ピピピピピの爽やかな日記帳

リボ払い借金250万円の無職30歳。下克上するお話

ピピピピピの爽やかな日記帳

社会不適合者として生き延びた10年

借金200万円/無職/落ちこぼれの生き様

僕は昔っから躁と鬱と虚無、この3要素を膨らませながら、今日までとぼとぼ歩いて来ました。
社会性とやらがまるでない異常の民でございます。
ずっと孤独な日々の中、うじうじと底辺を彷徨って参りました。
それもあって過去10年、ラノベ作家だとかプロブロガーだとかゲーム実況者だとか、つまり顔を出さずに、半分匿名で隠れるように暮らしながら、「なんとか飯を食いたい!」と夢を見ていたのです。
一般社会から姿をくらまし、人間を辞めて幽体になりたい一心で。

「人間生活辞めたいです」症候群

そもそもが僕は、高校卒業の直後、携帯電話――ガラケーを完全リセットして、「僕を誰も知らない世界に行きたい……」と、逃避願望をぐんぐん高めてゆきました。
早くも18歳で、人生を半ば破り捨てたのです。
それゆえ、ちょっとした食事のお誘いを受けても、「爺さんが死にました。葬式なのです」とか、「残業だらけで土日も出勤です、すいません、すいません……」とか、適当な話を作でっちあげる事で、あらゆる関係性を自然消滅させました。

遅刻早退ドタキャン以前に、社会参加を一切拒否

というのも僕は中学でゴミムシ扱いをされ、14歳前後で躁鬱病の兆候があった為、若くして心の中に、「何をやっても必ず破滅する……」、そんなマイナス感情の烙印が押されていたのです。
そんな人格への根性焼きにより、何をしようにも最初から無気力、どんどん顔が死にかけてゆきました。
だから10代20代前半の僕は、来る日も来る日も、「意味ないよ」「無理だよ」「もう疲れた」、そういった自己否定のワードが99.99999%で、自己嫌悪だけが特技だったのです。
だから学生時代、とことん卑屈だった僕は、たとえばアメトークなんかへの要望、「一刻も早く死にたい芸人」といったテーマで放送して、「人間界における地獄の底に光当てろや!」と怒号を飛ばしておりました。
「成功者ばっかしひな壇ならべんなよ!」「なぜ我々、生活苦の一般庶民が、浮遊層の戯れ事聞かなきゃならねぇーんだよ!」「ビルごと倒壊して全員死ねばいいのに」と、憎しみだけが強化されてゆくのです。
挙げ句の果てには、「社会ってくそ食らえだわ!」というムカツキ、人生全般に不信感しかなくなり、30歳を超えた最近までずっと、「早く世界戦争しろや! 核爆弾でキャッチボール希望!」と、天に向かって神々にクレームの祈りを捧げる日々でした。

死にたい感情も歳を取ってゆく

それで最近読んだ、ココ数年で一番面白かったマンガ、『パンティストッキングのような空の下で』の中に、バカでブスで悲観主義の男がおり、その者がずっと空を見上げながら、テポドンが落ちてくる事――つまり人類滅亡のときだけを待っている。
僕はそのシーンに大変懐かしさを感じました。

パンティストッキングのような空の下

パンティストッキングのような空の下

 

思い返せば20代前半はとりわけ、ノストラダムスの大予言――、でも1999年に人類は滅びなかった……!
それで憤怒千万である僕は、「責任を取って今破壊しろや!」とか、「みんなで一緒に終わりたい……」という事ばかり考えたりして、どろっどろの想いで生きていたのです。
でも、ふと気付けば、「人生は嫌でも続いてゆく……、死ぬのも才能なんだよな」って、そんな事実に気付いてしまう。
かくして僕は、テポドン待ち、人類滅亡待ちとやらを、ほぼしなくなったというか、完全に諦めるようになりました。
なので変な話、「死にたい感情」の中にも、青春期や老年期があり、決していつも同じではないのです。
「若々しい死にたさ」ってあるよな……と、30歳を超えてすごく実感します。

