この僕はいつでも、バンザイ突撃をする準備が整っている為、負の置き手紙をココに残しておく。
10代20代は、親に直接的な復讐をしたかった。
でも30代以降、究極の復讐とは、奴らの宝物を奪う事だと確信した。
家族親戚が笑えなくなる程、センセーショナルな事件を起こせば、痛み分けの地獄を味わえる。
さらに同時並行で、「やっと、全身全霊で殴り返せた!」と、心の底から満足して、僕は成仏できるだろう。
これは単なる衝動でも、精神異常でも、ただの狂いでもない。
20年以上、じわじわと熟成させた恨み辛みだ。
一本筋が通った、絶対的な怨念によるものである。
ナイフがピュアだと、地獄の底まで貫通する。
一過性の想いなんかじゃないからな。
一線を超えるのは、社会正義の為でも、革命の為でもない。
すなわち、過去の自分を救う為なんだ。
大人になれば、どれだけ怒りを叫んでも、そこに実力行使がなければ何事も始まらない。
いい年齢になっても過去に縛られるのは、みっともなくて嫌なんだ。
だからこそ、我が生命を爆弾にして、何もかもをぶち壊す。
今までの清算を済ませて空へ飛ぶ。
その上で、僕と関わってくれた者たちに、一つでも二つでも、心に突き刺さる思想をばら撒いて去りたい。
愛と復讐心をがっちゃんこして、我が人生もろとも粉々にする。
大事件に勝る原稿用紙はない。
血液に勝るインクは他にない。
書いた一文字、一文字に、魂が宿る。
絶対に許さねぇからな。
全生命力を捧げて、てめぇらに痛みを教える。
ヤクザの仕返しなんかじゃ利かねぇレベルで、ぐっちゃぐちゃにしてやるからよ。
幼少期/少年期の絶望は、永遠に続く……
幸いな事に僕は、生まれ育ち/家族親戚/人間社会、その全てに対して、積年の恨みを持っている為、どこの誰に迷惑を掛けても、どんな終末を迎えようとも、一向に構いやしないのだ。
物心がついた頃から、しょっちゅう殴る蹴るの夫婦喧嘩、食器の割れる音、おもちゃの壊れる音、ボロアパートで隣人との喧嘩沙汰、小学4年時の不倫沙汰、相手である教師の自宅に怒鳴り込み、奇声と罵声の嵐、憂さ晴らしで頭からかけられる2Lのお茶、持ち上げられ風呂の浴槽に投げ落とされる、「運動も勉強も趣味も何もかもダメねえ」と笑われ続けた親戚付き合い、いつも不機嫌な父親、いつもヒステリックな母親、「アンタなんかに料理は用意しない」と何も食べさせてもらえない夜もあった。
妹が顔面をくしゃくしゃにしながら、何度も何度も、「もう喧嘩やめてよ~」と泣き叫んでいた映像が、くっきりと蘇る。
ゆっくりと安心できた一日は、お前らが出張で帰宅しない、留守の日だけだったなあ。
ある日、父親が自販機でセブンスターを買おうとしたとき、幼かった僕はよろけて、手を伸ばしてボタンを押してしまい、ガラガラン……っと、てんで違うタバコが落ちた。
そしたら、「なんだこの野郎! ふざけんじゃねぇ」と父親は激高し、手に取ったそれを駐車場の床に投げた。
トイレの電気スイッチ――パチッという音ですら、「静かに押せ! 指をゆっくり動かせば、音は鳴らない」などと、物凄まじい神経質さで、ぐだぐだと文句を言い放っていた。
ちょっと反論しようモノなら、「俺の家だ。俺の稼ぎで育ててやってる。文句があるなら出て行け」と、目玉をカッと開いて、怒りを露わにする始末だ。
記憶の中の父親は、いつも何かに怒り散らしている。
しかも、そこには一貫した理屈がない為、何をすると怒られ、何をすると褒められ、何をすると許されるのか、ちっとも分からなかった。
母親も母親で、精神が破綻していたのか、何もない虚空に向かい、しかめっ面で10分も20分も、呪詛の言葉をぶちまけており、一体全体何を考えて生きているのか、まったく掴めないのであった。
365日、支配欲と悪感情と狂気だけが蠢いていた。
親子のコミュニケーションが、まともに成立していたのは、小学校低学年までである。
公園の芝生に父親と大の字になって、ばしゃばしゃと降る雨を、大口を開けて飲み込んだ。
魔界村を全クリしたり、車でロックマンの攻略本を探し求めた。
ミニ四駆を作った、ビーダマンを買った、ハイパーヨーヨーで遊んだ。
それ以降は、どれだけ頑張っても、暴力、皮肉、見下しの瞬間しか、明確に思い出せない。
中学に上がりゃ、家庭内で仕上がった暗い人格と、小学6年の卒業直前に転校した事が、災いの化学反応を起こしたのか、イジメの標的になった。
毎日、机と椅子が廊下に出され、フリースを窓から捨てられ、下駄箱の靴はヒモがぐちゃぐちゃに結ばれ、メガネは石で傷だらけで、中休みにはタコ殴りにされ、給食の時間にはスープをかけられ、心因性の吃音で声が出なくなり、そうして迎えた合唱コンクールでは全クラスメイトに敵視され、「歌わないゴミ、クラスのクズ、あいつはキモイ」とイジメが暗黙の了解となった。
身体の所々にはアザ――皮膚が紫や黄色に変色し、痛みの尽きない時代であった。
