孤立無援の二次元生活
僕は15年ぐらいネットをやっている訳だが、どうも二次元におけるコミュニケーションに難があるらしく、気づけば孤立している。
作成して一ヶ月程度な僕のツイッターアカウントは、既に三人にブロックされている。
ほとんど人と絡んでないのに。
二次元の扱い方がへたすぎる
ブログなんかでも一度書かなくなってしまうと、復帰するのが怖くなる。
記事を書いてはてブやスターが全然つかなくなったら、
「だせーな」「俺は知ってたぜ、あいつ最初からつまんねーんだよ」
などと、陰湿な陰口を叩かれるんじゃないかって思ってしまうのだ。
二次元精神病
そのように、以前は優しい言葉を掛けてくれた人々が一転し、蔑んだ目で睨んでる姿が頭に浮かぶのだ。
長文記事を連投していた時代(僕は働きたくないし、働くのが嫌いだ。診断されていないだけで、引きこもりニート症なのだろう - ピピピピピがブログを書きますよ。なんかを書いていた頃)でも、ツイッターでは無口だった。
二次元コミュ障を抱えているから、逃亡の意味で静かにするという選択をしたのだ。
二次元における心が弱いせいで、ツイッターにて気軽な返事をする際にも、
「文章が長くなったな。これでは鬱陶しがられるかもしれない」「単文返信をすると、詩人気取りと笑われるんだろうな」
などと、恋する乙女のようになにも考えられなくなってしまう。
三次元のほうがずっと楽
現実世界だと、開口一番に放った言葉が滑ったとしても、それから二言、三言と矢継ぎ早に口にし話を展開すれば、いくらでも挽回できる。
そして言葉はその場から消えていく。
そうやって消失と生産を繰り返す三次元の会話は、心に負担が一切ない。
無責任、無鉄砲、無生産。
無の境地でなにも考えず、好き放題コミュニケーションが出来る。
二次元は違う。
言葉が蓄積していく。
喜怒哀楽も、恥も外聞も、嘘も本音も。
それらを背負って付き合わなくてはならない。
自分が吐き出してきた言葉を両手に抱え、それらが相手に見えた状態でコミュニケーションを取る。
常時、弱みを握られているようで、途端に頭が回転しなくなってしまう。
以前ブログをやっていた頃も、記事の投稿数が増えるたびに、二次元のやつらと会話を展開するのが怖くなった。
そのため、段々と更新しなくなっていった。
記事投稿というのは、敵に塩を送る行為ではないかと考えたからだ。
そして僕は、あまり反応しないキャラ設定をするようになった。
ますます悪化していく、ネット内コミュ障害。
化粧崩れたしたババアみたいに、無様だった。
僕は愚かな自分を救うために、なるだけ綺麗な言葉を使うよう心掛けたり、同情を誘うようなネガティブな発言をするようになった。
僕の二次元生活は、逃亡の連続だった。
ブロガーなんかじゃなく、指名手配犯なのだ。
不満足な二次元の暮らしが、憤怒をつくる
孤独に続き、二次的なものとして不甲斐ない自分に腹立たしくなった。
怒りのはけ口は、ホッテントリやツイッターで紹介される記事だ。
そんな感情の元で読んでしまえば、どんな内容でも苛立たしいものだと得手勝手に解釈してしまう。
そして、ムカツキをそのままにコメントする。
嫌いでない相手にすら敵対コメントを放ってしまう。
そんな感情的ミスのせいで、ブログをはじめた当初に絡んでいた相手とも、距離が出来てしまった。
数日してから、しくじったなーと頭を抱えた。
僕を嫌う人間が生ゴミのように増える
こうして、ネットが居づらい場所と化けていったのだ。
ネット利用歴は15年以上あるのに、未だにネットリテラシーが低すぎるのだろう。
そのためパソコンを起動するたび、クラスで僕だけ義理チョコすら貰えなかったときのような寂しさが体内を縦横無尽に闊歩し、もうこの人生限界かもしれんね、と落胆せざるを得ない。
二次元パーティーピーポーって、僕からすれば天才の群れ
ツイッターのタイムラインを眺めてると、ワイワイガヤガヤ音が聞こえてくる。
自覚があるか分からないが、どのブロガーもなんらかのチームに所属して見える。
家族を形成しているのだ。
僕は、森の中のターザンみたいな存在だなって思う。
その場に溶け込んでいるように見えて、実はひとりぼっちなのだ。
人間と獣のように、二次元パーティーピーポーと僕には圧倒的な差がある。
これは二次元の呪いか
十代の僕はいつも、メガネを掛けたパソコンオタクを見掛ける度に、「気色悪いな。給食がまずくなるだろ。ゴミ箱でも被って食ってたら良いべや。その穢れた姿を見せるんじゃねぇ」と思っていた。
彼らが爛れたゴキブリにしか見えなかったんだ。
今ではそんな悪い考えは持たないが、当時は本気で不快感を抱いていた。
その時に発生した大いなる罰が、10年以上の歳月を経て、今の僕に襲いかかってきているのだろう。
悪事は必ずや裁かれるのだ。
あの頃、東京の秋葉原をアキバハラと勘違いして読んでしまっていたのだけど、そしたらオタクどもが、「アキバハラってアキバハラwwwブフォッフォフォwww」とクソ豚丼みたいな汚い呵々大笑をしてきたから、三角定規を突き刺してやったこともあった。
あいつらの人肉は固かった。まるで腐ったステーキだった。
そういう呪いを解きたいからこそ、以前の読者数も600人以上いて、少なかれ収益の発生していたブログを、ネット内自殺というような形で処分してしまった。
髪の伸びる人形を、寺で燃やすのに似た感覚だった。
燃え立つ炎と有害な煙には、除霊作用があるんだ。
幾度も二次元で死んだ
昔、アメーバやライブドアなんかでもブログをやっていた。
でもその度に死んできた。
二次元が怖いから、三次元に避難しようと思ったのだ。
二次元が恐ろしいから、三次元に逃げたんだ。
二次元を知らなかったあの日の僕は、まだ笑えていた
今思えば、僕は昭和が好きだった。
今と違って、木刀で殴ってくる体育教師だっていた。
背中にアザが出来、引き抜かれた髪が教室に散らばっていた。
三次元世界は厳しかった。
でも、あの痛みは気持ち良かった。
もっと殴ってくれ、そう思ったこともある。
それほどに現実は、生きてる実感をくれるのだ。
分かりやすい痛みのある世界は極楽浄土
地球に二次元が出現したことによって、痛みが曖昧模糊としたものになってしまった。
怪我のない、悲しい社会が形成された。
痛くないことが最も痛いことに、今になってようやく気づいたんだ。
ネットにアクセスすると、自分の魂が薄れたように感じる。
僕は物理的な苦痛に苛まれて生きたい。
アザだらけになりながら、マウスを操作したい。
出血しながら、キーボードを打ち込みたい。
死と隣り合わせのネットサーフィンをしたい。
じゃないと、二次元の僕なんて死んでるも同然だ。
二次元を駆け抜けるxevraのようになりたかった。

- 作者: さくら剛,九州保健福祉大学社会福祉学部臨床福祉学科田中陽子,入江久絵
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