生きて死ぬその狭間に捨てられて

そして先ほどの作品に、人生を辞めたがるうつ病ロリコンおじさんもおり、そいつにとある美少女が、【私は生きてるのがすごく楽しい――中略――とにかく私の人生超すばらしいよ! でも…生まれてこないで済んだなら それが一番良かったかな】とそんなセリフを、汚れのない真っ直ぐのツラ構えで、そう言ってのけるんですよ。
やはりね、事実そんなもんでありまして、我々みんないつか必ず壊れて死ぬ、しかし勝手に命がスタートするのだから、悩んだり病んだり死にたくなったり、一歩も外に出たくなかったり、人間も世界も嫌いになったり、そうやって壊れがちなのは、至極当然の理屈なのでございます。
であるから僕は、社会性も将来性もないヤバさだけれど、だからといって、それを問題視なんてせずに、「そんなリスキーさの最中、とてもよくがんばっている!」と、自分を褒め称えながらタフに生きてゆきたい。
これは一見逃げに見えなくもないが、自分の本質に嘘をつかず、心が潤ったままにやる生存戦略なのであります。

「優越感」獲得競争で呪いが掛かる

僕はかつて自信をなくし自虐してばかりで、「早く消えたい」としか考えられない状態でした。
しかも今の自分を嫌うと、「絶対に人生取り戻すぞ!」「すべての人間を見返してやる!」などと、変身願望に囚われ、冷静さを欠き、承認欲求のバケモノと化します。
すると今の自分がもっと許せなくなり、人間生命として音を立てて崩れてゆくのです。
自律神経が乱れるわ、ストレスで目が充血するわ、睡眠障害が起きるわ、対人関係がおかしくなるわ、些細な事でイライラするわ、自殺念慮が蔓延するわで、人生の逆転どころか、急速な転落劇でぴゅーんっと、心が地獄に堕ちるんですよ。
「お逝きなさい」と奈落の世界でスカイハイ。
僕の場合26~30歳辺りの4年間は、「自分はクズでしかない」「自分は特別なはず」という感情が交錯して、白か黒かでしか考えられなくなりました。
そのまま心の病みが加速して、顔全体が青白くなって、目の下のクマはえぐれたようになって、いろんな職場の人々に、「眼球が4つあるように見える、ちゃんと寝てる……?」と恐れられた程です。
さらに当時、美容室に行くのも怖くなった為、オシャレとはかけ離れた、物凄くもっさりした長髪と、一切剃る気のない髭をぼーぼーに生やして、世捨て人そのものな風貌に成り果てておりました。
そして、テレアポ会社などでぼ~っと働いていたのですが、メンタルが限界を来しているのに、辞め方というか、辞めるという選択肢も浮かばなくなり、あらかじめ行動を決められているかの如く、「もしもし……」「○○の件になりますが……」と、朝から晩まで無表情で、衰退期のゴミ商材を売り込んで、最終的に飛んでしまう事が引き続きました。
それからして重度の鬱症状が巻き起こり、寝られない、寝ても金縛りでうなされ、実家に戻るも、「大丈夫か?」という親の不意打ち的な優しさに、「うるせぇうるせえうるせぇ!」と、凶悪事件の始まりみたいな気分になり、毎日が最低最悪だったのです。
床に転がるだけの暮らし、もはや腐った肉の塊。

普通を成さずに特別を夢想するバグ

とくに思春期に足蹴りにされていた者たちは、「復讐心」に「人生巻き返し願望」にと、過激思想を持ちやすく、自然体で社会に溶け込めなくなるのです。
さらに酷くこじらせてしまうと、「週6で毎日10時間働く!」「年間500冊読むぞ!」「早く目指せ年収1000万円!」など、デカい目標を全部実現しないと、生まれてきた意味なんかありはしない……と、普通の事すらできない分際で、特別な人生を夢想しまくるようになります。
これはまさに20歳の僕であり、週3のバイトすらままならないのに、「どこかで自分は一発当てる!」と馬鹿げた確信があり、ふと気付けば10年が引き潰れ、鬱の血溜まりが広がっておりました。
なぜかといえば、いつでもどこでも、見栄を張ることでエネルギーを100%使用してしまうが為に、努力や創意工夫など、今この瞬間への自己鍛錬に、1%も力を注げなくなった為です。
つまり、常人よりも軽く10倍20倍、疲れやすい人間に成り下がりました。