ちなみに、唯一の話し相手だった、実家の真向かいに住んでいた幼なじみは、父親がヤクザのクラスメイトから、ずっと恐喝の被害を受けていた。
なんたって、僕が通っていた中学校は、特殊詐欺――ルフィの件で干されそうになった、EXITの兼近も通っていた学校だ。
鑑別所に入る奴、万引きで捕まる奴、援助交際をする奴がゴロゴロといた。
そして、憔悴しきって下校すれば、「あんたは性根が腐っている、みんな噂しているよ」と母親に耳元で言われ、「ぶすっとした顔だなぁ、こっちまで気分悪くなるわ」と父親に鼻で笑われる。
限界の果てまで萎縮させられ、心が死にゆく暮らしの中、「学校生活はどうだ?」と質問されても、「普通だよ」としか答えられない。
すると、「自分の意思もねぇなコイツ、辛気くせぇ顔しやがって、こっちまで気分悪くなるべ」と、散々にいびられた。
溜め息、失笑、見下しの目……何百回で利かないレベルで味わったぞ。
心の底から産まないで欲しかった。
心の底から事故って死んで欲しかった。
学校の廊下で膝の裏を蹴られ、皮膚がぱっくりと裂けて、かなり出血した時、僕は帰り道で、水溜まりに手を突っ込み、それで制服の滲みを洗った。
誰もこの痛みを理解しちゃくれないから、イジメの事実を、イジメられっ子の僕自身が隠蔽する為だ。
精神が分裂してゆく感覚、五感が死ぬような感覚を、リアルタイムに味わった。
14歳前後――この頃から、鬱に不眠症が酷くなり、年がら年中、耳鳴りや金縛りにやられた。
社交不安も高まり、小刻みな手足の震え、赤面症状、挨拶の為に口を開くのも大変になり、次第に表情筋が衰えて、「幽霊かと思った……」と他クラスの奴にも気味悪がられた。
衰弱して帰宅すりゃ、連日連夜、母親が畳の上で倒れている。
「死にたいよ……もう楽しい事なんか、一つもないよ……」と呟き、「なら勝手に死ねばいいべや」と吐き捨てた父親。
親戚付き合いの1日には、これまた憂さ晴らしの対象とされ、「北大に入った○○ちゃんは立派だねえ。それに比べてなおきは、どういうつもりで生きているのかな?」と、母親と婆さんがせせら笑っていた顔は、一生涯忘れないだろう。
それでいて、毎週何度も行われる、家族での外食。
僕は外でイジメっ子に会うのが怖いゆえ、「……行きたくない」と、か細い声で言えば、「何だコイツ? こんな奴に何も食わせる必要なんかねぇ。バカじゃねぇのか」と一蹴され、ただ一人、腹を空かして、虚しさの中で座っていた。
がちゃっと玄関の開閉する音、がらがらがらっとシャッターの開く音、びゅ~んっと車の加速する音で、僕は寒気に震えていた。
年収1000万円以上の家庭で、あんなにもお腹を空かせる日々が続いた人間、この日本社会にどれだけいる?
「いやぁ~ウマかったなあ。寿司はいちばんだ! なんでこんなウマいもん食わねぇのかな-。もったいねぇなあ!」
陽気な家族の声、蔑みの言葉、冷たい眼差し……。
甚だしい機能不全家族であった。
父親は限界集落の出身だ。
爺さんは自殺した。婆さんは孤独になり、老健をたらい回しにされ、半ば孤独死した。
母親は姉が聾唖者ゆえに、家族はそっちのサポートで忙しく、放置されて育ったらしい。
不幸で故障した血筋なのである。
20年の時を経ても未だに、当時の光景が鮮明に蘇り、ざわざわと胸騒ぎがして、全身の血液が冷めて感じる。
それゆえ北海道札幌にて、散歩している時、旅行をしている時、幼馴染と遊んでいる時、JRに乗り込む時、冬の厳しい寒さを感じた時、スキー板を乗せた車を見た時、方言を耳にした時、山々や雪降りを目にした時、セイコーマートに入店する時、回転寿司を食べる時、地元の駅を利用する時、学校のチャイムが耳に侵入した時、ぐわぁ~っとフラッシュバックが起きる。
ひとたびトラウマを刺激されると、離人感――自分の魂が肉体から外れて、幽体離脱した感覚に陥る。
身体的な問題としても、ぜぇぜぇと呼吸が浅くなり、左目の血管が破裂し……白目が血溜まりになる。
そして、悪夢障害にまで苛まれ、実家や中学校に放火し……終身刑や死刑になる夢、いじめられっ子を血祭りにして校庭に埋めるが……なぜかクレーン車でつり上げられる夢など、人生最悪の時代――14歳前後の苦痛が蘇って、寝ても覚めても心がざわざわとする。
これはPTSDにやられた者あるあるなのだが、子供時代に強烈な痛みを味わうと、前頭葉が正常に作動しなくなる。
すると、記憶を司る海馬も萎縮する為、過去の出来事と現在が混同してしまい、死ぬほどに苦しかったあの日を再体験してしまう。
「今まさにあの日の絶望を味わっている……」といった気持ちになり、『過去に苦しかった場所』なんかじゃなく、『今この瞬間に苦しい場所』であり続ける。
頻繁に悪夢にうなされるのも、多感な時期にめちゃくちゃにされた事で、不安や恐怖に関わる脳の部位――扁桃体がバグり、過活動を起こすせいだ。
