ピピピピピの爽やかな日記帳

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ピピピピピの爽やかな日記帳

親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

ピピピピピの爽やかな日記帳

毎月の娯楽費は3万円あれば十分だよね? 月収20万円あれば贅沢に暮らせる

家賃に5万円を費やせば、野良ネズミの侵入してこない家に住める

 光熱費は雪国でも2万円、ネット1万円、スマホ1万円、食費3万円、これだけ過激に使ったとしても、たったの12万円しか掛からない。
 年金や車にもういくらか費やしても、娯楽費の3万円は確保出来るはずだ。
 世の中には欲深い人々が多数いて、3万円以上の自由金があるのに、「私は社会の被害者だ……。貧困! 貧困! 貧困! これじゃあ遊べない」とまぶたを腫らしていたりするんだけれど、なんともまあ、潔くない態度であるなと、微笑ましくなってしまう。

自分基準の幸せを持てない人は、金持ちになろうと不幸せ

 人の幸せは、セロトニントランスポーター遺伝子や、常習的な思考方式によって決定される可能性が高い訳で、外部に存在する金銭などの物質に頼るようになってしまうと、不幸に陥りやすい。
 快感回路にバグが生じている薬物中毒者みたいなもので、金を吸引→幸せ→金が減る→不幸せ→金を吸引→幸せ、などと生身に金銭的注射を打ち続けるような真似をするから、みるみる心がすり減って、かりそめの幸せしか手に入らなくなってしまうのだ。
 作家のアンドレ・ジイドが、『幸福になる必要なんかありはしないと、自分を説き伏せることに成功したあの日から、幸福がぼくのなかに棲みはじめた』というお涙ちょちょぎれる至言を残しているように、やはり人は不必要な規定(金がなければ不幸せなど)に縛られることによって、幸せから遠ざかってしまう生き物なのである。
 ユートピアのことしか頭にない者ほど、ディストピアに辿り着いてしまう。

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3万円の娯楽費があれば、健康で文化的な最低限度の生活を送れる

『文化的生活というものは、人間が、その心の根源的な欲求に逆らって、心と体に抑制を加えることによって成立している*1
 上記は、ジークムント・フロイトの主張なのだが、裕福であればそれだけで高尚な精神活動が出来るなんて考えは大間違いである。
 逆に制約のある中で、困難に直面しながらも、創意工夫をして己を鍛え抜こうとするからこそ、人は洗練されてゆき、内部に蓄積した感情の混沌が芸術に昇華するのだ。
 そして今や世界は、あらゆるコンテンツがタダ同然になっていて、財布を開かなくとも道楽に耽ることが容易になった。
 加えて、名だたる絵画作品を間近で見られる美術館だって、ワンコインで入場出来る。
 これだけ恵まれた社会が出来上がっているのに、わざわざ遠くの他人と比べて、憂鬱になるなんてのは全くもってナンセンスだ。

個人が相対的貧困について考えるのは、不幸せの始まり

 そうした相互監視の感覚を抱いていると、他人の状況に合わせて、目まぐるしく幸福値が変動してしまうから、自分本来の人生を生きられなくなってしまう。
 毎月3万円もの娯楽費が手に入るのに貧困と考えるのは、相対的に物事を見過ぎているからであり、絶対的な己の物差しを持っていないということだ。
 もうそれは自己喪失しているのと変わらなく、世間に操られた悲劇のマリオネットに成り下がってしまっている。
 しかも彼らの行う社会的比較は、どこまでも恥知らずであり、前提に自己正当化と好都合解釈という、タチの悪い目的が存在する。
 世界にも目を向けると、屋根も窓もついた自宅に住み、スタンガンを常備する必要も無い治安の良い街で暮らせるなんてのは、神の光を浴びているように幸福であること間違いなしだ。
 しかしながら彼らは、そうした喜びをガン無視して、「ここは日本です。世界なんて関係ありません」と反論する。
 ある意味正しいのだけれど、これからの世界は、国の境を飛び越えたビジネスが強靱化してゆくし、外人が雪崩れ込んでくることも含めて考えると、「日本を一生出ないから、他国なんて関係ない」といった、平和ボケしたセリフは放てなくなる可能性が高い。
 あなたの最低限は貧困ではなく、ただの妥当な生活。

金なんてなくても、絶対的な幸せは得られる

 僕は2年間くらい、先の見えない借金生活をしていたことがあり、ネカフェ、カラオケ、一畳半の窓なしハウスで暮らしていた。
 だけれどスマホは持っていたから、無料で映画やドラマ、アニメまで視聴出来たし、身を削った芸を提供するニコ生主などの人生に触れられていたから、「こんな幸せがいつまでも続けば良いのに……」と、多幸感に包まれていた。
 こみ上げる嬉しさで、胸が熱くなり過ぎて、五臓六腑が焼け爛れたこともあった。
 人生は金じゃない。
 猿や犬を見て見なよ。
 貯金が0なのに、笑ってる。

 

表と裏

表と裏

 

『一般に偏見は馴染みのないものに対する不安を合理化しようとして生まれる』と書いてあった。つまり偏見というのは、曖昧模糊とした事象に一先ず仮の名前をつけて安心するための機能なのである。思考的堕落といったところか。こうした怠惰な性質があることによって、相対的貧困だとか、低収入だとか、弱者だとか、自分に有利な言葉を操って文句だけを口にして、その先は何も想像せず、何も考えず、といった人が生まれてしまうのだろう。不平不満だけ口にして、すぐに頭の回転を止める人はいくらでもいるけれど、それって憎悪感情が生まれるだけで、良いことが何一つないと思う。どうせ文句を口にするなら、徹底的に考えるべきだ。それをしないなら、猿も同じ

雑記・ブログについて

 僕のブログって検索流入が壊滅的なんだけれど、SEO対策とか考えてPVや収益を増やすよりも、このまま低空飛行している方が、やる気を欠乏させる悪質な逆インセンティブが発生するリスクが減るから良いことではないかと思っている。
 現状、趣味として書くだけで心底楽しいから、そこへ過剰な金銭的報酬を結びつけて、喜びを破壊してしまうのは、本末転倒だ。3年前に、『ピピピピピがブログ書きますよ』というブログを運営していたときは、日に4000~5000くらいの検索流入があったと思うけれど、あの頃よりも、数字は度外視にしている今の方が遙かに楽しいなと感じる。
 経営学の講演などに参加すると、ダニエルピンクの話題がたまに出て来て、楽しんでいる最中や創造性を必要とする柔軟な仕事をしている人に対して、下手に褒美を与えると、生産性が低下するという話を聞かされることがある。
 ブロガーも、逆モチベートされないように気をつけよう。
 一見幸せに見えるものが、不幸へ誘う毒物かもしれない。

*1:人はなぜ平和を祈りながら戦うのか? (私たちの戦争と宗教)   星川 啓慈