった。
 ズルい近親憎悪でしかなく、腑抜けで暗い僕を、僕自身が認めたくないがために、反撃をして来ない敵(父と母)を潰しさえすれば、全ての汚点が喪失し、最低とは対極の存在になれると考えた末に目覚めさせた、卑怯な考えだった。
 帰責事由を意図的に創作し、それを元に心的な損害賠償を支払わせようとする、非道な行いをしてしまった。
 世間という、実体不明で曖昧模糊とした仮想敵を持つよりも、今を生きる肉親へ恨みをぶつける方が、リアリティのある報復を行える。
 堕落者である自分を作ったのは誰だ?
 許せない、そいつらに復讐をするべきか?
 敵が存在しないと、僕の愚かさが僕のせいになる?
 それはあってはならない、もしや……父と母が元凶なのでは?
 生まれと育ちで人の人格は大方決まるらしい、やはり憎むべき敵はやつらだ!
 この僕を堕落させた、許されざる敵は、父と母だ。
 こんなクズになったのは、あいつらのせいだ……あいつらにさえ……あいつらにさえ生んで貰わなければ、僕はもっと豊かな人生を送っていたはずだ。
 憎しみだ、憎しめ、憎悪せよ。
 そうして僕は、どこまでも味方をしてくれようとした愛情のある父と母を、強大な敵と見るようになってしまった。
 恨み辛みの虜になっているうちは、己の愚かさについて考え、吐き気のする自責的な時を過ごさずに済む。
 狂信的なまでに憎悪感情を大事にしたことで、父と母への逆恨みが、凄まじい速度でおどろおどろしく醜悪に拡張し、僕の心をどす黒く満たしたのであった。
 人間はどこまでも好都合な生き物であり、人生の絶望を素直に自分のせいにすることが出来ない。
 得手勝手に生じさせた憎しみに平伏し、信者となることで、己を救おうとする。
 憎しみ万歳! 憎悪万歳! 憎しみ様! 憎悪様!
 被害者と叫べ、サバイバーと叫べ、復讐と叫べ、弱者と叫べ、悲しいと叫べ、悔しいと叫べ、辛いと叫べ、終わりだと叫べ。
 友達のせいにしろ、恋人のせいにしろ、親戚のせいにしろ、肉親のせいにしろ、政治経済のせいにしろ、人間社会のせいにしろ、地球環境のせいにしろ。
 自分に許しを与え、他者に裁きを与えよ。
 人間とは、性悪説で説明すべき存在であって、全てを他者のせいにしてしまう。
 しまいに口を突いて出るのは、「こんなにも頑張ってきたのに……頑張った、頑張った、頑張りに頑張った、頑張り続けた、頑張って来たのにこうなった、頑張ったのに環境が悪かった、頑張ったけれどどうにもならなかった、頑張ったのに頑張りを認められない社会のせいだ、頑張ったよね、頑張ったよね……自分は頑張ったよね……頑張った……」という自尊感情から吹き出る、小汚い自虐的自画自賛のみである。
 頑張ったという自慢。笑。頑張ったという自賛。笑笑。頑張ったという自信。笑笑笑。頑張ったという防衛。笑笑笑笑。頑張ったという虚言。笑笑笑笑笑。頑張ったという妄言。笑笑笑笑笑笑。頑張ったという繰り言。笑笑笑笑笑笑笑。頑張ったという無駄口。笑笑笑笑笑笑笑笑。頑張ったという空虚さ。笑笑笑笑笑笑笑笑笑。頑張ったという自己愛。笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑。頑張った笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑。頑張った……笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑。\(^o^)/笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑。
 因果律に屈した者たちの、タチの悪い自尊心が、けたたましい笑い声となって地上を彷徨い飛ぶ。
 あなたは頑張っていないよ? 本気で頑張ったのなら、そんなにも悲劇的な顔をしてわざわざ、頑張ったなどと口にする必要はないのだから。
 素直でない心から発される、頑張った気持ちは、己の中に蠢く真の極悪感情に指弾され、暗殺される運命にある。
 己の損ないを、己の腐敗を、己のクズ性を、丸々受け取らないと、偽りと自責の堂々巡りから抜けられない。
 永久不滅の裂傷から流れ出た、激痛の真っ赤な絶望によって、どこまでもどこまでも、偽言と大愚と怨嗟に塗れた、やつれた精神世界の中をどろりどろりろと巡り巡ることになる。
 人間の心とは、自分自身ですら網羅出来やしない、ブラックボックスなんだ。
 そんな愚かな存在の、最も愚かな心棒を抽出し、融合させたような存在が……僕だった。

