ピピピピピの爽やかな日記帳

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ピピピピピの爽やかな日記帳

親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

ピピピピピの爽やかな日記帳

心が深刻なため、防音室に引っ越してブログを再開することで人生を建て直します

 はてなブログ休止報告をしてから、早一週間、体感時間に換算すると3年ほど経過したため、本日より復活することにした。

pipipipipi-www.hatenablog.com

 僕くらい自己顕示欲が強い人間だと、発信行為を辞めただけで頭痛に苛まれたり、風邪を引きやすくなったりと、禁断症状が現れる。
 なにより、仲間はずれにされたような感覚を覚えるから、可及的速やかにインターネットで絶叫しなきゃ、メンタルが使い物にならなくなってしまう。

 僕の心と人生を上向かせるためには、はてなブログが必要だと確信した。

防音レベルの高い分譲住宅へのお引っ越し

 気が向いたら発狂可能な、分厚い壁が売りの優良物件を契約した。
 角部屋、住人の属性が良い、駅まで命懸けで走れば一分

 これにより、腹式呼吸での独り言や、静寂を身に纏っての瞑想が行える。
 奇声を上げたり、号泣したりしても、誰一人に咎められない。
 全てを許された空間。

 去年からずっとこのような住処を探していて、やっとこさ発見した。
 善は急げであるから、とやかく自問自答することなく、すぐさま不動産屋に電話。
 そうして物件を内見し、恋に落ちて結婚した。

 その関係で、諸々の手続きや荷物の移動などで慌ただしくなるため、ブログ休止記事を書いたのである。
 入居は3月からであり、まだフレッツ光やプロバイダの契約も済んでいない。
 そんな訳で、『3週間くらい休むかもしれないです』と前回の記事で伝え、落ち着くまではてなブログから遠ざかるつもりだったのだが、承認欲求の進化がめざましく、今にも胸骨や肋骨を粉砕して飛び出さんばかりな気配がしたから、安全のために復帰を早めた。
 といった流れを経て、極限の集中力を発揮しやすい作業空間を確保出来た。

 今まで住んでいた家は、ペーパーハウスと呼ばれるくらい壁が薄っぺらで、電話するのも、くしゃみするのも、ラーメンをすするのも躊躇するほどであった。
 あらゆる生活音、個人情報が近隣住人の耳に入ってしまうからだ。
 それに加えて、隣が動物園というか、犬、猫、カラス、おんなが、はてなブックマーカーのように叫び散らし、這いずり回る空き地だったのもあって、朝から晩まで騒がしく、書くのも読むのも一苦労だった

 これからは、そうしたケダモノに心を乱されることなく、白紙に全てを注ぎ込める。
 今まで以上に露悪趣味を発揮して人を激怒させたり、気が狂ったようにネガティブな文章を書いて、人を真っ暗な気持ちにさせたりしやすくなる。
 どうせ書くなら、良い意味でも悪い意味でも、大勢の読み手に多大なるダメージを与える、ジェノサイドなライティングをポリシーにして継続して行きたい。

せっかくの防音物件なので、今後は口頭筆記も取り入れることにする

 ドラゴンスピーチという音声認識・音声入力ソフトや、ICレコーダーもいくつか持っているから、目を瞑って眼精疲労を防ぎつつ、ペラペラと喋るだけで文章を作れる。

ドラゴンスピーチ 11 Lite ダウンロード版 [ダウンロード]

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SONY ステレオICレコーダー 4GB TX50 ICD-TX50

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 これからは、瞑想したり、風呂に入ったり、寝たりしながらでも、口だけ動かして記事を完成させられる。

 僕はどちらかと言えば、書くのが苦手ですぐに疲れてしまうが、お喋りならば24時間ぶっ続けでも苦じゃない。
 そのため、口頭筆記や録音してからの書き起こしを取り入れれば、史上最高のやる気を持って種々雑多な記事を乱射出来るだろう。

