ピピピピピの爽やかな日記帳

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ピピピピピの爽やかな日記帳

親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

ピピピピピの爽やかな日記帳

互助会批判者の最大の問題点は、社会的魅力が欠落しているところ

全ての互助会批判者へ送る、愛の詩

 お前がつまらないと糾弾する記事が、つまらない絶対的根拠は?
 それを見極めるにふさわしい審美眼を、お前が持ち合わせているという証拠は?
 お前のやっていることは、完全に誤謬推理です。

尊敬に値するようなスペックの人間が見当たらない

 正しいことを口にしていようと、その言葉に見合った人物じゃないと、そいつを潰したくなるのが人間心理ってもんだ。
 人は残酷な者で、程度の低い人の背中を見て歩くことはしない。
「身内ブクマは禁止しろ」と声高に主張するのは結構なことだが、その叫び手にチャームポイントがなければ、闇の中で儚く散る線香花火のように虚しい結果に終わってしまう。
 誰もかれもが権威主義的なのは、拭いがたい人間の性質であるから、どう見ても大したことのなさそうな人が大声を張り上げていると、無視するか失笑するか小馬鹿にするかの選択しか取れなくなるものだ。
 それどころか、反発したくなってしまう。
 会社経営もしていない、好成績を叩き出す営業マンでもない、一流ライターでもない、資産家でもない、学者でもない。
 多くの人々は、このように何の変哲も無い馬の骨のしつこい喚き散らしを、タバコの副流煙にも近いと感じてしまう。
 僕らは例外なく、特別になりたいと願う存在であるがゆえに、どう見ても平凡で退屈で我が儘な人を発見してしまうと、共感性羞恥によって嫌悪と屈辱を覚え、「あんな人間にだけはなってたまるか」といった攻撃性が生じる。
 人の評価というのは、惨たらしいほどに冷酷残忍なのだ。
 みんなが建前で生きていることにより、三次元世間ではそんな薄情な事実を耳にする機会は少ないと思うが、リアリズムで突き進んだ結果、ぱーっと大きく開ける景色には、程度の低い者は嫌われる世界が広がっている。
 であるから大抵の互助会批判者は、穴を掘っては埋めるような非生産的活動をしているだけであり、否――それどころか互助会員たちの怒りを買うことでますます事態が悪化するという逆効果を生んでしまう。
 そういうプロセスと結果だけを見ても、彼らは予見力がなく仕事の出来ない人という評価をされてしまいやすく、それによってより魅力が欠落した存在と見なされ、いくら大絶叫しようとも誰の耳にも入らない残念な終局を迎えることになる。
 大概の互助会批判者は、こうした尻切れトンボの人生を送り、すぅっと夜陰に吸い込まれるように消えてゆく。

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社会的レベルの低い人は、自分の人生を楽しもう

 他人の活動に顔を突っ込んだところで、誰にも尊敬して貰えず、嘲笑されるだけである。
 何を隠そうこの僕も、ネット弁慶の集大成みたいな存在だからこそ、効果の薄いデモ活動みたいなことはせず、誰かのためじゃなくて自分のためだけに記事を書いて幸せな日々を送っている。
 無能は無能を毛嫌いする傾向があり、たとえるなら完全モテマニュアルというものが販売されているとして、それを購入するか迷っているときに、横から豚肉おじさんがブヒブヒと脂肪を揺らしながら詰め寄ってきて、「それ凄くオススメですよ!」と叫び始めたら、瞬く間に買う気が失せるというようなものだ。
 馬鹿や無能の過剰な働きは、逆に社会を悪くしてしまう

zasshi.news.yahoo.co.jp
 これは人を馬鹿にしているのではなく、馬鹿にするまでもない馬鹿を、正確に描写しているだけであるから、僕が悪趣味な訳ではない。
 今日は星が綺麗だというような感覚で、馬鹿な人間を馬鹿にせずに写実しているだけである。

「互助会のせいではてなブックマークの価値が低下する」という妄想

 まずなによりそれはあなたの主観的な評価であって、むしろ玉石混淆の今の現状こそが、すこぶる性に合っていると考える人も存在する。
 そして、あなたが主観的に記事を評価するのであれば、記事を投稿する側も主観的に自己評価をして当然であり、このように主観対主観で争ったところで、価値観の相違という一言で終わりになる。
 そもそも、どういう評価軸を元に、どういう存在が、どのようなプロセスで記事に点数をつけて、読むに値すると決めるのか?
 その辺をきちんと細かく考えた上で、「中身がない」だの「ゴミ記事は上げるな」だのと批判しているのであれば真っ当だが、そうした基本地盤を築くこともなく、ただ感情のままに食傷気味な持論を展開しているのだとしたら、その発言も中身がないということになり、あなたのいうスパムとやらになってしまうのだが、それに関してはどう思っているのか?
 明らかにあなたたちは誤謬推理をしているだけであり、やっていることが幼稚園児の探偵ごっこと変わらない。
「互助会活動をしている奴らは総じて記事が薄っぺらい」と罵っているが、営業ブクマをすると記事がつまらなくなるというような因果関係はなく、むしろ承認欲求を満たそうと頑張ることによって、文章クオリティやリーダビリティが向上する可能性もある。
 にも関わらず、頭ごなしに非難を浴びせるのは、論理から逃げて野蛮な猿に退化してしまう者の発想だ。
 主張に奥行きがなくて、水溜まりでバタフライしているようなレベル。進歩がない。