それから児童虐待の防止法でも、夫婦間の争い――罵倒、発狂、暴力は、心理的虐待の一種だと書かれており、脳みそを物理的に変形させる恐れがある。
そうなってしまえば、大人になってからも、鬱症状、学習障害、睡眠障害、対人恐怖といった、心の問題がいくつも現れ、一生を台無しにされてしまいかねない。
そこに、親から子への直接的な暴言に皮肉、学校でのイジメが積み重なりゃ、そら、ぶっ壊れるよなあ……。
最低限の安心安全すらも提供できない親は、可及的速やかに消えてくれ。
死んでも、無に帰しても、輪廻転生しても、この恨みは絶対に忘れねぇからな。
ちょっとやそっとの復讐劇じゃ済まさねぇからよ。
その昔、中学でイジメられていた妹が、学校に包丁を持って行った事がある。
主な理由としては、誰かをぶっ刺す為ではなく、「もう耐えられないから、みんなの前で自分を刺したい」という動機に基づくものだった。
けれど、どうしても一線を超えられなかった妹は、途中で学校を抜け出し、どうしてか近くにある眼科に駆け込み、SOSを出して保護された。
そして当日か明くる日、ぎゃんぎゃん泣き叫ぶ妹は、窓から飛び降りようとした。
だが、父親が首根っこを掴んで引き戻し、「どれだけ迷惑を掛けるんだ! どれだけ家族に迷惑を掛けるつもりだ!」と、罵声を浴びせる一方であった。
その数年後、妹がうつ病に罹患したときも、精神科への通院日が訪れるたび、父親は目玉をひんむきながら、「こいつはバカなんだ!」「甘える理由を探しているだけだべ!」「アホじゃねぇのか!」と、感情的に叱りつけていた。
改めて思うが、道徳、倫理、教養が欠片もないクズな親は、絶対に子供を産み育てないでくれ。
多感な時期に、子供を虐げるのは、一生涯にわたって拷問をするのに等しい。
僕はたとえ、1億円の慰謝料を貰えたとしても、許しの感情を持つ事はないだろう。
それはなにも極論ではなく、精神障害を経験したり、身分不安定なフリーターになったりすると、そこらの人と比べて、生涯年収が1億円以上低くなったりと、経済的ダメージも計り知れなくなる為である。
といった風に、でろでろとした事件の数々が、脳裏に焼きついている。
もっと早く、北海道/家族親戚と、14歳前後で関わっていたあれこれと……魂の和解はどうあがいても無理だと諦め、スパッと縁を切って、東京に引っ越すべきだったなあ。
僕にとって生まれ育った場所は、絶望を招く幻影だらけの、とにかく呪われた大地である。
数ヶ月前、実家に帰ると、父親のPCモニターにYouTubeが表示されており、中国人や韓国人に対する、ヘイトスピーチ系の動画が流れていた。
「ほんと気持ち悪いよなこいつら、全員クズだべや」と、剥き出しの差別感情を露わにする。
それはまさしく、幼少期/少年期/青年期に、子供へ向けられる敵意と、なんら変わりないものだった。
20年前から父親は口癖として、「人が喜ぶ発言をしなさい。人が幸せになる発言をしなさい」と、事あるごとに言っていた。
しかし、僕は36年間の人生において、てめぇよりも、人を不幸にする、人を馬鹿にする、人の尊厳を踏み砕くクズを、未だかつて見た例しがない。
野蛮人が田舎の森から、都会に進出してんじゃねぇよ。
絶対に許さねぇからな。
余談だが、数ヶ月前、実家でミニチュアダックスフントを飼い始めた。
こいつは、とびきり可愛いのだが、どこまでも虚しい可愛さなのである。
なぜならば、僕はどの道、突発的な自殺か、凶行に及んで死刑囚か、北海道との縁をばっさりと切り捨てるか……その選択肢から未来を選ぶ為、ほとんど会えなくなる生物の為だ。
どれだけ可愛くても、懐いてくれても、ひたすらに虚しい抱っこしかできない。
心の底から産まないで欲しかった。
そして残念ながら、「過去に苦しんだ分、いつか報われるか?」と言えば、そんな甘ったるい世界ではない。
誰もがUFCのコナー・マクレガーよろしく、貧困層、薄給の配管工、生活保護受給者の立ち位置から、下剋上を果たせる……なんて事はなく、あくまでも大きく巻き返す為には、神に愛された才能、血の滴る努力など、なんらかの運と実力が発揮されなければ、どうしようもないまま死にゆく。
この僕自身、10代20代、ぼろっぼろだった……。
月収7.8万円を稼ぐのがやっとだった。
年収200万円を超えた年は、躁状態で走った数年のみ。
窓なし2畳半、風呂なしトイレ共同の物件にばかり住んだ。
鬱の悪化で倒れ込み、腐った食材に蛆虫と小蠅が湧いていた。
自己否定の言葉が刷り込まれ、交通機関を利用できなくなった。
住人達はアル中だらけで、奴らのわめき声が目覚まし時計であった。
隣人が死んだ。ブルーシートに包まれ、連れて行かれる様を間近で見た。
潜伏中の半グレが暴れ、壁に穴をあけ、ゴミ箱を割り、叫び散らしていた。
常にリボ払い/消費者金融の借金が三桁万円を超えていて、焦りが消えなかった。
なぜこんな悲惨な目に遭わなきゃならないんだ?