縁を切ったのに、父と母の優しい笑顔が、僕の心から消えてくれない

 なにをやっていても親の柔和な顔が浮かんで、なんて酷いことをしてしまったんだろう……、と、半額弁当の入ったレジ袋を持って歩きながら、ぼろぼろと涙が止まらなくなってしまった。
 耐えきれなくなってポケットの中に入っていた小銭を地面に叩きつけたり、髪を掻きむしったりして、本当に狂う一歩前で立ち止まれるように、自分を叱咤した。
 忘れようとすればするほど、親の顔が浮かんでしまった。
 クリスマスに絶望して外を徘徊していたときに、古い弁当屋の前に置いてあったサンタクロースの人形を見て、小さかった頃の楽しかった思い出が一気に浮上した。
 あんな奴らとは二度と会わない、あんな奴らは親じゃない、そんな言葉を心の中で繰り返すたびに、より鮮明に父と母の笑っている顔が浮かび上がって、涙が止めどなく流れた。
 なんでこんなに嫌っているのに、胸が苦しくなるのか、理解が出来なかった。
 その頃に母親が電話で口にした、「お父さんが家族みんなのためにサヨウナラしようとしたんだよ」という言葉が、心に張り付いて離れなくなった。
 なんで……なんでだよ。
 こんなクズな子供なのに、なぜ助けるような真似するんだよ、ほっとけよ! と弁当入りのレジ袋を道路にぶん投げながら、叫び散らした。
 ぐぅっ、となる腹の音までもが、父と母と笑い合った時間を想起するのに加勢してしまい、僕の涙腺はバカになった。

違法建築物件での、嘔吐にも似たメランコリックな暮らし

 それから僕は、窓なしおんぼろゲストハウスへと、足を踏み入れた。
 新たな住処へ入るや否や、陰湿でぬるい空気が挨拶してきた。
 踏み出す足の幅が、自分でも分かるほどに狭くなっていて、僕はこんなところで住んで良いものか、と躊躇いの気持ちにやられそうになった。
 汚れの目立つ壁には、薄茶で湾曲した液体汚れのようなものがいくつもあり、その上から誰かが爪を立てたらしきひっかき傷もあって、生きたまま棺桶に入れられた気分であった。
 家というよりか刑務所であり、落ちるところまで落ちた者が、ただ呼吸をするためだけに存在する、生きることしか許されないような空間だった。
 入居者たちの顔色は薄く、呪術によって自己概念を持たずに彷徨うゾンビじみている。
 指先を見ると、焦げて潰れた腐れ肉のようになっている者もいて、身の毛がよだった。
 きっと絶望の牢獄から抜け出すため、あらん限りの力を発揮した両手で、出口の扉をこじ開けて、脱獄しようとしたのだろう。
 入り口の扉は二重になっていた。まず一つ目は、開けるたびにギーギーと音が鳴り、閉めるとガシャーンっと鏡の割れるような音の響く灰色の鉄扉、二つ目は、体当たり一発で粉々になりそうな木製扉だった。
 貧困線を下回った敗者を閉じ込める、罪なき者の監獄という印象を受けた
 口元だけの笑いを見せる担当者は、「家賃とデポジット頂戴します。あ、それとこれは約束ですが、絶対にここで住民登録は行わないでください。発覚した場合、即刻の退室を命じます。安く出来る理由、察してください」と僕に伝えて、姿勢悪く去って行った。
 その翌日、
「誰? 誰なの!? 私の歯ブラシを移動させたのは!? うぅぅぅぅぅぅうううう!! もう終わり終わり終わり終わり終わり!! 全部終わり!!」
 女の奇声が、きんきんに飛び交っていた。
 こうした悲鳴の寸劇は、朝昼晩と、嫌になるほど聞かされ、見せつけられた。
 入居者には共通点があり、どうしてだか目の下が窪んでいて、病的に青白かった。
 肌全体はくすんだ色なのに、目元だけ際立った色をしているのだ。
 それだけじゃない。上下の歯がでろでろに溶けた男や、フケを粉雪のように散らして歩く女がいて、言葉を失った。自分で体中をつねり上げたのか、全身に斑文が浮いている性別不明の者も現れ、危うく、斑点を恐れるトライポフォビアを発症しそうになった。

