石原さとみをフォトショでいじくって、オアシズの大久保にし、「大好き!」と口にするのが男という生き物である。
分かりにくい例えかもしれないが、要するに男の理想は叶う率が低いから、妥協を繰り返し、少しずつストライクゾーンを広げてゆく作業が必須になるということだ。
言ってしまえば、あらかたの男は自分を騙くらかすことでしか、彼女を獲得出来ないのである。
つまり男の恋愛は、娯楽じゃなく我慢なのだ。
男は、本命の子に本気で恋をすると、極めて高い確率でフラれる
恋心の強度と、フラれる確率は比例関係にある。
好きになればなるほど難易度が上昇する。
女は、「がっつく男、余裕のない男、重い男」を忌み嫌う。
だから男は、恋愛感情を故意に薄くして、無味乾燥に近づけ、死んだ魚になるよう努力しなくてはならない。
愛情の鮮度が高いと、女は男が提供する恋の食卓にはついてくれない。
恋心を生け贄にして、天から余裕を授かり、淡々と女を口説く。
そうした無感情の狩りこそが、男の恋愛なのである。
好きなあの子への想いが最高潮に達した段階で付き合えたという、美しい運命を辿れた男など、ごくごく少数だ。
女の片思いは自己陶酔
女は選ぶ側のため、「一番好きな男」と付き合える。
男なんていう生物は、歩く無料お試しキャンペーンみたいなものだ。
特大のブスや性格破綻者を除けば、女に求められて喜ばない男はいない。
こうした有利な環境が整っているからこそ女は、恋愛経験が豊富というか、限界まで膨らんだ恋心を成就させた成功体験が幾度もあるからこそ、精神年齢が上昇し、男より先に大人びる。
女の恋愛は始まるまでに困難がなく、実はドラマチックさの欠片もない。
だからこそ、「あえて想いを伝えずに、このドキドキ感を楽しんでいます」という余裕綽々の態度を取る者がいくらでも現れるのだ。
女の片思いなんてのは、自己陶酔でしかない。
それゆえに少女マンガなどには、微妙で不安定な関係性を楽しむものが多くある。
端的に言えば、女は自分に酔っ払うために、あえてトラブルやハードルを築き上げて、繊細で切ない恋心を持ったヒロインを演じようとするということだ。
女という悪徳工場が、不誠実な男を大量生産している
どれだけ誠実な男であろうと、全身全霊で恋に落ちてしまうと、意中のあの子にどん引きされ、物の見事にフラれてしまうものだ。
女目線だと、「そんなことないよぉー。純粋な気持ちが一番嬉しいよぉー」という真心第一みたいな結論に行き着く場合もある訳だが、これほど無責任な綺麗事は他にない。
どんな男であれ、「あの子を好きな気持ちだけは誰にも負けない。絶対幸せにしてやる!」という純情一本気な思いの丈を、胸に熱く秘めていた時代があるはずだ。
しかし悲しいかな、誠実さだけでは、手応えゼロで全否定されて失恋してしまう。
どうしてかと言うと、この世を生きる男の大多数は、なんの才能にも恵まれない無力な存在であるがゆえに、猫も杓子もが「誠実さ」という曖昧模糊としたものを唯一の武器にして戦おうとするから、供給過剰になってしまっているためだ。
女は空求人みたいなもので、常に誠実な人を大量募集していると見せ掛けて、「残念ながら、今回はご期待に添えない結果となりました」とお祈りを連発する。
そうして男は幾度もフラれ、ただ突っ込んでも事態は好転しないということを悟り、好きの感情に打算を組み込むようになる。
自然体で女と接するトレーニングをしたり、好きになり過ぎないようにセーブして、計算高く立ち回ったりし始める。
その結果、彼女が出来たとしたら、開口一番こう切り出すだろう。
「なんだよ、付き合うってこんなもんなのかよ」
そらそうだ。
恋心を肥大化させずに、落ち着き払って女を口説き落としたに過ぎないのだから。
釣り堀で、虚しい魚釣りをしていたも同じ。
