ピピピピピの爽やかな日記帳

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親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

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「キモくて金のないおじさんとおばさんが結婚して子供を産むのは虐待!」と女子高生が語っていた

キモくて金のない生命の再生産は『罪』なのか?

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 とある早朝、JR北海道の電車に乗り込むやいなや、膝上20cmのミニスカを履きこなす、見目麗しい女子高生3.5人(うち一人は中学生)が盛んにしゃべり立てていた。

「良いねぇお嬢ちゃん、いい脚してるよ!」という所感を述べながら、僕は彼女たちに横付けした。
 すると次の瞬間、己の耳を疑いたくなる主張が鼓膜を突き破った。

「キモくて金のないおじさんとおばさんが結婚して子供を産むのは虐待!」

 なかなかのタブーを、平然とぶち壊す一言であった。

女子高生の語ったことを箇条書きにしておく

先行的な虐待じゃん。電光石火じゃん、その虐待。生まれ落ちた直後に災いかよ。

・「キモくて金のないおじさんとおばさん」が結婚出来ないのは良いこと。
 貧困と不幸の拡大再生産にストップを掛けられるから。

・あいつらが子供を産んだところで、「清くて金のあるお兄さんとお姉さん」を発生させる確率は低い

・うちらは、「キモくて金のないおじさんとおばさん」よりも、「未来の胎児」を救ってあげたい

キモさのフランチャイズ経営をやめろ。愛を取り立てるな。
 ブサイクでブスでハゲでメンヘラでコミュ障で根暗でKYな存在がいたとして、そいつが誰にも好いて貰えなくて絶望して、無職のごくつぶしニートになったら、みんな叩くでしょ?
 生まれただけで感謝しろって、おまえの境遇はおまえの責任だって、てめぇのことばかりで他人を愛せない人生は悲惨だなって。
 子供がかわいそうだよ。
 キモくて金のないおじさんとおばさん予備軍が誕生しちゃうよ。

・ゾンビパンデミックに歯止めを掛けよう。
 ラクーンシティは二次元だけで十分だ!

 さすがの僕でも心苦しくなるほど、無慈悲な言葉がたわわに実っていた。

 でも、周囲の乗客たちは心なしか、うなずいているように見えた。

 酷い、酷すぎる。
 これが国民の総意なのか? 人類社会における真理なのか?
 なんだこのリズミカルなディスの発表会は?

 胸の痛みを覚えながらも、「僕が聞かなきゃ、誰が聞くってんだ!」という執念を、終着駅まで燃やし続ける決心を固めた。

 続けざまに彼女たちは、「キモい奴=ヤバい奴」という図式について、タブレット端末を用いて丁寧な解説をしてくれた。

「キモい奴=ヤバい奴」という認識はなぜ完成するのか?

 多くの人間は、キレイな生命・物質が好き。
 ↓
 結果、キモいに該当する人類は後回しにされる。
 ↓
 「キモい奴対応マニュアル」が薄っぺらくなる。
 片や、「キレイな奴対応マニュアル」は分厚くなる。
 ↓
 それゆえ、怠惰な生物である我々は、攻略法がいくらでも現存する存在(キレイな奴)を選ぶ。
 人間の普遍的な心理傾向として、「よく知らない概念を恐れ、嫌悪する」いうものがあるからだ。
 ↓
 キレイ優遇キモい冷遇のサイクルが回り続ける。
 ↓
 キモい奴を遠ざ過ぎるあまり、彼らがアングラな狂気を漂わせているように見えてくる。
 ↓
 しかしながら、我々には倫理や良識が備わっているため、「キモい奴なんて思っちゃだめだよ。心はキレイかもしれないんだから!」という自制が働く。
 とは言いつつも、「でもキモい奴は嫌だ! 心だって汚いはずだよ!」という本音がせり出すことにより、強烈なジレンマに直面することになる。
 イライラする。すごい。
 ↓
 人間は、自己保存欲求が強いゆえに、「このイライラは俺のせいなのか? キモい奴のせいじゃないのか! そうに決まってる。奴らはキモい上に狂っている!」と責任転嫁をはじめる。
 この自問自答は、生存を賭けた戦いにも等しい。
 つまり、自己完結的に、キモい奴を忌み嫌うようになる。
 ↓
 以上の理由により、「キモい奴」=「ヤバい奴」という図式が完成するのだ。