自分を奴隷のように扱わない大切さ

馬車馬のように働かせない、呼吸のリズムを破壊しない、プレッシャーを与えすぎない、自分に暴言を吐かない、砂糖に塩分にギトギトの食品ばかり流し込まない――、といった具合に、我慢し過ぎもあれだけれど、自分を最愛のペットみたいにして、ヨシヨシしながら日々を乗り越えてゆくのです。
僕の場合、10年奮闘努力しても、ろくすっぽ社会性が身に付かなかった為、「尊敬される人生」なる目標は、おもっきし地面に叩き捨てる、そうした覚悟を固めました。
要するに、心が壊れた自分にガッカリするのをやめ、むしろ全部エンタメ、狂ってなんぼ、頭のネジが外れて排水溝に流れていった。
そんなポジティブな異常精神で、余生を駆け抜けるしかないのです。
そして僕は、労働にせよ連載Webライターにせよ在宅テレアポにせよ、視聴者さん紹介のお仕事までも、躁鬱の荒波によって一切合切を吹き飛ばしたくらいなので、どんなに工夫しても健常者にはなれない、そう思い知りました。
この辺については、古い時代からずっとそうで、「今回こそは……!」という意識はあるものの、結局は躁状態で出し切って、鬱状態でもぬけの殻になる為、どうにもしがたいと。
それで思い出すのは、仕事を次から次に辞めると、新しい職場で自己紹介するときに、ふと脳裏をよぎるのは、「きっと数週間/数ヶ月後くらいに、バックレした奴って噂されるんだろうな……」と、未来のどこかで笑い飛ばされる映像です。
つまり、「労働=精神の自殺」みたいな紐付けがされて、毎日絶望してばかりでした。
しかも、「無職引きこもり」の境遇を親に指摘されたときなんかは、「お前が生んだんだろ? 金とか愛とか出さなくていいから、天国へ僕を返品する為に、安楽死の費用を出してくれよ」とブチ切れまくりで、精神破綻が酷くなる一方です。
「やれるだけの事やってんだよ!」「今まで稼いで来た金も、人生における時間も、すべて心を整える為だけに使って、それでも改善しねぇんだよ!」と、魂からの怒りが飛び散っておりました。

我が異常性を誇りに思う

正直な話、双極性障害に発達障害に、もはや人間的にバグっている為、「今この瞬間に死んでも後悔なんてない」、だけれど死ぬ勇気はないから、今ココに存在しているに過ぎない。
そんな訳なので、一周回って僕の人生のテーマは、「いつ死んでもいい人間ながら、いつまでも楽しく生き続けたい」に決定しました!
もはや、社会性だとか清く正しく美しくとか、この世に適応なんざせず、本能の赴くままに、我が道をゆく以外に選択肢はないのです。
その為、いつかの未来に僕の生活が破綻して、すべてが回らなくなった場合には、生活保護を受給して、のうのうと生きる予定ですが、もしそうなっても、「這い上がりの精神」など尖らせて、社会の風潮に合わせている暇などありません。
ただただ、社会における立ち位置など度外視に、「ひたすら今日一日が楽しい……!」、そんな感情に突入できるよう、今から下準備をしておくのみです。
なんたって僕は、「立派な社会人」になんてなりたくなく――否なれるはずもない為、ならばいっそ開き直って、好きな時間に寝て好きな時間に起きて、アニメとマンガを楽しんで、お日様の下でポカポカ、永遠の堕落を楽しむのでございます……!

生活保護かっこいい

そして、やがて税金メシの状態になっても(今後数年はYouTubeで食いつなげると思いますが……!)、今と大差ない幸福を享受すべく、たとえば良書に溢れた図書館、緑豊かな自然公園、文化会館、裁判傍聴など、お金を掛けず遊べる場所を下見、クラウドに写真とURLを保存しておいて、「時間さえあれば無限に楽しめる!」と思える場所を複数用意しておく、それが僕の今やるべき仕事なのです。
こうやって、「どんな境遇にあろうと幸せ」と思える状況を作る、これ自体が究極の保険として機能するので、明らかに精神が安定して来ます。
だから僕は実際に、ネットのメモ帳――Googleドキュメントに、「生存戦略ファイル」として、「自分を幸せにするリスト」を作ったり、「心打たれた小説の名文」を箇条書きしたりしているのですが、それらが蓄積しまくることで、「しょぼい自分ながら今日ココまで生きて来た軌跡」がそこにある事で、自己実現している感がスゴいのです。
「芸は身を助く」という言葉がありますが、「記録は魂を助く」と確信できるほど、僕という生命そのものを支えてくれます。
もはや己の為のルポルタージュ。
心に愛を注ぐ知識経験のすべてを、書いたりコピペしたりスクショしたりして、目次付きで保存しておくことの心強さ、これは計り知れない効果があります。