(窓なし2畳半の物件)
歯が痛くても歯医者に行けなかった。
歯磨き粉を歯に塗りたくって、空腹を凌いだ事もある。
社交不安により、レジにも並べず、外出ができない日もあった。
神経過敏が酷くなり過ぎて、窓にガムテープでダンボールを貼るなどした。
思い返せば、18歳で摂食障害になり、母親が作ってくれた弁当を一口食べただけで、ぐわっと吐き気が込み上げてしまい、とてもじゃないが食べられなかった。
その為、自宅に帰ると、「あんたバカにしているの?」と、母親に不思議がられた。
それで途中からは泣く泣く、駅の便所に中身を捨てるようになった。
春夏秋冬、殺伐とした暮らしであった。
そういや20代前半くらいまで、父親がよく、気持ちよさそうに語っていたなあ。
「努力しろ。コツコツとやれ。結果を出す奴は光源だ。人への愛情、貢献意識、社会の為に。そうした心持ちの奴は、必ず輝いて引っ張り上げられる」
子供の光を消した張本人が……明かりを灯す動力源を踏み砕いたてめぇが、何を偉そうに語ってやがんだ。
若き日の僕は、せせこましい窓なしの部屋で、「いつか必ず殺してやるからな」と、復讐心だけを燃やしていた。
努力だけやれる環境は、どれだけ恵まれているか、狂おしい程に思い知った。
トラウマの払拭だけで、時間が溶けるもどかしさ。
果てしない闇の中、なんの成果にも繋がらない苦悩が、どれだけ人の尊厳を破壊し、人を不幸に追いやり、人を狂わせるのか……我が身でもって体感した。
バカなりに死に物狂いで戦えば、「承認欲求だ」「認知の歪みだ」「ないものねだりだ」と心ない言葉が飛来した。
てめぇらこの野郎、敵が曖昧なままでも、社会構造のど真ん中で、おもっきりメガンテをかましてやっから覚えとけよ。
そうこうして、履歴書、職務経歴書に記載できない、さみしい抵抗だけで、10代20代が儚く散った。
努力のステージにさえ手が届かない、心臓が破裂しそうな絶望感で、心が絶命寸前であった。
悲しいかな、愛と平和の土台がなく育てられ、お金では買えない物を壊され、いつしかぶっ倒れて、今度はお金で買える物すら買えなくなって、どこの誰にも届かない悲鳴をあげながら、ヒエラルキーの底辺で生きるはめになった。
「やるべき時にやるべき事をやった奴が勝つ、やらない奴は負ける。努力したか、努力しなかったか。ただそれだけの事だ」
そんな父親の発言を、心で血の涙を流しながら、何百回と耳にしたもんだなあ。
絶対に許さねぇからな。絶対に許さねぇからな。絶対に許さねぇからな。
何が精神病だ? 何が異常性だ? 何が狂気的だ?
この腐敗した世界において、僕を救い出してくれたのは、殺意、復讐心が囂々と燃える、双極性障害1型――いわゆる躁状態、クレイジーな熱量だけである。
息苦しい2畳半の部屋で、何度も何度も、首吊りの為に、クレモナロープとぶら下がり健康器具を注文して、受け取っては、もやい結びで自殺未遂をした。
父親、母親……僕にとって、てめぇらの存在価値なんざ、一つもありはしなかった。
僕の育ての親は、双極性障害1型だけだ。
いつ死んでも構わない覚悟、殺してやりたい復讐心、後先を考えない狂気だけが、僕を生存させる唯一無二のカギであった。
父も母も神も仏も、くそ食らえだ。
復讐したい奴の名前を刻み、リスト化していた結果、今では全人類の名が掲載された。
それくらいに世界はふざけてやがる。
あれこれと書いてきたが、どれもこれも……ひとつたりとも誇張してねぇぞ。
人生の土台からぶっ壊された事、死後も許さねぇからな。
ちょっとした発言、ちょっとした暴言、ちょっとした皮肉、ちょっとした過ちなんてレベルじゃねぇよな?