 以前のブログでは、最新ニュースを切ったり、アニメ・マンガ・小説のレビューをしたり、芸能人を罵倒したりと幅広くやっていたから、そういうのも復活させて行きたい。
 顔出しお喋り動画も、その延長で作成して、ほとんどの記事に貼り付ける方向でやって行こうと思う。

 本格始動は3月中旬くらいからになるだろうけれど、とても楽しみだ。

趣味として「憂鬱」をやっている

 ときおり僕は、メンヘラブロガー認定されてしまう。

 でも実際のところ、その時期に抱いてる感情をあえて極大化させて自己陶酔するのが好きなだけである。
 メランコリーな気分を逃がさず、自我のみに目線を向けて、自分を過剰に労ったり、痛めつけたりするのは、一種の快楽を生じさせる遊びなのだ。

 そもそも人間というのは、背徳的な行為を辞められない生き物である。
 賭け事、浮気、喧嘩、菓子、怠け、酒
 不健康は娯楽。

 つまり僕が口にする、「人生が詰んだ」「もうオワタ」「疲れ切った」という嘆き色の言葉は、絶望とはまったく別物である。
 不幸せを語っているその瞬間、自分でも驚くほど幸せだから。

 それゆえに僕は、進んで不幸せをデザインしている。

 幸せのために不幸せを着る
 幸せのために憂鬱な言葉を吐く
 幸せのために笑いながら病みを得る

「ピピピピピの爽やかな日記帳」にアンチが多いのは、僕の主張・感情が二転三転するせい

 4年前からはてなブログをやっているため、読者の種類、性質などについて分かるようになってきた。

 痛感したことの一つに、「危険なのは悪質なアンチではなく熱烈なファン」というものがある。

 僕の記事はどれも、過激で極端なものが多いからこそ、たまさか、悩み多き者の価値観と合致した際に、信者が生まれてしまうことが希にある。
 彼らが赤子のうちは、「尊敬しています」「天才ですね」という過ぎた褒め言葉満載のDMを送ってくれるのだが、それから数ヶ月くらいすると、「人間のクズが」に類する前置きのある宣戦布告、犯罪予告といった脅迫文が届いたりする。
 ファンのアンチ転化が起きるのである。

 理由は明確で、僕の主張・感情が二転三転するからだ。
 以前とは真逆の意見を平気で口にしたり、冗談と思わせて冗談じゃなかったり、本気と思わせて本気じゃなかったりする記事を乱発するから、そうした僕の浮遊ゴミ的な態度に嫌気が差し、次第に憎しみを持つようになるのだと思われる。

 このブログの記事はどれも、内面描写――弱音や愚痴、開き直りの連発で構成されているから、似たような人生観を持った人を引きずり込みやすくなっている。
 そういった蟻地獄に引っ掛かった読者が僕に対して、「ピピピは、こういう人なんだ。おれと同じだ……。仲間を見つけた」と親近感を持ったとしても、僕は彼らが考える「こういう人」ではない

 三日もあれば僕は、まったく正反対の発言を繰り出す。
 だからといって、演技したり嘘をついたりしている訳ではない。
 なぜなら、人生の状態や、自分自身の感情、将来についての雑感などは、見方によって別物になるからだ。
 視点、計画、思考法、に変化を加えただけなのである。

 もとより森羅万象の全てに、良い悪いの絶対的な決め付けは出来ないのだから、この世には嘘も本当もありはしないんだよね。
 ゆえに僕は、能動的にどっちつかずの態度を貫いているだけ。

 それが原因で大勢に嫌われようと、ファンがアンチになろうとどうでも良くて、僕は僕のやりたいことをやるだけだから、今後もこうしたなんでもありなスタンスは変えないつもりだ。