人生の記録で自己実現を果たしまくる

それから他にも僕は、「精神を安定させる事リスト」に、逆立ちをしてみる/よく噛んで食べる/感情を入れて音読をする/疲れたら床に転がって音声入力で日記を書く/突然の眠れぬ夜は、自分と近い感情を持った人のブログ記事を片っ端からコピーして、共有ノートに貼り付けて、静かめの音声読み上げで聴きつつ腹式呼吸――、といった自己修復の工夫を書き連ねている。
僕の勝手な主張にはなりますが、病んだ人間が人生を楽しむコツは、具体化に次ぐ具体化、1に言語化2に言語化、寝て起きても見える化であります。
曖昧とした事柄を言葉にする。
これこそが、「生きている実感」へと繋がるのです。
完全に慣れてくると、躁と鬱で苦しみながらも、「異常精神が逆にありがてぇ、また別の発想で何か書き残せるからな!」と、死にたい感情すらも一種のボーナスとなり、「カオスでやべぇ死にてぇけれど、まだまだ人生に刻み足りねぇ!」という情熱で、なんぼでも命拾いが可能になります。
あとはGoogleアラート――、「マンガ 期間限定」「全文無料公開」など、そういう検索結果を、週1くらいで通知表示するようにすれば、一銭たりとも払わずに、「藤子・F・不二雄の短編集」とか、「進撃の巨人」とか、タダで読める時期を逃さず、労力ゼロで幸せの源が増えてゆく訳です。
とくに、noteというプラットフォームで、ごくまれに様々な作家たちが、12万文字くらいの新刊すらも、「今だけ無料キャンペーン」と称して、本を丸々公開していたりする為、すぐさま全部コピーして、Googleドキュメントにペタ貼りすれば、財布を出さずに一冊ゲットできるので、すごい時代だなとつくづく思います。
それを踏まえると、紙の書籍だけでなく電子書籍にも慣れておくと、それだけ多く、コンテンツにタダ乗りできるので、良い事尽くしで最高なのです。
そんなこんなで、「最小の投資で楽しめる物事」が実は数え切れない程にあるので、読んでは記録、視聴しては記録、なんか腹立ったら記録、この繰り返しをするだけで、「我が人生膨らんでいる感」を獲得出来ます。
しかもこれらの遊び方だと、僕がいつの日か悲しくも犯罪者になったり、片腕を切り落とされたり、三国志/夏侯惇よろしく、弓矢で左目を射貫かれたりしても、基本的に問題なく楽しめる事ばかりです。
そう考えると、今の時代は世知辛いにも程があるけれど、しかし同時に、「この地獄には仏も存在するな」「血の池すすってみたら案外おいしい!」みたいな、そんな世界だと思えてきました。
すなわち、この世の全人類に嫌われても、ただ1人で笑い続けられる趣味、これに勝るモノはなし。
ちなみに余談ですが、僕はエロ動画をHDDとかSSDに保存すべく、暇さえあれば録画します。
そのときに、「12分から46分のシーンが素晴らしい! ってことは34分待機するんだね!」と、自家発電/リビドー解放の為、足りない頭で暗算をする訳です。
さらに、「出張家政婦モノ ちょうどいいブス」といった風に、絶妙なキャッチコピー、タイトル付けをするのも、すんごく楽しい……!
そして待ち時間には、「34分タイマー設定して!」とSiriに命令をし、ピピピって音が鳴るまで集中して読書します。
つまりこの短時間で、良質なエロ動画が増え、暗算能力が高まり、IT機器を使い倒す訓練にもなり、集中する時間も手に入り、新しい世界も知れたりする訳です。
ほんと人生とは、狂うほどに試行錯誤をすれば、こんなにも愉快千万なんだと、エロ動画が流れるモニタを前にして、感動で涙腺崩壊する事さえあります。
この大地に涙が落ち、天高く自家発電して、快楽物質の火の粉が弾けまくりで、「打ち上げ花火、下から見るか横から見るか」と、どこ見てもどこに居ても気持ち良くて楽しい、そんなイカれた人生にしたいものです。
我を忘れまくって頭狂った三千世界、その次元に達したいのでございます。
そんな塩梅で、「時間」と「肉体」と「精神」と「IT機器」をフル活用しながら、「金」「地位」「名声」などに目もくれず、誰よりも今のこの瞬間を――、そして明日明後日も、全時間を遊び倒してゆきたい所存。