それでも大人になりゃ、過去の苦しみにやられ、たまらず喚き散らすと、「昔の事だろ……いつまで囚われてんだ?」で、たちまちに話は流されてゆく。
のみならず、「みんな苦労している」「みんな必死に生きていた」「親子関係の話は、片一方の言い分だけじゃダメだ」の一言二言で、ちっぽけな昔話にカテゴライズされて、終わりだもんな?
「おまえは深く考え過ぎる傾向がある」と言われた事もあった。
深く刺され過ぎた毎日で、傷跡を見ないで生きろって事か?
これだけ破壊の限りを尽くしておいて、よくそんな発言が出来たモンだなあ。
ここまで酷い目に遭っても、大人になりゃ、自己責任の世界に飛び立たねばならない。
本当に一線を超える人間は、どんな血みどろの歴史を辿ったか、なにもかもが崩壊した後、思い知る事になるぜ。
おそらく、『心が繊細ゆえに、ちょっとした言動に傷付きやすい子』なんて認識を、父親も母親もしている事だろう。
おまえらが、どれだけの事をやらかしたか、ぶっ壊れた世界の中で、自問自答させてやる。
「息子が精神病で、ほんとに大変だったわ」なんて話では終わらせねぇからな。
やっとこさ、僕も地獄から這い上がって、歪みきった熱量の自己表現で、復讐の声を形にできる時がきた。
人間生活の根っこから、ぐっちゃぐちゃにぶっ壊してやる。
なぜ人の心は壊れるのか?
なぜ人の心は矛盾するのか?
なぜ人は一線を超えるのか?
どの問いに対しても、今なら明快に答えられる。
この僕自身がいずれ、その道を突き進むからだ。
最後の最後に、全身全霊で丁半博打である。
ただ惰性で生きてちゃ、血みどろの想いは、どこにも届かなくなる。
想いは血みどろにしなくちゃ、どこにも届かないんだ。
無敵の人に愛を、無知の涙に愛を、ジョーカーに愛を。
「冷静になれよ」と言う人もいるだろう。
だが初心に戻るより、地獄の底で深呼吸をしたい。
ぶっ壊れ尽くす事しか、もう心を穏やかにする手段はない。
僕が大好きな映画、『フォーリング・ダウン』に、下記のセリフがある。
必ずそこへ行く
もう戻る時期を逸した
分かるだろ?
長い旅に出て気がつくと――
出発点へ戻るより既に――
目的地の方が近いんだ
そもそも論、精神異常とはなんなのか?
異常なのは世界なんじゃないか?
トラウマにやられ、重たい痛みにあえぎ、頭のネジを外して暴走する、それは病状と言うより、生物として淘汰されない為の対抗策だ。
正常とは何だ? 異常とはなんだ? 冷静とはなんだ? 狂いとはなんだ?
むごい現実にボコられてボコられてボコられて、それでもお利口さんに正座して、いつまでもボコられ続けるのは、果たして、正常な態度と言えるのか?
少なくとも僕には、奈落の底から這い上がる手段として、躁状態が必要だった。
【カオスとは未解読の秩序である】
こんな言葉が存在するとおり、傍から見れば、意味不明な事が多かったとしても、僕のあらゆる心理状態には、端から端まで血の足跡が続くように、ちゃんと憎しみの理屈が通っている。
それに精神の苦しみは、社会病理とも呼ばれ――つまり、自分を取り巻く状況、環境、時代、いくつもの要素が絡み合う事で発生している。
何が正常とか何が異常とか、そんな簡単に決めつけられる問題ではない。
ちょっとした例え話をすると、有名なジョークの類いに、「なぜトーストを落っことすと、いつもバターを塗った面から落ちるのか?」というものがある。
あれは、高さ76cm程のテーブルから落下した場合、食パンが180度回転して、81%の確率で塗った面が床につくからだ、という論文が発表されていた。
要するに、一見ただの不運、不幸、不遇な境遇も、それなりの原因と結果がそこにあるのだ。
ゆえに、僕が世間一般では異常と呼ばれる、特殊な言動に打って出た際に、「精神病だからだね」「発達障害だからだね」なんて具合に、雑な括られ方をすると、すこぶる嫌な気持ちになる。
僕の中では、異常事態に見舞われた際に行う、度重なる反応/反射の結果として、精神異常らしさが表に出ているだけで、むしろ、正常が、かけ算された感覚を得ている。
普通に考えても、明らかに、社会的に不利な状態にいて、毎日、不安定な暮らしを強いられている訳だが、にも関わらず、社会人の平均に近い生き方をキープしていたら、その方がよっぽどおかしいんじゃないだろうか?