互助会でなく互助会批判者を隔離するべき

「互助会をまとめてどこかにやれ」という意見もあったが、まず冷静に考えてみて欲しいのだが、互助会を批判する人間の方が世間一般的には少数派であり、わざわざはてブという一つのサービスに固執して激怒し続けている者たちは、彼ら自身の幸せのためにも自分たちの楽園世界を持った方が良い。
 グーグルなんかも自分たちで国家を作ろうとしているように、互助会批判さんたちも結集してどこか遠くの世界へ行くのを推奨する。

「相互はてブとか虚しくないの? 建前の軽いコメントばかりして」という訳の分からない批判について

 これって極端に言えば、「お前は嫌いな上司にぺこぺこして虚しくないの? お前は大して仲良くもない人に挨拶して虚しくないの? お前はどうせ死ぬのに生きてて虚しくないの?」と言っているに等しい。
 端から見てつまらなく見える行為にであれ、それに価値を感じているからこそ続けている人がいるのだから、そうした合法的な行為を咎めようとするのは、非常に社会主義的で暴君的で危ういと感じる。

ゴミを作れない世界でクリエイティビティは発揮されない

 つまらない記事が容認されないブログ界は、仕事の出来ない人間が始末される現実界みたいなもので、息苦しさのレベルが高まることによって、文化レベルが低下する可能性がある。
 一見つまらなく見えるものの中に、常軌を逸した作品が眠っているかもしれない。
 才能の有無は関係なしに、誰もが自分のアイデアを放出可能な環境が構築されてはじめて、人の芸術性は花開くものであり、互助会批判などのようにユーザーの活動に制限を掛けるのは、文化的活動の妨げでしかない。
 ゴミの生産が許された世界でしか、芸術の神様は笑わない。
 このように一見、不合理に見えた合理的なことが世の中には存在する。

互助会批判者の間抜けっぷりについて

 僕の記事は、特定の個人に言及して攻撃している訳でもないから、銃声の一つもしない平和で穏やかな国みたいなものなのに、そこへわざわざ乗り込んで来て戦争を始めようとする輩がいる。
 これって自分の庭にある綺麗な花畑の上にであれば、いくらスズメバチを撒いたところで文句を言われる筋合はないはずなのに、遠方からつかつかと歩いて来るたわけが、勝手に全身を刺されて救急搬送された病院でカタカタと怒りの文章を書いているような感じだよね。
「刺されました。どうにかしてください」じゃなくてさ、お前がスズメバチを怒らせたのが悪いじゃないか。
 美味しく蜜を吸っていたスズメバチと、それを眺めてにこやかな笑みを浮かべていたこの僕の貴重な時間を邪魔した上に、泣き叫んで騒音さえ撒き散らすその二重性駄々コネ三昧。
 お前はシンバルの上で地団駄を踏んでるようなもので、ただただ文字うるさい。

 

自己愛過剰社会

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(『真剣につきあったりするのは、ぶさいくな奴だけさ』という名文が登場するのだが、物事に執着するということは、それだけ心がぶさいくな証拠なんだよね。だから、互助会を批判するあなたも、互助会批判者を批判するこの僕も、お互いにぶさいくなんだから、ぶさいく同士、手を取り合って仲良く喧嘩するくらいでちょうど良いんだよね。現実世界で忙しく生きている有能者は、互助会を批判しているような暇があれば、心理的リソースと時間をやらなくちゃならない仕事に注ぐものだ。だからそういったことから考えても、僕もあなたも負け犬なんだから、今日も明日もワンワンお空のお星様に向かって吠えまくろう。無意味な遠吠えもやり続ければ楽しくなる。意味があることをするだけが人生じゃない)

 そういえば今回の互助会言及の件で、はてな界隈では有名なKというブロガーに説教されたのだが、彼とは過去にも言い合いになってしまいツイッターでブロックされた経験がある。でもその後、解除してくれたりで根に持つタイプではないことを知っている。一つ言えることは、僕はKという人間をリスペクトしているし、互いに書くことが極端であるがゆえに意見の食い違いが生じてしまっているだけなのだ。前回の互助会批判者に関する記事も、彼とは関係ない話だったのだが、なぜか標的にされてしまったと思ったらしい。まぁどうでも良い話なんだけど、こうやって戦うのは人間といういつか必ず灰になる儚い生物にとっては、素晴らしい思い出になる有意義な時間だと思う。だからKの記事に対しては定期的に言及を行い、勝負を仕掛けることにしたい。「今日、燃えるものなし」という情熱のない人生は退屈だし、ばんばん反対意見を出し合って楽しんで行きたい。