 筋の通った話ごちそうさまでした、と僕は舌鼓を打った。

 思春期を生きる女子高生は、「わたしってかわいい?」とうぬぼれているだけだと誤解していた。
 ロジカルな青春も悪くない。

「キモくて金のないおじさんとおばさん」は、理屈の通らぬ次元で嫌われている

 女子高生たちの話を整理すると、「キモくて金のないおじさんとおばさん」が蔑まれるのは、人間生命の本能による働きのせいということになる。
 それゆえ、理屈ではあらがえぬ領域の問題ということだ。

 もちろん良識ある大人は、「容姿だとか貧乏だとかですべてが決まるわけじゃない」と綺麗事をぶちまける訳だが、そんな生やさしい社会であれば、「キモい」という概念は発生しないはずである。

 なぜ僕たちは、ゴキブリを恨むのか? カラスを敵視するのか?

 答えはシンプル。
 嫌なものは嫌だからだ。

簡単に結婚できない状況=親としての適格度を測るオーディション

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「キモくて金のないおじさんとおばさん」が、売れ残り――天涯孤独の身の上となりやすいのは、「嫌なものは嫌だ」という理不尽な理由で、隅に追いやられるためである。
 もしもこの者たちが、政府の介入、民間人のお節介などによって、強引にマッチング(結婚)させられ、ぼこぼこと苦し紛れに子供を産むとろくなことにならない。

 むろん、持たざる者である彼ら彼女らが、純粋100%の恋をし、おめでたいことに新規の生命を誕生させたのであれば、それはとても幸せなことである。
 なぜなれば、その夫婦生活のスタートは、『自発的に沸いた愛情を伝え、添い遂げる覚悟を決める』という高度なコミュニケーションスキルの所有を証明するものであるから、その子供も正常なソーシャルスキルを持った幸せな大人になりやすいためだ

 要は、コミュ力とメンタルが強ければ、キモくて金のないおじさんとおばさんでも、良い子育てが出来る可能性が高いということになる。

 ゆえに、「キモくて金のないおじさんとおばさん」は救うのではなく、そのまま放置しておくべきなのである。
 婚活環境を過剰にゆるめてしまうと、キモくて金がなくてメンヘラで、自分のことすらままならない人間が毒親となり、子供を苦しませてしまうかもしれない。

 言い方はきつくなるが、キモくて金のないおじさんとおばさんが簡単に結婚できない社会環境は、『親として適格なメンタリティを持っているかどうかをチェックするオーディション』の機能を内包している。

 キモくても金がなくても、不屈の精神で結婚を果たせるパワーがなければ、子は腐る。
 救われないとなにも出来ない人間は、どのみち救われない。

 そう考えると、今回登場した毒舌な女子高生たちは、ある意味、キモくて金のないおじさんとおばさんの心の強度を試す、結婚の神様といえるだろう。

 未誕の子に愛を。

最近読んだ本

生涯未婚時代 (イースト新書)

生涯未婚時代 (イースト新書)

 

「あるべき姿」から逃げる人が増えた場合、結果として「あるべき姿」とされていたモデルが王道として価値が上がってしまうという状況が起きがちなのも難しいところだと思います。

 主にネット上で、「『普通』に縛られない生き方をしよう!」といった内容の、弱者を救う目的でのアドバイスがばらまかれているけれど、そうした発言が増え、それを実行する者が増加するほどに、『普通』が高等なものになってゆく。

 よって、今まで当たり前にあった普通が、憧れの対象となる。

 そうであるから、「キモくて金のないおじさんやおばさん」が、結婚や子育てとは別枠の喜びを見つけられる社会になって欲しい、と願う人が出現するたび、より結婚や子育てが他に代えがたい幸福の鍵と化してしまうのだ。

 つまり、他人の優しさはいつだって、お節介なのである。
 自分の人生を幸せに出来るのは、自分だけなのだ。
 繰り返しになるが、救われないとなにも出来ない人間は、どのみち救われない。