ピピピピピの爽やかな日記帳

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ピピピピピの爽やかな日記帳

親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

ピピピピピの爽やかな日記帳

「無能な自分」を極大化させて売り込むビジネスが続出中 この世は無能ばかりゆえに、応援されやすいから

 ニコニコ生放送やYOUTUBE、そしてブログサービスなどにおいて、己の無能っぷりを誇示することにより、似たり寄ったりな無能を引き寄せ、広告収入や投げ銭を集めることで、生計を立てようとする者が次々に登場するようになった。

 僕は10年前から、素人の配信活動をチェックするのが趣味なのもあって、大勢の無能が上り詰めていく過程をこの目で見届けてきた。

その昔、無能は金にならなかった、無能は見世物にしかならなかった

 だが今や、突き詰めた無能は、一つの職業として成立するようになった。

 無能界にも序列があり、どこかしらで通用する無能力を持った者は、いくらでも支援され、金と女に困らない強者になることさえありえる世界が完成した。

 なぜならば、インターネットの浸透、進化、発展によって、日本中の無能がパソコンやスマホなどといった、バカでも難なく使えるアイテムを手にし、昼夜問わずに利用するようになったからだ。

類は友を呼ぶ、とどのつまり無能は無能を好む

 一昔前は、インターネット世界にも、発信者と受信者の間に溝があり、距離があったのだけれど、IT文明の発達によって、それが取り払われた。
 結果、交流が盛んとなり、つまりインタラクティブなシステムが整ったことで、赤の他人を応援するという文化が急速に生じた。

 では一体なぜ、無能は無能を支援したくなるのかというと、無能が何かを成し遂げてくれたら、「無能な俺の人生にも夢があるかもな!」と明るい気持ちになるからだ。

 そして人間というのは繊細な生き物だから、現実世界において、すぐ近くにいる無能のことは、見下し、蔑み、侮るのだが、その理由は、本当に近くにいる無能が成功すると、極熱の嫉妬心を浮上させてしまうからだ。

 まとめると、遠くにいる無能の成功には希望を感じ、近くにいる無能の成功には絶望を感じるということだ。

 そのため、ブログ界などでもそうだが、実は大したことのない書き手の方が、人気に火が付きやすい。

 世の中は無能な人間で溢れかえっている訳で、彼らが、「この程度なら俺もやれるかもしれない! 低級品質の文章でも稼げるなんて、こしゃくな商売だぜ!」と、希望を胸に抱き、奮起可能だからである。

 無能がひしめき合う社会ゆえに、配信者やブロガーはメイクマネーを果たすのだ。

「誰かの為になる文章を書けば、食い扶持を稼げる」のではなく、「無能に優しい、無能の心を躍らせる、無能向けマーケティング・ライティングを徹底するから金が転がり込んでくる」ということで間違いない。

 ブログ界とか配信界でも、ちょっと上手いこと行くだけで、成功論を語り始める者が後を絶たない訳だが、そんなものは聞くに値しない。

 なぜ彼らが急成長したのかという答えは簡単、凡人だから。

あの程度でも良いの? 俺にも出来そうじゃん!」とわらわら、無能が寄り集まってきて、凡人が祭り上げられることによって、後から来た人々までもが、「凄い、なんか良く分かんないけど、あの人凄い。たぶん凄い! いやマジすごくね!?」と自己暗示しながら、気付けばファン化する。

 読み手が洗脳されたような状況になっているから、もうそうなってしまえば、凡人の平凡な記事を読んでも、「すっげぇー、筆力、やっべぇー、レベルちげぇ! べぇ!」と狂信者じみてしまう。

 このようなプロセスで大成する者が、現れてきている。

地球というのはバカの巣窟だから、ネットの浸透によってバカな成功者が生まれるのは必然

 バカはバカゆえにバカが好きだから、バカはバカに応援される。

 かつては、バカだと、日陰でじめじめ暮らさなくてはならなかった。
 しかし、ここに来て逆転し始めた。

 中途半端に頭がキレる高飛車なクソ野郎よりも、全てを曝け出し、刺し違える覚悟を持ったバカの方が、幸せを掴みやすくなった。
 自惚れた出来る人間気取りが、僕らバカの踏み台になるお鉢が回って来たんだ。