常識、道徳、良識、正しさといった、いわゆる社会の不文律をすべて取っ払い、『一匹の生物として、自己の存在証明をどう行うか?』という観点で見れば、未だかつて、僕が異常だった瞬間などありはしないのかもしれない。
ゴッサムシティでジョーカーは、【狂っているのは自分か、それとも世界か】と疑問を持った。
つまるところ、人間社会が丸ごと、頭のおかしい舞台なのだから、我々がどんな事をやらかそうとも、しょうがないのである。
人の世は残酷非道なもんで、人身事故を起こしても、当然に運転を再開する、前科ありの車両みたいに、淡々と時は進んでしまう。
ryuchellが死のうと、神田沙也加が死のうと、上島竜兵が死のうと、 竹内結子が死のうと、三浦春馬が死のうと、そんな事実はすぐに忘却の彼方へと運ばれ、いつもの日常に戻るだけである。
だからこそ人は、何かに貢献して感謝されて金を稼ぎ、誰かを好きになり恋をして愛を育み、酒を飲んで歌い踊り――すなわち、ひたすらに娯楽を楽しんだり、小規模に影響力をもたらしたりと、我を忘れる為に過当な競争をし続けるんだ。
実のところ、危なっかしくも、人間社会が保たれているのは、みんなが異常を連発して、真実を見ないようにしているからである。
僕が最も好きな海外ドラマ、『このサイテーな世界の終わりについて』の中で、【イカれた世の中でイカれてるのは――正気だってことだ】と語られていた。
そう、我々の住む世界は、異常を正常と呼んでいる。
そして悲しいかな、心に傷を負った者たちは、余裕を持って生きられない為、この異常を生み出しにくいんだ。
稼ぎに稼いで狂う事も、誰かを愛して狂う事も、誰かを育てて狂う事も、お金や心身の強さがないとなれば、実現可能性が一気に低下してしまう。
分かりやすい話、【富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる】って奴だ。
人は困窮すると、逃げ道も未来の可能性も潰れ、狂いの時間を得られにくくなるんだ。
遠慮なく言えば、一個体の自分が淘汰される現実……繁栄に失敗した事実が、なんの配慮もなく襲い掛かってくる。
その結果、人類の醜さ、理不尽な社会構造、不平等な国家体制、くそ食らえな制度設計など、むかつく真実を直視する事になる。
挙げ句の果てには、自殺の末路、無敵の人となって自爆、感情が死んで廃人状態になる事もあるが、それは異常な事だろうか?
明らかに、生物学的に絶望へと追いやられた状態なのに、満面の笑みでキラキラと振る舞えたら、それこそ異常なのではないだろうか?
耐えて耐えて耐えても、待っても待っても待っても、晴れやしない物語もある。
『ベイビー・ドライバー』の中で、【“苦労はイヤだけど雨のあとに虹が出る”】なんて、一見お洒落で薄っぺらい言葉が登場して、爆速で虫酸が走った。
土壌が崩れ、地盤が崩壊し、生き埋めになる前例は、腐るほどに存在する。
たとえば氷河期世代の、引き続く痛みを想像すりゃ、容易に分かるよな?
お利口さんな態度、正当な手続きには、夢も希望も含まれちゃいない。
この世で最大の政治は、圧倒的な暴力だ。
何が政治参加だ? 選挙に行こうだ? 世論を変えようだ?
そんなまったりやってりゃ、人生の旬が過ぎ去って、老いぼれちまうぜ。
終いにゃ、怒りの声すらあげられなくなる。
繰り返すが、この世で最大の政治は、圧倒的な暴力だ。
暴力は神だ、暴力は仏だ、暴力は希望だ。
捨て身の一撃がありゃ、どんな奴でも地獄に葬れるんだぜ。
生まれ育ちの悪さは、永久の呪いなのかもしれない
僕は直近の5年間、「とやかく言いながらも、血の繋がりがある親子だ。そして、北海道は故郷だ。過去の嫌な記憶を、楽しい現在に変換すれば、辛かった時代を糧として捉えられるようになるかもしれない」と考えていた。
その為、「札幌での生活を楽しもう! 良好な親子関係をキープしよう! 実家で居心地良く過ごそう!」を目標に掲げ、なるべく笑って生活しようとした。
でもそんなもんは所詮、如何に、平気そうに振る舞うか選手権でしかなかった。
どんなに感情の枠組みを変えようと、無情にも、過去のトラウマが邪魔をしてしまう。
僕はこれまで、双極性障害1型、発達障害(ADHDとわずかにASD)、ナルコレプシー(居眠り病)など、いくつもの確定診断を受けてきたが、それら病理の根っこは、確実にあの頃に受けた、多大なる痛みのせいだろう。
それゆえ、最大の苦痛を味わった、14歳前後に紐付いた事に触れていると、たとえ一定期間であれば、「さすがに36歳にもなったんだ。今じゃ苦しみの過去も笑い話さ」と思っていても、心の深層にはじわじわと、重度のストレスが山積みになってゆく。
そして、どこかのタイミングで必ず、怒りに悲しみ、鬱症状、不眠に過眠、希死念慮、破滅願望、破壊願望、復讐心、殺意が、ぐぉぉぉ~~っと体内からせり上がるのだ。
これらへの対策として、たくさん歩く、太陽光を浴びる、ビタミンDのサプリメントを飲む、ゆっくりと息を吸って吐く、人との会話頻度を増やす、よく笑いよく泣いてリフレッシュする、自分と他人の良い面を探すようにする、行動認知療法で思考を柔軟に書き換えてゆくなど、思いつく限りの事を、これでもかと試行錯誤した。
だが、僕にとって地元は、『人生の基礎を破壊された、最低最悪の戦場』の為、どんな防御策も通用せず、身も心も疲弊してしまうのである。
これはもはや、トラウマってよりか強力な呪いだ。
でもって、家族親戚が集えば、崖っぷちで耐えているメンタルに、不快さが雪崩れ込んでくる。
例を挙げれば、母方の爺さんが亡くなり、冠婚葬祭の話題になった際、父親が満足そうに語り始めた。
「○○は律儀で偉いなあ。そういうところ、ちゃんとしていて立派だなあ」
ふざけんなよてめぇこの野郎。
本当は誰だって律儀に、誰かに感謝し、礼儀を尽くして生きてぇんだよ。
誰がそれを不可能にしたんだ?