入居者同士のイザコザは耐えなかった

 人間社会の暗部が、可視化された場所だった。
 どういう仕組みで、どこを経由して入ってきたのかは不明だが、アルコール中毒やDV被害を抱えた生活保護受給者だらけであった。
 それもあって、とある日の深夜、迷惑を考えない無線の音が聞こえて来たため、部屋を飛び出すと、寝転がった70代のおっさんが、目の前で警察数人にブルーシートを掛けられていた。
 死体……だった。
 この世の者とは思えない顔をしていた。
 エンゼルメイクの有無がどうのこうのではなく、ただただ絶望を吸い込み続けて壊れたのであろうその顔は、見るも無惨に冷え切っていた。
 たまさか帰宅してきた入居者の若い女は、「気持ち悪い物体、さっさと燃やして」と吐き捨て、部屋へと戻って行った。
 ここは重層的に地獄が決定し、落下した者たちの阿鼻叫喚渦巻く住処なのだ、そう再認識した。
 隣人が最期を迎えたというのに、誰一人、悲しむ者はいなかった。
 死は迷惑であり、害悪だ、と声高な審判を下された訳でもないのに、青白い不健康な顔をした入居者たちは、絶命を求めることなく、ただ無心に日々を過ごしていた。
 あの奇妙な無表情の数々は、恐らく自己防衛の賜物である。
 悲痛を他人事にするため、思考や交流を節約し、時間の流れに身を任せる選択をしたのだ。
 あらゆる意味での絶大な貧困は、人々から死への渇望すらも掠め取ってしまうのか、と空恐ろしくなった。
 一秒、また一秒と時間的線上を歩むごとに、人間の大切にするべき気持ちが、一つ一つデリートされてしまう。
 ここは……憎しみを受胎して、恨み辛みで腹をぱんぱんに膨らませた、危険人物の交差点なのだ。

常識を逸脱した、病的迷惑行為の数々

 クレプトマニアと呼ばれる過剰な盗み癖を持った者や、古いシャワー扉の鍵をピッキングして覗きを実行する窃視症の者もいて、心の休まらない日々だった。
 共用の冷蔵庫に食品を置いておけば、異物を混入させられ、洗面所の台にハブラシを置いておくと、得体の知れない粘液がくっついていた。
 汚れたオヤジが、無職の若い女に恋をして、会うたびにセクハラをしていた。しかし、女が被害を訴えられないほどに憔悴していて、触られるがままだった。
 自分の人生にある悲劇に夢中で、外部から入り込んでくる細かなことに気を配れないのだ。

獰猛な獣が、人形と化した病人を食い散らかす底辺ハウス

 この二者で構成された日常の中で、僕はますますおかしくなり、生きることに耐えられなくなっていた。
 僕は一体なぜ、苦しいのか分からなかった。
 親への憎しみか、親への罪悪感か、自分の情けなさか、彼女がいないからか……、無限に悩みの種が豪雨のように降り注いだ。
 病んでくると人は、一つの事柄に縛られてしまうものだが、厳密にいえば、一つの極端な事柄をいくつも抱えているのが病んだ者であり、さながら渡り鳥のように、ある固定観念からまた別の固定観念へと、飛んでゆき、あらゆる孤島で自縄自縛を決める。
 連続した遭難によって、疲弊する存在、それが病んだ者なのだ。

