僕の働く経営コンサル会社では、唐突に100冊単位で自己啓発本を購入することがままある。
というのも父親がセミナーを開催して、新入社員から経営者まで幅広い対象へ向けて話をする機会が多いから、参考になる部分が1%でもあれば、ということで経費で大量購入しているのだ。
こうした本は、浅はか、軽々しい、薄っぺらい、と酷評されがちなんだけれど、飽きさせずに人を惹き付けるという点で評価すれば、高レベルな商品だと思うんだよね。
だから経営者である僕の父親は、60分とかそれくらいの短時間で物事を説明しなくてはならないときなどに、そうした本特有のリズム感や言語センスを上手いこと盗んで利用している。
数分でペラ読みして、役立ちそうなページだけ破ってポケットに入れ、残りはゴミ箱に叩きつけることもある。
勿体ないと思う人もいるかもしれないけれど、1200円程度で1%でも価値のある情報を手に入れられて、それを材料に数十万円を稼げるトークを組み立てられたのなら、どう考えても安上がりだ。
結論、全ての本は使い方次第。
一つの事柄から連想して新たな可能性を生じさせる創造性がない人が読むのなら、どんな本でも紙切れの娯楽にしかならないというだけの話である。
自己啓発が苦にならないタイプの精神性に生まれてたらガチで無知性化して幸せだと思う
— 小汚いオカマ (@ringoce) 2016年12月27日
というツイートを発見したけれど、無知性ゆえに幸せ、というのは短絡的な考え方だよね。
もちろん行儀の悪いツイッタラーの世界だと、浅はかで貧弱で攻撃的な文章を書くことが人気に繋がることもあるから、キャラ作りお疲れ様という感じではあるけれど。
というか勉強不足だけど幸せな人々というのは、一般的な知識量が少ないだけで、コミュ力や適応力がずば抜けていることもあり、総合すると学力はないけれど頭が良かったりする。
そもそもなぜ人間が知性的になる必要があるのかといえば、一部例外の人を除けば、幸せになるためである。
不幸になりたいという夢を掲げるのは、数少ない冷笑主義者だけであり、大方の人間は幸せになりたいと思っている。
であるから世間一般的な人がなによりも獲得したいのは、幸せということになる。
そう考えたら、幸せであればあるほど、より合理的だといえる。
幸せな人=知性的なのである。
たとえ似たような自己啓発本ばかり読む単調な日々を過ごしていたとしても、不幸になる可能性のある余分な思考をしない選択をしているのだから、十二分に知的な人間といえる。
成果の出せない知性なんて、単なる妄想。
僕は昔から、何の功績も残していない奴の、偉そうな評論が大嫌いなんだよね。
こういう人々に限って、己を棚上げして、他人を見下しながら、知性がどうのこうのと語り出す訳だが、とんだ笑いぐさである。
美しいほどのスベり芸。
(『失業すると家族への暴力6倍』『過去一年間に失業を経験した人は、就労を続けている人と比べて、家族に対する暴力などさまざまなタイプの攻撃行動が6倍も多いことが報告された』と書いてあった。ツイッターの世界には一線を越えた攻撃を仕掛けてくるゴロツキが少々いるのだが、そういう人の情報を探ると無職だったりするんだよね。思えばこの僕も4年くらい引きこもりニートだった頃は、常に漠然とした不安があったのだが、それを見ないようにして生きていたせいでストレスが蓄積し、その結果、ネトゲやチャットで他人を不快の底へ落とし込むような荒らし行為をしてしまっていた。楽しくてしょうがなかった。人が余裕をなくしてしまうと、行き着く先は大体似てるんだよね。憂鬱の隣には憎悪がある。僕が無職だった頃は、出来損ないの受け皿はネトゲか2chだったけれど、今はツイッターに変わったのだろう。そう考えたら、厄介な人々が生息しているのは当然である。二次元スラム街・ツイッター)
ここ2ヶ月、はてなブログ中毒になっていたし、そろそろ更新頻度を少し低下させて仕事や勉強、読書、それからツイッターに費やす時間を増やそうと思う。
— ピピピピピ@プロ社内ニート (@pipipipipi_wara) 2016年12月29日
毎日更新はすこぶる楽しいんだけれど、段々と似たような発言ばかりしてしまうようになるから、冷却期間みたいなの設けるのも大切な気がする。
これから少し更新頻度をゆるめにしますぅぅぅぅぅぅっっっっっ!!