てめぇだろコラ。
何が律儀だ? 何が立派だ? 何が偉いだ?
この僕は、小さな葬儀の場に、ぎゅっと親族が詰め込まれると、地獄を這いずっていた14歳の頃が、凶悪にフラッシュバックする為、どうしても行けないのである。
それに加えて、20代後半辺りまで、「結婚式にお葬式に、普通の事くらいしなさいよ」と、こちらの事情も知らない奴らに、なんども説教を食らい続けた。
人は……人それぞれの事情の中で、懊悩煩悶しながら暮らしてんだよ。
そんな中で、従兄弟の弟が、奥さんと子供を連れて来た。
まともな教育が施され、伸び伸びと育っている雰囲気が伝わってきて、微笑ましいのと同時、すごく嫌な気持ちになった。
昔々のてめぇらの、暴言、皮肉、嘲笑が、無尽蔵に思い出されるからだ。
僕とタメの従兄弟は、聾唖者の家庭に生まれたが、手話を用いながらも、すごく親身にコミュニケーションを図っていて、幼いながらも、心の底から羨ましく感じた。
文化資本――家庭内の温かみ、笑い合い、助け合い、道徳に倫理に教養、人として大事な部分のレベルに、天と地の差があって驚いた。
心の底から産まないで欲しかった。
みんなで揃い踏みした空間の中、過去が逆流して、トラウマがあふれ出して止まらない。
あれは僕が高校に入学する直前、家族親戚が大集合して、お食事会をする事になった。
そして開始早々、「○○ちゃん、北高入学おめでと~!」「良かったね~!」「本当におめでと~!」と、いくつもの明るい声と、パチパチパチと拍手の音が、けたたましく重なり合った。
それから程なくして、母方の、爺さんと婆さんが立ち上がり、「頑張ったね! 立派だね! すごいねえ! はい、これ! 公立高校に入学したご褒美。良いパソコンを買って、いっぱい学ぶのよ!」と、従兄弟は心底嬉しそうに、札束入りの封筒を受け取った。
パチパチパチと拍手がまた起き、それが止んだくらいに、次は僕に視線が注がれた。
「なおちゃんは勉強もできない、運動もできない、あら~大変ねえ。……高校おめでとう。でも私立、頑張れなかったんだね。パソコンは貰えないねえ、もったいないねえ……。ちゃんと耐える事ができないと、将来困っちゃうよ」
婆さんは溜め息交じりにそう言って、母親はざまあみろといった表情で、愉快そうにこちらを眺めていた。
イジメで肩はアザだらけで、反論の気力もなくて、何をやられても反撃せずの僕は、死んだ魚の目で、てめぇらの異常性を、これでもかと見る事になった。
世の中はいつだって、不平等だと思い知ったよ。
穏やかに過ごせる日々、学びを深められる環境、信頼できる家族ってのは、誰にでも与えられるものじゃない。
与えられたカードで勝負しろ、そんな声が大きな世界である。
だが、与えられたカードさえも、破られてしまう家庭が存在する。
なんの理由もなしに、突然に理不尽な雨が降り、失意のどん底で窒息するような出来事が、一定の確率で発生してしまうのは、人間界の摂理なのだろう。
だからこそ、てめぇら家族親戚に対しても、理不尽とは何かを、必ず教えてやるからな。
人間の魂を踏みにじる行為が、いつかの未来、どれだけの悲惨な事件に繋がってゆくか、必ず思い知らせる、必ずだ。
どれだけ可能性の芽を潰した?
人を不幸にする死神かてめぇら?