 他人が苛立とうと、すかを食おうと、批判してこようと、そんなものは一切考慮しない。

 今後も、強烈に駄々をこねるような記事を連投しようと思う。

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僕は書くのが大好きだけれど、向いてはいないという話

 心情を大袈裟に吐露したり、言葉をこねくり回すのが好きなだけで、文章を書くのが得意な訳じゃない。

 好きなことと、続けていることと、向いていることは違うなと思った。

 僕が好きなのは、文章ではなく、自己主張なのである。

 そのため、自分のキャラや自分の文体を打ち消して、必要な情報だけを届けるというような、ビジネスライクな書き方は出来ない。
 ピピピピピという「個」があるから文章を紡げるのであり、それがなくなって完全匿名になったら、パソコンを叩き壊すだろう。

 僕の文章はどれも、どうでも良い事柄を嫌みったらしく長々と語ることで、熱意や説得力があるかのように錯覚させる、乱暴、強引なものが多い。
 嫌われやすく、儲けの薄い、露悪趣味な長文記事。
 そんなものを連投する人は少ないから、そうしたジャンルの中で勝負する限り、僕は目立ちやすい。
 その上、マイナスにしかならない状況にも関わらず、危険を顧みずに顔出しをしているから、動物園の珍獣を見に来る野次馬ブックマーカーがたくさんいることで、僕の記事は定期的にバズりやすくなっている。

 なんにせよ、こうやって普通じゃない状態を、大した利益がないにも関わらず保ち続けている異常者というのは、他者から注目される。
 ニコ生のいかれた無職が、様々な人から支援されて暮らせるのも、彼らが異常者だからこそだ。
 僕がもしも、純粋に文章を書くのが得意だったならば、方向性はまるで違っただろう。

 こんな風に損得抜きの長文を産み落としてしまうのは、僕が文章ではなく自己主張が好きなゆえんである。

雑記・読んだ本

やってのける

やってのける

 

日常的な些細な行動でも、多くのエネルギーが消費されていることがわかっています

 こう書いてあるが、人が疲れてしまうのは、不用意に気を配り過ぎだからなのだ。

 幸せに生きている人ほど適当な性格をしている。
 ここでいう適当というのは、約束を守れなかったり、社会生活を舐めているパーソナリティーの持ち主という訳ではなく、自分と周囲の人を幸せにするために、真剣に考えるべきところと、どうでも良いところを、しっかり切り分けて考えながら生きているという意味になる。

適当な人ほど真面目」という言葉を誰かが口にしていたのを聞いたことがあるのだけれど、これは一見矛盾しているようだけれど、心のエネルギーが有限であることを鑑みれば正鵠を射た発言であるなと思う。

「みんなに好かれたい」という考えを持つと、逆にみんなに嫌われることになってしまいがちなのは、あらゆる方向に対してエネルギーを注ぎ込んでしまうから疲れ切ってしまい、その結果、約束を守れなくなったり、空気を読めなくなったりして、他人に疎ましく思われてしまうためだ。

 良く耳にする話として、「なんであんな性格の悪い奴が、誰にも迷惑を掛けないように頑張っている私よりも好かれるの? 不公平!」と憤りを感じている人がいるけれど、それは当たり前。

 無駄なエネルギーを消費しなければ、周りの人々に適切なタイミングで優しさを提供するための余力が残る。
 反対に憤りを感じて怒り散らしていれば、疲弊してしまい、本来の優しさを発揮出来なくなる。

 つまり、自己管理こそが他者への優しさに繋がっている。

 誰かを愛するためには、どこかの場所では冷めていなければならない。
 ある場所で性格が悪く見える人も、別な場所では性格が良いんだよね。
 みんなに優しくしようとして、それを実現出来るのは、体力に恵まれた者だけ。

 それゆえに、「性格」だとか「人格」だとかいうパワーワードを振り回して、人のレベルを決めつけている人は、この辺の情状を酌量していないというか、気付いてすらいない可能性が極めて高いから、頭も性格も悪いことは疑いようのない事実だろう。

 そうならないためにも、「遠くの他人について考えすぎないというのも善行の一つ」であることを知って、お気楽かつ鈍感に人生を生きよう。