 ざまあみさらせ。

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雑記・読んだ本

新・堕落論―我欲と天罰―(新潮新書)

新・堕落論―我欲と天罰―(新潮新書)

 

愛にせよ憎しみにせよそれは他者との関わりの中に生まれるさまざまな渇仰の所産に他なりませんがしかし今では多くの人間は自らは愛についても憎しみについても何に渇いているかを知れずにいる。また、知るのを恐れている。

 と書いてあるように、誰であれ、絶対に見せたくない内緒事を抱えていて、それが剥き出しになってしまうことを恐れ、本来の自分とは違う人間を演じて生きているものだ。

 大体の人は、有能ぶりたくてしょうがなく、認められるために全ての労力を注ぐ。

 その中でも、ネットでネガコメばかり書き散らしているような、立派で徳の高い社会人気取りの自称・頭の良い人たちは、己の大したことなさから目を背けて暮らしているから、その無能っぷりを暴かれるような事態に遭遇すると、怒りが頂点に達する。扁桃体が激怒する。メロスのようにアドレナリンが体中を駆け巡る。

 こうしたプライドの高い、高飛車な隠れ無能を、どう振り向かせられるかによって、無能ビジネスが成功するかどうかは決まる

 やはり、分かりやすい無能ばかり集めても収入はすぐに頭打ちになってしまうから、能動的に無能を発掘する作業が必要だ。

「好きなことで、生きていく」みたいな耳当たりの良い言葉を駆使して、催眠術を掛けるように、ターゲットの無能さを表に出すという作業が必須。

 人々に、自分の無能さを痛感させるのだ。

 だから率先して自分自信が、無能を誇りながら、活き活きと生きて、「開き直った無能はこんなに幸せなんです!」ということを高々と宣言してゆく。
 つまり有能人のポーズを取った人々を、無能界に引きずり込むのが肝心要。

 そうした地道な活動を継続することによって、有能という幻想に取り憑かれた、無能な人々の目を覚まさせ、「俺は無能!」「私も無能!」「僕も無能!」というシュプレヒコールを巻き起こし、無能ネットワークを急拡大させる。

 無能力という能力を、磨き上げよう。

 努力なくして、真の無能なし。

雑記2・なぜ僕のブログは、アンチが沢山いるのか

 親の会社でだらだらと働いて、のうのうと暮らしているから?

pipipipipi-www.hatenablog.com

pipipipipi-www.hatenablog.com

 一つ目の記事を涙ながらに書いたら、「嘘松」「誰の得にもならない記事」と叱られ、二つ目の記事では、「このブログだけ非表示に出来ますか?」というコメントがつき、それに賛同するスターが70以上ついた。

 僕は人を煽るような記事を書いたことなんてないし、ただ日記帳に、「今日は爽やかな一日でした」に類するような、当たり障りない文章を書いているだけなのに。

 勘違いしている人も多いけれど、僕そのものは金持ちじゃないし、それどころか貧窮の真っ只中。

 たしかに、家庭内ベーシックインカムがあることで、細々と食うに困らないのは事実だけれど、決して贅沢は出来ず、薄給の中でやりくりして、今を生きている。

 毎月、社内預金として給料の大半を没収されてしまうから、遊びに使える完全な自由金は5万円ほどしかない。
 そこにブログ収益が5万円くらい加わる訳だけれど、それでも10万円。

 もしも可愛い彼女が出来たとしても、関係を維持するためになけなしの金で貢いだりして、貯金が底を尽きればすぐに捨てられてしまう。

 書籍に関しては、父親のパソコンで定期的に50~100冊単位で頼むことを許されているから、そこだけは裕福かもしれない。

 あと希に、旅行に行く際は数万円プレゼントしてくれる。
 でも、親友が東京にしかいないから、月に1万円くらいしか使わないことすらある。

 どう考えても、色んな意味で悲惨な状況にいるのに、なぜ烈火の如くお怒りになる人がいるのだろう。
 弱い者イジメだと思う。

 お金もない、彼女もいない、学歴もない、免許もない、資格もない、コミュ力もない、やる気もない、忍耐力もない、集中力もない、ほとんど童貞

 そのような同情されるべき、悲劇の主人公である僕を笑う人が増えている。