呪いだ、呪いだ、呪いだ、呪いが渦巻く人生だ。
一昔前、てめぇらが、ぽつりと呟いた事がある。
「従兄弟の○○ちゃんは、優秀で立派だけれど、なんか抜けているところがあるから、贈り物をしたり、周りに合わせたりとか全然しないのよねえ」
それはつまり、暴言、皮肉、嘲笑とは無縁の、文化的に豊かな生育環境の中で、自主性を育んで大人になったゆえ、周囲にびくびくせずに済んでいる事の証左なんだ。
思い返してみろよ。
僕や妹など、てめぇらにボロカスにされた奴ほど、焼き肉だ、Apple Watchだ、PS4にディアブロだ――収入状況に関係なく、様々な贈り物をしている。
それは、毒親に対する捧げ物なんだよ。
人間が自己愛を育てる、なにより大事な時期に、心を踏みにじられると、大人になっても、真の安定を持ちにくくなる。
ゆえに、まるで神の怒りを買わないよう、前もって貢献をする事で、精神安定を図ろうとする。
この僕自身も、感謝の気持ちで贈り物をした事は、ただの一度もない。
砕け散ってしまいそうな精神を、どうにかこうにか守る為である。
言うなれば、憎しみで沸騰した頭に、作り物の愛でも良いから宿す事により、すんでの所で大爆発せずに済んでいる。
精神安定を図るべく、「大人になって親と完全に和解した!」「今は普通の家庭よりも仲良し!」と、自己洗脳をやり続けねば、まともに暮らせないのだ。
これってのは、凍死寸前の人間が、なぜか服を脱いでしまう異常事態――矛盾脱衣みたいなもので、つまり、極度のピンチが続くと、アドレナリンを分泌させて、めちゃくちゃな行動に出て、我を忘れてしまいたくなるのに似ている。
損得など考えず、あたふたと現実逃避する事でしか、自分の心を救えない瞬間があるんだ。
失う物がないを超えて、失いたい物しかない。
森羅万象が消滅しますように。
魂に呪いが蔓延する前に、逃げるべきであった
地元、親子関係において、他のどんな事よりも苦しいのは、10年15年の歳月を経て、あれだけ品性下劣だった両親が、まるで別人――まともな存在になってしまう事だ。
そのせいで、絶対に殺してやりたかったはずの敵が消えて、行き場を失った積年の恨みが、自分の体内を彷徨って、いつまでもいつまでも……自分を痛めつけるのである。
すると、自分自身の事が、大人げなく怒りに震え、うるさい復讐心を膨らませ、馬鹿馬鹿しく血迷った、ろくでもない奴に思えてくる。
だからこそ、「大人になって、親の痛みも分かった!」「みんな一生懸命だったんだ!」「誰が善とか誰が悪とかない!」「なんだってお互い様なんだ!」「産んでくれてありがとう!」「育ててくれてありがとう!」「お父さんありがとう!」「お母さんありがとう!」と、心の中で自己洗脳的にぶちまけて、なんとか心からの和解を試みて、親子関係を修復したくなるのだ。
さもなくば、「自分は根っからの鬼だ……年老いた親を、なぜ痛めつけるんだ? 昔の出来事はもう忘れろよ。いつまで過去にこだわっている?」と、激痛を伴う罪悪感にやられてしまう。
この現象は僕のみならず、酷い家庭環境に生まれた奴特有の、リスキーな歩み寄りである。
我々は、一度や二度ならず、何十回も何百回も、心を殺されてしまうのだ。
それゆえ、僕が一線を超えた暁には、限界の果てまで心を鬼にして、『一人の人間が壊れるまでの軌跡、貫徹させる憎しみ』を予約投稿して、みんなに読んで貰えたらなあと考えている。
かれこれ20年間、見えなかった事、言えなかった事、癒えなかった事、全部明るみに出して、おもっきり命を爆発させてやるんだ。
たとえば、YouTuber/TikTokでの活動を起点にした、この5年間の儚い楽しさにしても、「いつか壊れるだろうなあ」「太く短く生きる他ないなあ」「短命で死んで構わないから、狂気だろうが憂鬱だろうが、使えるモンを全て使い倒そう!」などと、狂いを前提に振り切ったからこそ、なんとか得られた喜びである。
これがもしも、誰にも迷惑を掛けないよう、敵意も復讐心も下剋上精神も、なんにも持たないで生きていたら、ただやられ損のまま、灰色の孤独な毎日を送って、笑える時間は壊滅的になかっただろう……と予想できる。
好感度も、普通の生活も、穏やかな心もすべて捨て去って、全人格をぶち込んだからこそ、こうして自己表現する力を得られ、ありったけの想いを伝えられている。
そうでもしなければ、きっと虚無だけが腫れ上がって、復讐心すら隅っこに追いやられて、なんの実りもない一生を過ごし、終いには、悲しさすら忘れて、死んだんじゃないかと思う。
そう考えりゃ、本気でやり返す力がある今現在は……たとえ、どんなバッドエンドを迎えようとも、それはそれは幸せな事なんだよなあ。
復讐の熱量は、今この瞬間にだって、高まり続けている。
ぶっ壊れた人間は、最後の最後に、ロケットランチャーになれる。
絶対に不発弾で終わらせない、20年分の復讐としてぶっ放す。
(視聴者さんが描いてくれたイラスト)