僕を構成する全てを捧げ、本気で日本社会を舐め腐って生きたい

労働も不要、社会性も不要、大義名分も不要、ただただ憲法をソファーにして、素敵な穀潰しのまま日本に寝っ転がり、「日本国憲法第25条にすこぶる感謝!」と、健康で文化的な最低限度の喜びをむさぼりながら、寿命のその日まで、快楽至上主義者でありたい。
社会性くそ食らえの生き様。
それで世の中には、「失業しても楽しい!」、「全財産を失ったけど楽しい!」、「家が放火されたけど楽しい!」という、楽観的マインドの人がおります。
それはきっと、物理的ではなく精神的な報酬――、よく笑ったよく泣いたとか、知的好奇心が満たされたとか、心への利益を最重視した生き様だからこそ、給料とかモテとか肩書きとか、そういう世俗的な上下変動なんかで、メンタルを破壊されないのでしょう。
この辺については僕も、分かった口を利けるほどは、まだまだ心の修行が足りないですが、とはいえ最近やっと、「自己完結の喜び」を無限増幅させること――、さっき伝えた「人生の記録付け」とか、「生き方を柔らかくする創意工夫」とか、それらを人生の柱にしようって本気で思い始めてから、目に見えて心が安定し始めました。

昔の僕たちは「幸せになる基準」が低かった

そして、冒頭でも喋ったマンガの中で、僕の心に響いた呟きに、【宝クジで三億円当てたら消え去る人生の目標――あぶくのような。】というものがあって。
もちろん大金があれば、人生の選択肢をドカっと増やせるので、すごく大切ではあります。
でもまた別な見方として、ふと冷静に考えると、たとえば僕の学生時代でいえば、ちょうど2000年の辺りだから、そのときはまだ、携帯電話すら持っていない奴も普通におりました。
しかも通信費も定額制じゃないし、画像1枚開くのに数分待ったり、さらにいえば音楽にしても、HMVみたいなCDショップに行って、お小遣いすべてはたいてシングルとかアルバムとかを購入して、はじめて十数曲だけ聴ける、そんな状況だった訳です。
あの頃の思い出といえば、「テイルズオブデスティニーの体験版を手に入れたから、これで1ヶ月遊べるわ!」と、ちょっとしか遊べないゲームを朝から晩までやったり、ラジオ番組で好きな音楽が流れる瞬間に、MDコンポの録音ボタンを押して、なんとか短縮Verの曲を手に入れて、一ヶ月はニコニコ過ごせたりで、昔の僕たちは、「幸せになる基準」が低かったんだな~と、身に染みて感じます。
それで僕は高校に入学した直後、ファイル共有ソフト――、音楽とか映画を違法にダウンロードできることを知り、「まじでやべぇこの世界、人生ぜってぇ永遠に楽しいわ! 我が人生に不足なし、お父様お母様神様ありがとう!」ってくらい、カルチャーショックを受け、魂が笑い出すレベルでした。
にも関わらず、少し大人になった僕――、20歳の僕は一体全体どうなったか?
「死にてぇ死にてぇ死にてぇ……」、「退屈つまんねぇ人生終わった……」、負の感情の叫びを上げるばかりなのです。
驚愕怒濤、あの瞬間の有頂天だった自分はどこへやら。
つまり月並みにいえば、「人間の欲望は限界を知らない」という話。
普通に考えても、昔は絶対に不可能だと思っていた事――、無限に音楽を聴けるとか、録画せずともアニメを選んで視聴できるとか、手元で今すぐネットにアクセスできるとか、これらって億単位の価値があると思います。
それなのに、とくに僕の世代もそうですが、それを痛感して来た側ですら、「心が満たされねぇ……」って、メンタルをがんがんに崩しまくる現状。
人間の欲深さとは恐ろしい……!
つまるところ、「消費するだけの喜び」だと、一瞬だけ笑って真顔になって、何も残らないどころか、「果てしない喉の渇き」を覚えるようになって、こじらせた心という砂漠で遭難しちゃったりするんだな~と。
だからこそ僕は、「全て失ったときを想定して、最小限のお金で楽しみを見出すゲーム」、みたいな日を沢山作り、「アニメを観て考察して一日終わって幸せ!」とか、「新撰組とか源氏物語とか、馴染みの薄い物語をインストールしまくるぜ!」とか、「新しい曲をディグりまくって聴覚を新境地へ!」とか、つまり知的探求心をメインストリームにして、永遠に続く精神的豊かさを手に入れたいのです。
要するに、金が欲しいとか、女を抱きまくりたいとか、ブランド物で着飾りたいとか、そういった根源的な欲望を、文章創作意欲とか言葉遊びとか、さらなる好奇心の多様性に繋げていって、「超絶幸せな自己完結の楽しみ」を日々強化してゆきたい。
そもそも論、バブル時代の生き方――、「よく稼ぎよく使いよく成り上がる」ってのは、「精神がぶっとい人間専用のコース」でしかない訳です。
力の弱い庶民がそれに憧れると、すぐに血迷ってうつ病コース。
奈落の希死念慮に堕ちて、心が潰れてネガティブが散らばるのみ。
そして僕といえば、そんな庶民のもっと下、精神破綻者の一匹です。
なので、焦ってみんなに近付こうったって、そう易々とは行かない。
それならば、トップスピードで開き直ったほうが得策だと。

