ピピピピピの爽やかな日記帳

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ピピピピピの爽やかな日記帳

親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

ピピピピピの爽やかな日記帳

職業訓練校で、弱者・低所得者向けの『実践・超節約講座』をやるべきではないか?

絶望の克服ではなく、絶望と共に生きる術を身につけさせる

 綺麗事抜きで話すと、能力なき人たちはどう足掻いたって、低収入環境から抜け出せない確率が甚だしく高い。
 今やこの社会には、年収200万円を下回るリーマンは24%、非正規労働者は40%、恋人がいない男性70%女性60%もいて、これらを総合して直感的に考えると、絶望がデフォルトの社会になっている、ということになる。
 ここまで日本が焦げ付いてしまうと、建て直し、完全蘇生は不可能に近いから、絶望=普通という風に、民衆の価値転換を促すような施策が必須である。
 具体的な案として、弱者・低所得者向けの『実践・超節約講座』を考えたのだが、これは名称そのままで、机上の勉強ではなく、お金もない交際相手もいない絶望の中で、健康的に生きる方法を実践形式で教えるというものだ。
 数十円で栄養たっぷりに作れる料理教室、激安スーパーを探して買い物をする遠足、図書館の有効利用法、健康を保つ運動指導、心を落ち着かせるマインドフルネス療法など、実際に五感をフルに使って体験させる。
 これはつまり、絶望の中で幸せに生きるコツを伝授するということだ。

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各々が、絶望的幸福論を見つけ出すべき

 グローバリズムの進展によって日本企業から特化性が失われて、価格競争をするしかなくなっているため、情熱だとか社会貢献だとかそういうお題目を掲げたところで、給料は増やせないし、これ以上の弱者救済は無理難題になって来ている。
 精神障害者基礎年金なんかもそうで、7.9万人くらい減らすという指針が発表された訳だが、これは無慈悲な弱者切り捨てというよりも、日本社会はもはや暗黒時代に突入してしまったから、みんなで最低限のラインを下げて、地底人として底辺で暮らしましょう、という方針を取る他ないということだと思われる。
 であるからどれだけ優秀なポピュリストが参上しようが、弱者が手を取り合ってデモをやろうが、絶望の是正はありえないのだ。
 非人道的な言説になるが、救いを求めることすら無益になっているから、ならいっそのこと国家規模で開き直って、「絶望の中で幸せになる訓練をしましょう!」という、ネガポジ融合戦略で突っ走るしかないのではないか。
 泣き叫びは精神リソースの無駄遣いだし、「絶望的幸福論」みたいなのを個々人が手に入れて、お金はないけれど美味しい料理は作れる、お金はないけれど笑顔の時間は多い、お金はないけれど遊べる方法を知っている、といったように絶望を扱うのが上手な人間になる方が合理的で得策である。
 無理なことを変えるよりも、無理じゃないことを変えるべきなのだ。
 ここまで腐った社会だと、国家は相棒ではなく疫病神だと考えて、「幸福や喜びや快楽は己で獲得するしかない!」とメランメランに闘志を燃やした方が、手っ取り早く笑える。
 ちなみに生活保護も叩かれがちだけれど、日本の不正受給割合は0.5%ほどであり、このことからも分かるように、自己責任こそが国民意識であり、「他人に興味はない、用はない、勝手に泣け、税金は一円も使うな」という鬼も泣く非情さだから、過ぎた話でもブラックジョークでもなしに、絶望はもう固定されたも同然なんだよね。
 後はそれぞれの人が、絶望という極めて普通の世界の中で、どういう振る舞いをして生きて行くを決めるだけである。
 東京の夏は暑苦しく、北海道の冬は冷え切っているように、日本は絶望的ということだ。
 だから絶望を、春夏秋冬、雨あられ、雪吹雪、強風、竜巻、津波、などと同じ自然現象のように捉えて、これは当然あるものなのだと考えた上で、どう暮らしてゆくかを選択した方が利口だ。

