サイレントな善人がいることを忘れてはならない
先日、『【Amazon】5000円差し上げるので、このピアノ曲の名前を教えて下さい!【ギフト券】 - ピピピピピの爽やかな日記帳』という記事を投稿したら、1万人以上に読んで貰えたことによって、神速で答えが得られた。
しかも、それだけで終わる話じゃない。
曲名を教えてくれた人から、「お金は大丈夫です。また分からない曲が出たときに使って下さいね」という、キリストもひれ伏す心暖かいメッセージが届いた。
感動の重ね塗り、感謝の無限ループが起きた。
この荒れ果てたインターネッツ村にも、ジェントルマンが生き残っていた。
記事が多方面に飛び散り、1万人以上に読まれたことで、『思いは海を越えて』が含まれたアルバムの注文代金も実質無料となり、捜索費用が掛からなかったどころか、利益が出てしまった。
実は過去に、Yahoo!知恵袋などでも同一の質問をしたのだが、「本当に沢山の人に聞いた? 信じられなーい」「音の流れてた本屋で聞け」「自分で調べなよ。恥を知れ」と、おちゃらかされるだけであったし、百人程度にしか読んで貰えなかった。
時期をずらして三回ほど、腰低く丁寧に文章を書いたにも関わらずだ。
「もう二度と触れる事の許されない音楽となってしまったか……」と懸念を抱き始めたタイミングで、最後の手段としてはてなブログに頼ったのである。
すると瞬く間に応援のコメントが並び始め、「これはもしかしたら……」と考えるよりも前に優しい光が眼球を貫いた。
やかましい悪人ばかりに注目していないか?
はてなブログやツイッターなどには、自己の利益のためなら炎上も厭わないという邪気に塗れた人々がいて、彼らが火炎瓶を投げて脱兎の如く逃げる、という光景がごくごく当たり前に観察出来る時代だ。
たとえるなら、拡声器を持ったババアが突進しながら叫び散らし、おしとやかな美女たちを崖下に落としているような状況である。
不正だらけの美人コンテントみたいなものだ。
ババアがトロフィーを持って高みに立っているのが、二次元世界といえる。
マガジンの袋とじを開けてババアが咲き乱れたら、心が枯れてしまう。
強大化したババアたちが手を握り合い、太々しいツラを並べ立てて、ゲラゲラと笑ってノイズを発生させ、善人のお言葉を掻き消す。
つまり今のインターネッツというのは、ババアの大名行列を見せつけられているも同じであり、そのせいで裏に潜む若くて可愛い子(優良情報)が隠れてしまっている。
ババアのみを見て、「女は~」とミソジニー発言を連発してはいけない。
社会に出て生きれば分かることだが、ババアと悪人は目立つ
でもその裏には、幸せをふりまく良き人々が、そこかしこに控えている。
こんな当たり前のことを忘れがちなのが、現代人だ。
かくいう僕も、性悪説を信じて疑わないほどに、人間不信になっていた。
つくづく嫌になるほど、露悪趣味を持っている者、人を怒らせることで快感を得る者、たった一日で書き上げた浅い記事で暴利を貪ろうとする者がぞくぞくと登場しているせいだ。
ババアイズムというか、エコノミック鈍感力を持った人々が、自分だけ豊かになるためにキーボードを弾いて居丈高に主張をし続けている。
そのせいで、善人が後方に押しやられてしまう。
だから考えることもなしに現代を一瞥すると、「よからぬ連中しかこの世にはいないのか?」と不健全な想いが浮かぶ。
こうした盛大な勘違いが、日本中で進行している。
ネット社会が深刻化すると、学歴や職歴の華々しい綺麗な人よりも、厚かましい舌先三寸で人を説き伏せる発信力を持った暇なババアが、暗黙の権力者になるようになってしまう。
今日も世界中で、欲求不満で暇なババアが、第一線でうようよと悪態をついている。
雑記・最近読んだ本

- 作者: ウィリアム・B.アーヴァイン,William B. Irvine,竹内和世
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賢い人を幸福にするにはほとんど何も要らないが、愚か者を満足させられるものは何もない。たいていの人が惨めなのはそのためである。
と書かれてあるが、人類の9割くらいは、知的好奇心がそこそこある堕落した愚か者だと思う。
それが自宅という安全基地で行う、二次元憂さ晴らしに繋がってくるのではないか。
不幸な人をあざ笑ったり、真剣な人を茶化したり、遠くの人の浮気を叩きまくったりと、己の私生活に一ポイントも加算されないような行為をし続ける。
人間は、知能ある動物かつ怠惰な愚か者ゆえに、己に負荷を掛けず色んなことを知りたがる。
そうした願いをたやすく満たしてくれるのが、専門用語の少ないワイドショーや、まとめサイトなのだろう。
これは夜遊びと一緒で、ふわっとした曖昧な快楽を浴び続けて、「極楽ぅぅぅぅ~~~!」と安い幸せを得る手っ取り早い方法だ。
僕もそうだけど一般民衆にとっては、正しさなんてどうでも良いんだよね。
二の次の事柄ですらない。
「良く分からないけれど楽しい!」というチンパン的多幸感に包まれたいというのが、正直な本音なのである。
社会的意義とかそんなこと知ったこっちゃなくて、ただ感情のままに踊り狂ったり、仲間たちと笑い合っていればそれだけで幸せなのだ。
このように人々が非理性的に生きてしまうと、ネット社会である現在はどんどん偏った空間になってゆくが、それこそが本来の姿なんじゃないか。
古来から人間は、刺激がないと生きていけない。
自分に被害のないトラブルを欲する。
それだから、決闘や拷問が娯楽として扱われていた頃もあった訳で、クレイジーでこそ人間界だと思う。
だから僕は、おめおめとどこにでも突っ込むババアのような存在になりたい。
厚かましいババアを見ていると、皮肉とかでなく尊敬する。
善人もババアも素晴らしい。