社会不適合者こそが普通なのではないか

まずなにより、炊事/家事/洗濯だけでも、日に3時間くらい掛かるのに、フルタイムで勤務するのが当たり前とは、「人間界のバグ大き過ぎません?」と思いますし、ぱくぱく飯を胃に放り込んだら眠くなるので、30分くらい昼寝もしたいしで、「8時間はきっちり働きなさい!」なんて、どだい無理な話なのです。
しかも、そんな高度で病的な生き方をやりながら、同時進行的に、冠婚葬祭に自腹で出席したり、先輩とか上司とかにゴマをすりつづけたり、プライベートでも人間関係に苦悩したりで、もはや曲芸のレベルですよね。
「生き様がサーカスかな?」みたいな、「とんでもないアクロバティックな普通がそこにあるなー」って、それがギリギリでも成り立っている浮世。
どんなホラー映画よりも怖いと思いますね。
そんなことを考えるたび、「社会性の獲得なんてムリ!」と高らかに叫びたくなるのです。
それでも過去10年以上、社会復帰へのやる気を燃やして、シャキシャキ動いていた時代もありますが、そんなものは黒歴史が大半を占めております。
あの頃に遡ると、あらゆる仕事/職場を辞めた瞬間、「僕が在籍していた記憶が消えてなくなれ!」と、マジカルな明日を夢見るばかりでした。
というのも、たとえば近間でバイトをするとして、5社とか10社とか続々、精神不調でバックレしてしまった場合、散歩や買い物にすら行きにくくなるのです。
それってのは、「哀れだな~コイツ」「うわぁ……すぐ飛んだ奴じゃん」とか、心に突き刺さる目線が増える為でございます。
すると、ますます外出恐怖症になり、「みんな僕を笑っているんだろうな」「このビル見覚えあるな……、バックレし過ぎて訳分かんなくなって来た……!」とか、心を蝕む雑念が増えてゆく。
外出するたび、毒を心に持ち込むも等しくなり、ズタボロになりました。
そして、これがリセット症候群に繋がってゆくとのです。
スマホを破壊して、完全に口を閉ざして、静かに夜逃げする。
つまり、「誰も僕を知らない場所へ逃げねば……!」という発想。
表通りを歩けなくなる。
静かなる破壊と、淡々とした逃避行。
1万リットルの涙を落として、悲観趣味の海で溺れ続ける日々。
それで僕の場合だと、札幌で1年バックレを繰り返し、今度は東京に行って、池袋に目黒に高田馬場に高円寺の貧困ハウスに住み、その周辺で「仕事→辞める→病む」を繰り返し、また札幌にUターンして職場荒らしをして、住みにくくなったら再上京、これを一定周期で繰り返しました。
社会不適合者の人生は、思った以上に忙しいのであります!
そんくらい社会適応って奴は、それがヘタクソな人間からすると、命懸けの戦いなのです。
しかも悲しいかな、これは何も、外界における社会のみならず、親子関係――家族という小さな社会においても、歯車が合わない事だらけです。
一例を出すと、父の日とか母の日とかに、「贈り物を贈る」ことへの恐怖にやられていた時期がありまして。
その理屈としては、たとえ今年プレゼントを果たせても、来年はもしかすると、借金から逃げ回る生活になっていて、カーネーション1本の購入すら厳しい……、そんな懐事情になるかもしれない為です。
そして仮に、感謝の贈り物なんかをして、「親孝行してくれた良い子」と、そんな印象を持たれてしまったら、今後生活が破綻したときに、「ガッカリさせるよなー」などと考えると、血が凍るような寒さを感じます。
なので日頃から問題児として、「人生やる気ねえんだよ!」とか、「勝手に産みやがって!」とか、悪意をばら撒いているほうが、まだマシなんじゃないかって、そう考える親不孝の時期も長く続きました。