底辺カーストと劣位コンプレックスの暴力的飛散

 女性同士の争いも酷かった。
 忌み嫌われている若い女がシャワーに入っているときに、嫌がらせだけを生き甲斐にしているおばさんが扉を強引に開けて、偶然通り掛かった僕に、若い女の、剥き出しの素肌を見せつけた。
 背中を向けてしゃがみ込んだ若い女を見て、けけけけけけけけっと性根の腐ったおばさんは呵々大笑していた。
 この世界には、底辺カーストというものがあり、低きを這いずる傷ついた者たちは、弱い者を敵視し、せめてその他の弱者よりも優位でありたいと望む、劣位コンプレックスを抱えている。
 死神はいつであれ底辺で座っているもので、落ちぶれた先でその悪しき概念と不義密通を行った者は、被害者意識を鋭利な刃物として利用するようになってしまう。
 そうして悪意に塗れた己の感情を直視し、従順なまでに写像して完成させるのは、またも死神であり、社会の底部が極悪形而上学的概念の宿元となり、棺桶の前に座って鎌を研ぐ死神の演奏が、ふとしたときに一般民衆の鼓膜をも震わせる。
 敷衍するならば、醜い足の引っ張り合いは、そうしたプロセスを冷酷淡々と経て、始まるということだ。
 死神の庇護下に生きることを決め込んでしまえば、憎しみを楽々と正当化してしまえるうえに、安い正義感すら身に纏うことが出来、不健康な喜びによって、あくどい笑い声を上げられるようになる。

僕たちはガラスの箱庭に閉じ込められた、かわいそうな家畜だった

 最低限を下回る生活の中で意志を失い、どこへも行けずに、どこかへ行こうとしても見えない壁に阻まれてしまう日々の到来。
 それでも、ささやかな努力をしようとすることはあった。
 だけれど既に遅かった。
 絶望に脳も心も蝕まれてしまっていて、お腹が空いたら食べる、眠気が来たら眠るという、酷く限定された合理性しか持ち合わせておらず、未来に向けた働きなど、ただの一つも出来やしない。
 手元の合理性とでも呼べるような、自分のいる範囲のことにしか、頭が回らなくなってしまうのだ。
 遠い先には何も存在していない、自分の周囲以外に世界はない、こんな風に……視界に映る空間以外を、完璧な虚無と判断し始める。
 絶望が自我に巣作りし、次々に誕生する失意に操られていた。
 退屈で無能な人間の、徹底した落日。
 一度転がると、二度と止まれない、谷底へ向かう坂道を、僕は滑り落ちていた。
 死神による絶望教育、1限目・苦しみ、2限目・悲しみ・3限目・憎しみ……と、心の疲れる授業が続く。