一向に心が満たされないから、幸福論でいうところの『幸福を追求する不幸』という状態に陥り、次から次に手頃な女子を求めるようになる。
これが後天的にチャラ男へ変化するプロセスだ。
男が非モテへと落ちぶれる流れについて
精神科医のジャック・ラカンが、『欲望は他者の欲望』という言葉を残しているように、生きている中で誰かを好きになったとしたら、自分以外の人間もその子を好きだと考える方が良い。
金は金を呼ぶみたいに、愛される人はより愛されるのが、現状の人間界なのだ。
誰もが似たような流れで欲望を浮上させるから、自分が特定のあの子を好きになった感情フローを、他の多くの人々も体験している可能性が高い。
ゆえに奪い合いになる。
しかも可愛らしい子は、神々しいイケメン集団が根こそぎ奪って行くため、反応に困るような子だけが少量、余っているだけになってしまう。
その中からなんとか好きになれる子を探すわけだが、好きになった頃には、他の男もその子を好きになっていたりするため、また争いが発生する。
こうやって殴り蹴られの決闘が延々と続くから、非モテは挫折したまま、半永久的に再起出来なくなってしまうのだ。
つまり無気力を学習するということであり、こうなってしまえば、「自分は最初から女に興味なんてないんで……」とオタク趣味に走ったりする。
これが非モテへの転落である。
雑記・読んだ本
男のほうが男としてのアイデンティティについて不安が大きく、自分がモテる男であることを証明したがる。
こうした傾向があるからこそ、女よりも男の方が、失恋からの立ち直りが遅い。
良く女は、「可愛い女の子なんて星の数ほどいるんだから、もう忘れなって、女々しいよー」と口から出任せをいう訳だが、これは的外れな助言である。
男が悶え苦しんでいるのは、好きなあの子を喪失した悲しみなんていう小さなものではなく、アイデンティティに深い傷が入ったためだ。
「自分の男らしさが通用しないのではないか?」と憂いを抱いているときに、それを否定されるような断られ方をすると、失意のどん底に落ちる。
そして、「俺は終わってる」「俺は一生一人だ」「俺は情けない」と憂鬱な感情を強化してしまうため、自発的な言葉によって、内部から心が壊れてゆく。
雑記・読んだ本2

無気力なのにはワケがある 心理学が導く克服のヒント (NHK出版新書)
- 作者: 大芦治
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学習性無力感を引き起こす手続きは、うつ状態と同じような状態を作り出すと考えられるようになった。それは、学習性無力感が、うつ病のモデルとして妥当性を持つことの証明にもなった。
残念無念にフラれる連続の中で、「俺なんて男としてダメだ……」という落ち込みの反復が起きて、自分の不甲斐なさについて学び続けてしまうと、精神が歪んでゆく。
それはそれは寂しくて、どこの誰でも良いから、この弱り切った瀕死の自分を認めてくれ、と切望するようになる。
こうなると最悪なことが起きる。
それは、女が最も嫌悪する、「がっつく男、余裕のない男、重い男」になってしまうということだ。
気付いたときには既に手遅れ。
プライドを削って、グレードの低い女に突撃したとしても、厄介なギトギトした男に成り下がっているため、近付いただけで逃げられる。
勇気を出して振り絞った、最後の男らしさ――アイデンティティの全てを砕かれてしまうということだ。
暗転。目の前が真っ暗になる。
「自分は誰にも必要とされていない」という絶望、悲劇、激痛を急速に学習してしまう。
明言しておくと、男が人生において一番に彼女が欲しいときは、こういう誰一人に相手されない悲しい時代だ。
しかしながら、女も一回きりの貴重な人生を歩んでいるため、浮上確立が低いどん底の男を相手にしている暇などない。
こうして一生浮かばれない、弱者男性が出来上がるのだった――