つまり、期待を裏切らないように、最初っから、「社会参加ゼロの頭がおかしいバケモン息子」と思われたい。
そう捉えて貰った方が、心を楽に生きられるな……と、すごい偏った思考が働くのです。
そして僕は、やる事なす事がどんどん縮んでゆきました。
消しゴムのカスみたいになり、部屋の隅っこで読書するだけ、全世界を捨てて白紙の上に嘆きを書くだけ、そんな暮らしへ突入したのです。
というのも、あの当時ってのはまだ、社会性がない自分を恥じて、「社会参加せねば!」と切羽詰まっていたから、それでイライラして、「自分はバカだ、なんとかせねば!」と自己懲罰して、とことん病んでおりました。
でも残念ながら逆に、社会不適合者のレベルが上がるばかりです。
そのまま圧倒的な孤立状態……!
それもそのはずで、自分が大嫌いで世界から逃げ続けるので、幸せの機会とかチャンスの到来とか、そんなものが見えない盲目状態となり、「自分は終わった」を連呼し続けるからです。
逃げても逃げても逃げ場がない。
そう恐怖するが為に、現実のみならず夢の中でも逃げて、金縛りに苦しんで、しつこく脳が異常を来すので、さながら幽体離脱で朝から晩まで発狂です。
生きている心地がしませんでした。
最低な日々が止まらないのです。
酷い、酷い、酷い日々でした。
だけれど、人間人生とは分からないもので、僕は今こうして、「かつて自分が最も嫌いだった自分の弱さ」でメシが食えるようになっている訳です。
5年10年の歳月は凄まじく重たいな~と、日々実感しております。
最悪だった日々を超えて、自分のおぞさましさ――、イキりとか、がめつさとか、稼ぐスキルのなさとか、理解力の低さとか、強すぎる内向性とか、知識教養のなさとか、我慢できなさとか、あらゆる精神破綻とか、そんな社会不適合者の源を一つ残らず、全肯定/全発信できるようになりました。
その結果、赤面症に手足の震えをほぼ克服、躁鬱が酷くてもまぁいいかの精神、親子関係100%修復といった具合に、社会性のなさは相変わらずですが、「生きていて楽しい」と思える日がドカっと増えたのです。
しかも、躁状態で傲慢になっちゃうとき、鬱状態で「死にてぇ」を連呼するとき、意味もなく無気力になったときでも、それってのは雨が降るように、お腹が空くように、髭が伸びるように、それらと一緒で不可抗力、人それぞれに個人差はありながらも、必ず発生してしまうイベントだと、そう考えられるようになりました。
己の異常性に抗うのをやめたのです。
その時々の精神状態における、人生への向き合い方/娯楽の追求方法があるので、苦しみから逃れるより、苦しみすらも道具にして遊び倒す。
そんな逆転の発想を持てるようになった為、「いつか鬱が来るな……」とか、「未来に絶望する日も来るな……」とか、そんな恐怖心すら楽しめるのです。
畢竟、自分の心は果てしない遊び場。
くそ喰らえな社会に対する怨念すらも、幸福と快楽の素材とする。
この世のすべては捉え方次第なので、僕は、愚かな僕のすべてを愛して、今後とも長らく、社会性がないまま、この地上を歩み続けてゆきます。
今日も明日も、社会不適合者ウォーキング。
ろくでもない奴として、この世界を歩く気持ち良さ――

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※本記事はYouTube単発動画の内容と一緒です。

www.youtube.com

(字幕生成すると毎回1万文字を超える為、定期的にブログ記事にも文章にして転用してゆきます!)