ピピピピピの爽やかな日記帳

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ピピピピピの爽やかな日記帳

親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

ピピピピピの爽やかな日記帳

「子供を大学に行かせる金もないなら三人も産むなよ」という話を女子高生が熱心にしていた

 正月病を抱えたリーマンが乗る電車内で、色素の薄い爬虫類じみたJK集団が、皮肉たっぷりの経済的トークを展開。

JKたちの放った言葉をまとめるとこうなる

貧乏人は子供を複数持つな。Lose-Loseの関係になるだろ。
・子沢山=幸せ、ではない。少数精鋭で生きた方がコスパ良くね? 農家なら労働力になるから合理的だけどー。
資金がないのに三人も産むと、金と時間と教育が不満足に分散されるから、しんどみが深まる。
・仮に三人とも出来損ないになったらどう落とし前付ける? 無職のヒッキーが一人ならどうにか養えても、三人となれば捨てるしかなくね?
・奨学金破産とかマママママママ、マジやばみ。
・道徳意識? 精神論? そういうワードではぐらかすなよ。うちらの一生が左右する問題に、野性的・本能的な話持ち込むんじゃねぇーよ。うち一人だったら、がちでよゆーで大学の金払えたろ。
・あいつら(パパとママ)に感謝してるし、尊敬してる。でも、その上で問題提起をしてる。
・パパ活で授業料を稼ぐ他ない。青春をバイトで削られるとか辛み。
・将来、年金も払う気がしない。義務から逃げるという革命を起こしたい。
・これらの苛立ちを起点に発生する活性酸素のせいで、肌荒れが起きた。
とりま金寄越せ。

それな! それな! それな!」と賛同の相づちが響き渡っていた。

 どいつもこいつも学校指定と思われるやぼったいコートを着ていて、制服による可愛さが半減していたから、僕は視力よりも聴力を発揮して真摯に聞いた。

 新年早々、親不孝なドラマを見せられて、胸がぎゅっと痛くなった。

忘れていた親不孝な過去を引きずり出されてしまった

 誤魔化しなくいうとこの僕も、彼女たちが遠慮なくぶちまけていたようなことを、罪悪感を抱きつつも考えてしまっていた時代がある。

「子育ての費用は約3000万円らしい。ならば弟と妹を産み落とさないで、僕に6000万円くれたら良かったんじゃないのか? 僕をきちんと育て上げた上で6000万円を渡す。これも一つの幸福伝授法だ。なぜ、父さんと母さんはその選択を取らなかったのだろう。僕に悪いと思わなかったのか?」

 10代の頃はこんな風な、残酷な問いがいくらでも生まれた。

赤の他人の親不孝な言動で、こちらまで後ろめたくなる理由

 成長のただ中にある不安定なメンタリティを持った子供たちは、ときに親を嘆き悲しませる禁じ手の思考をし、悪意なき無慈悲な発想をぶちまけてしまうものだ。

 JKの発言を耳にして感じざるを得なかった鋭い胸の痛みは、若き頃の自分自身を思い出してしまったせいかもしれない。
 10年前の僕がたしかに抱えていた親不孝な真意を、弱々しくだけれども蘇らせてしまった。

 無意識にそれに抗うために、「こいつら人間じゃねぇ」「JKブランド崩してんじゃねぇよ」「ロジカルなブスが一番許せねぇよ」と敵意が沸き上がった。
 怒りを増大させることで、図々しく居座ろうとする黒歴史を叩きのめそうとしたのだ。

 JKの言葉一つ一つが、まるで僕自身が発したもののように思えてしまい、後ろめたくてしょうがなかった。
 頭の中が、墨汁で穢された水彩画のようにぐちゃぐちゃになっていた。

 そのため僕は、口実を探し続けた。

 この不快な気持ち……、重苦しい感覚……。

 それは全て、一般的な人生から逸脱した気狂いJKの、悪質な演劇を見せつけられているせいで起きているに決まっている。
 こうしたねつ造されたJKの実態に事寄せることで、「僕はまともな大人だ。こんな畜生JKとは違う」と、自分を正当化して黒歴史の忘却に心血を注いでいたのだ。

 学生時代、ただ生きているだけの僕に愛を注いでくれた親の前で、これでもかと撒き散らしてしまった猛毒の数々。

「なんで産んだんだよ?」「勝手に産んだんだろ?」「産めなんて頼んでないよ?」

 猖獗を極めた大罪の過去が、無尽に襲い掛かってくる。

 僕には……あのJK集団に苦言を呈する資格……など、一つも……ありはしなかった。
 JKと同じだ、JKと同一だ、JKと同格だ。

 気づくと僕は、女子高生だった――

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雑記・最近読んだ本
偽装中流

偽装中流

 

人並みの努力では報われない時代
もうすでに住民税すら払えない貧困層が、5人に1人という状況が訪れている。
「一億総活躍社会」の本質とは、「自分の食い扶持ぐらい自分で稼げ」ということを国家から強制されることに他ならない。

 こうしたお先真っ暗な事実がずらずらと書かれている。

「報われた!」という喜びの感情は、努力が実っただけでは足りなくて、努力不足のその他の人々に大きな差を付けられたという、明確な実感を得られないと手に入らないのではないかと思う。

 大方の人は、相対的な幸福感にしか喜べなくなっている。
 同僚に営業成績で勝利した。非モテ多き時代に彼女を二人手に入れた。
 このように社会的比較を行うことで優越感が生じたときにのみ、生きてて良かったと考える人だらけの社会になっている。

 そもそもこれだけ情報量の多い時代に、絶対的幸福感という多大な精神力を必要とする指針に沿って行動するのは不可能に近い。
 相対的幸福感を満たしたあとに、絶対的幸福感が満たせるものだと思う。

 金・女・酒・友達・博打。
 このどれかしらを充実させて、自分は社会的に悪くない位置にいる、という最低限の幸福感を得たあとじゃなければ、絶対的なものを掴みにはいけない。

 ネットが浸透した時代は、社会的比較を過剰促進するから、親不孝な考えを抱いてしまうJKが増えるのは当然である。
 本来、怒りは社会へ訴えかける必要がある訳だが、まだ社会に飛び立っていないJKは、狭い空間の中で自分を支配している者へぶつけることしか出来ないことが多い。

 最近視聴したネットテレビの中で、「イノベーションは誰のためのものか?」という話が展開していたのを見て思ったのだけれど、インターネットの登場で不幸になった人って数え切れないくらいにいる気がする。
 不幸というのは極端だとしても、健康的な幸せを得にくくなった。

 足るを知る、が絶命した時代。
 そんな今の日本では、自分が中流であると思い込んだり、恥ずかしくない大人であることを知らしめるためにアピールする、つまり偽装中流という演出行為を行う人が増えてしまっている。
 それどころか幸せすらも偽装して、強がっている人だらけなのではないかと思う。
 絶望を材料にした幸せが生産されている。

 ゆえにJKの親不孝な言葉は、日本に鳴り響く警報なのだ。