絶望に喘いだところで一円にもならない

 そら一部の優秀な人は、他人の嘆きをデータにし、熱量たっぷりに、「善政せよ!」と叫び散らすことでファンを集めて多額の利益を貪れる訳だが、能力のない人は、嘆けば嘆くほどに抑うつ傾向が強まって、ますます不幸せになってしまう。
 出来ない人に希望を持たせてはならない
 本人が内発的に生じさせなければ、希望は猛毒になってしまう。
 なにより弱者たちが一番、「やれば出来る」という希望なんてのは、万人に適した教訓ではないことを知り尽くしているはずだから、紛い物の希望を注入してはならない。
 そしてもう一つ冷たい言い方をすると、現時点でスキル不足によって貧困生活を送っている人は、より稼げなくなる可能性が高い。
 なぜなら、年金を減らされた老人や、安くても働けるだけで喜びと考える外人や、専業主婦を続けられなくなった奥さんが、労働市場に続々と参入してくるからだ。
『働きたい人が多くなれば賃金は低下する』という法則によって、給料は限界まで下がり続ける。以前であれば、「じゃあ働かない」の精神も通用したけれど、もう今はそんな悠長なことを口走っている余裕がない。
 期待を持つと死んじゃう時代が到来しているんだよね。

稼ぐ能力がない+欲が深い=絶望

 究極の欲望は、不満を持つことや、憂鬱になることだ。
「辛い……」というのは現状を一変させたいことの表れであり、これほど強い欲望は他にない。
 つまり、人間は一人残さず強欲である。
 欲望を分解して考えると、期待価値理論というものに行き着くのだが、これは簡単にいうと、自分が行動を起こせば得られる結果への期待と、その結果がもたらしてくれるであろう価値の度合いによって、その人の動機付けの強さが確定するという話だ。
 だから軽々しく、「人間は誰にでも夢を叶えられるチャンスがあります」といった希望を散らばす社会になると、「自分ならやれる!」と勘違いして走り出し、なんの成果も上げられずに転倒して、心が傷だらけになる人が続出してしまう。
 これを防ぐための極端な案として、歴史上の悲惨極まる人々を紹介して、「人生は甘くないんです……」という授業をするのもありなのではないか。
 一縷の望みといった言葉があるけれど、これほど絶望に適したパーツはない。
 ただでさえ欲深い生物に、希望という絶望促進剤を投与するのは如何なものか。

絶望を恐れる人生から、絶望を楽しむ人生へ

 ごく当たり前になった絶望という暮らしの中で、創意工夫して心を豊かにして生きるのが大切だ。
 そのために、『実践・超節約講座』によって、お金を使わずに健康的に生きる方法を学ぶ必要がある。
 知的能力の高い人であれば、言葉を利益に直結する行動へと変えられるものだが、そうじゃない人たちは、実践形式にしないと、聞き流しているだけの無意味な時間を過ごしてしまう。
 絶望に怒り狂うよりも、絶望に開き直ってけたたましく笑おう。
 歯茎を剥き出すのは、笑うときだけで十分だ。
『笑顔は美徳 木の実ナナ』

 

ダンス・マカブル 1 ?西洋暗黒小史?<ダンス・マカブル> (コミックフラッパー)

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ダンス・マカブル 2 ?西洋暗黒小史?<ダンス・マカブル> (コミックフラッパー)

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(中世ヨーロッパに蔓延っていた、残酷極まる拷問をオムニバス形式で、躊躇いなく表現してくれるマンガなのだが、こういう作品を読んでいると、比較的楽な時代に産み落とされて良かったと安堵出来る。蜘蛛とか梨とか鳥かごとか、単純な名称の器具によって人間がじわじわと壊されてゆくのが怖い。指先が冷たくなるほど。十字架刑って、心臓破裂で絶命する可能性があるのか……!)