絶望と希望は拮抗せず、常に絶望が圧倒的に勝利する

 そのため、未来が暗い人生の中で希望を見つけた気になったとしても、それは更なる絶望の土砂降りに遭遇する伏線でしかない。
 絶望感情を一変させるまでは、決して光は差さないのだ。
 強風のさなかで行う、高所での綱渡りに挑戦し、向こう側へ進もうとする限界越えの自己犠牲の瞬間を乗り越えてはじめて、人は絶望から抜け出し、真の希望を得る。
 現状の不満足さに服従し、「自分はどう足掻いても頑張れる状態にない」といった自己暗示を連日掛けてしまえば、もう人生は終演に近づいているといえよう。
 絶望とはあの世の予行練習のようなものであり、そうした状況を回避するため、全てを犠牲にして傷だらけになったとしても、抜け出す覚悟を決めなければ、そのまま地獄直行だ。
 激痛に耐え抜き突破するか、我慢は不可能だと愚痴を垂れ流して落下をこれからも継続するか。
 二つに一つしかない。
 人生の幅は広いが、ひとたび絶望世界に迷い込んでしまえば、失望の道以外は歩めなくなる。
 どんなに心優しい言葉が舞い降りてこようと、決して、絶望しながら幸せになるという、二律背反のいかれた夢は得られない。
 絶望というディストピア世界は、神の力で持っても変えられぬような強固としたものであるがゆえに、我慢だけの生き方を継続すると、一生涯、真の幸せによる温かみを感じられなくなってしまう。
 絶望に足を踏み入れた者に、現状維持は存在しなく、そこから遠ざかる自己犠牲の覚悟を持たない限り、延々と底なしの失望沼にずるずると引きずり込まれてゆき、今まで体感したことのない阿鼻叫喚必至の重苦と、出くわすことになる。
 今が絶望的なら、それはどん底ということだから這い上がるだけ、などという嘘っぱちの言葉で安堵して立ち止まっていると、地面が裂けて更なる暗闇へと落ちてしまう。
 絶望とは思想を砕く革命。絶望に底はない。絶望とは無限の落下状態のことをいう。
『悪魔は肉体と霊魂を二つともひと呑みにする』と古来の人々は考えていたとおり、絶望は没しても尚、引き続く。
 それゆえに僕は落ちた。心的に終わった。

 

 

 

NHKにようこそ! (角川文庫)

NHKにようこそ! (角川文庫)

 

(当時はこの作品だけが救いで、もう全てが終わった……と崩れ落ちるたびに、這いずってPCを起動し、ディスクを挿入して、僕と境遇の似ている引きこもりニートの佐藤くんが必死に生き延びる様を観ていました。とくに途中のSFの話しが面白くて、人生に疲れながら僕はなんども笑った。その話は、人類が最終戦争で絶滅した近未来、主人公はたった一人生き残るというものだった。その主人公が気づかないように破局する前の地球を再現して、あたかも人類が絶滅したことを気づかせないようにする。だがあまり外を出歩かせるとこの世界が偽者とバレてしまう。だから奴ら(最終戦争の勝者)は主人公を引きこもりニートにするという話)

 

クドわふたー 全年齢対象版

クドわふたー 全年齢対象版

 

(絶望時代に好きだった子に、とくに眉毛が似ている美少女が出て来る作品。リアルでフラれたから、ゲームの中で付き合った。来る日も来る日も泣きながらクリックした。流れる涙によって、どんなストーリーだったか思い出せない)

 

ガイアの夜明け 不屈の100人 (日経ビジネス人文庫―日経スペシャル)

ガイアの夜明け 不屈の100人 (日経ビジネス人文庫―日経スペシャル)

 

(あの頃は、絶望に至る病を克服するため、こうした自己啓発本を朝から晩まで立ち読みしていた。この中に登場する、『クレイジーなやつが、クレイジーな思いで、後ろも振り返らず突入する。そういう中から、何か新しいものが生まれたりする事がある』という名言を壁に貼って、もうこれからは狂って生きるしかないという覚悟を持った)

 

上達の法則―効率のよい努力を科学する (PHP新書)

上達の法則―効率のよい努力を科学する (PHP新書)

 

(これもなんども読んで、たとえどんなに精神的に疲弊しても、無理矢理毎日休まず何かやらなきゃと自分を奮い立たせた。脳の忘却曲線を元に考えると、週に2回程度の練習か、週5回以上――毎日のように行うことの、どちらかが良いと書かれていた。つまり中途半端に頑張る程度では、上達を望めないようで、疲労を助け船にしてサボってしまう低強度のトレーニングしている者は、ろくな成果も上げられないということだ。なので、堕落する人生か、走り続ける人生か、この二つに一つだなと思った。心が壊れて絶命する可能性があっても、頑張った方が良い。人生が壊れるより遙かにマシだから)

 

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