- 環境が努力家を作り、状況が成功者を生み出す
- 一体全体どうして、ぐうたらのクズな僕が頑張れたのか?
- 努力家? 頑張り屋さん? こんな称号はくそ食らえ
- ここまで恵まれた状況が揃うと、逆に頑張らない方が難しい
- くそ食らえな芸能人を褒め称える文化が、『自己責任論』を強める
- 雑記・読んだ本
環境が努力家を作り、状況が成功者を生み出す
先に断言しておくが、賞賛されている者にとって『努力』ほど楽なものはない。
何もこれは机上の空論として語っているのではなく、実体験から得られたマインド的な法則だ。
僕は過去に、無断欠勤を連続する社員だった頃もあれば、営業会社で日に14時間勤務を休みなく継続する社員だった頃もある。
どちらが大変だったか? どちらが幸せだったか? どちらの努力が楽だったか?
悩む間もなしに後者と答えられる。
昼休憩中も業務に関する資料を読まされ、帰り際に緊急で開かれる会議に出席させられ、しょっちゅう開かれる決起集会に朝まで参加させられても、何一つ苦じゃなかった。
一体全体どうして、ぐうたらのクズな僕が頑張れたのか?
一言で説明可能であり、『賞賛』されていたからだ。
契約を取ったら感謝され、社内ランキング上位に入ったら尊敬され、思いのままに働いていたら拍手される環境だったから頑張れた。
僕が強く世間に訴えたいこととして、「人間はどいつもこいつも大差ない」というものがある。
努力家? 頑張り屋さん? こんな称号はくそ食らえ
そんな奴いねぇーよ。
環境と状況と幸運がうまいこと組み合わせって、黙々と頑張れる人がいるだけだ。
地道な行いをコツコツ継続出来る『状態』を、手に入れられた人がいるだけだ。
それゆえ、トップ営業マンはほとんど、『モチベーション』『努力』なんて言葉は使わずに、行動科学というか、自分を半ば自動的に動かす仕組みを作ろうとする。
PDCAを高速で回すことで試行錯誤を図ったり、短期目標を設定して、常々、自分の行いが意味を伴っているかを確認しつつ、やるべきことをやる。
努力ではなく、前もって己の行動システムを弄くることによって、淡々と結果を出すということである。
これらの厄介でしち面倒くさい事柄をすっ飛ばせるのが、『賞賛』されている者なのだ。
契約に結びつきやすい確度の高いリストを優先的に回して貰えたり、組織の幹部からフィードバックをして貰えたり、人間のエネルギーとして重要な『承認』を延々と貰えたりする訳だ。
ここまで恵まれた状況が揃うと、逆に頑張らない方が難しい
説明してきたように、単なる一企業の中のみにて『賞賛』されている者でも、無限の情熱が沸き上がるのだ。
こうした真実を踏まえると、多方面から羨望の眼差しを向けられる芸能人の努力なんて、努力のうちに入らないという考えが導かれる。
人間精神的なメカニズムとして、『賞賛』という土台があれば、いくらでも踏ん張りが利く。
頭脳も冴え渡り、忍耐限度力も上昇し、絶対的相対的幸福度が跳ね上がる。
くそ食らえな芸能人を褒め称える文化が、『自己責任論』を強める
恵まれた一部の強者どもに、「努力家!」「頑張り屋さん!」と言い過ぎる世論が固まってしまうと、間接的に、状況が状況で無気力に陥ってしまった弱者が、徹底的に傷だらけになってゆくだろう。
こうした無意識かつ無慈悲な、承認的格差の拡大行為によって、社会に『自己責任論』が飛び交うことになる。
肥大化する努力絶対論――努力していないから不幸せになる、努力していないから貧困落下は当然のコース。
とどのつまり、くそ食らえな芸能人どもの活躍によって、世の中にバラ撒かれるのは『極小の希望』と『極大の絶望』だけなのだ。
定期的に、善人マスクを被った自己陶酔趣味のカスな役者が、「みなさんを笑顔にしたいです。希望や夢を与えて、元気になって欲しいです!」と演説していることがあるが、皮肉にもその言葉は、人間界のバランスをかき乱すだけの暴力情報となり、お茶の間の人々のハートをクラッシュしてしまう。
僕はいつも不思議に思っているのだが、有限な冨を独り占めにしている芸能人たちを、なぜ、更に豊かにしようと躍起になる者ばかりなのだろう?
芸能人なんてくそ食らえ思考を持って生きた方が、下克上を仕掛けやすいはずだ。
ルサンチマンを限界まで発揮して、病的な妬み嫉みを極限まで膨らませて生きてこそ、生命力は磨かれる。
一般人は頑張っている。
くそ食らえな芸能人よりも。
ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと。
雑記・読んだ本
人間が変わる方法は3つしかない。
1番目は時間配分を変える、
2番目は住む場所を変える、
3番目は付き合う人を変える、
この3つの要素でしか人間は変わらない。
最も無意味なのは『決意を新たにする』ことだ。
著名な経営コンサルタント・大前研一氏は、本書の中でこのように語っている。
つまり、「環境に文句を口にしている奴は、良い環境を手に入れても頑張れない」なんてのは、ペテンもほどほどにしろよの赤字の虚言ということだ。
人間にとっての最大の資産は、自分が頑張れる『環境』と『状況』、それから適切なフィードバックをしてくれる『仲間』である。
努力が先にあるのではなく、努力するための仕組み作りが先にあり、その先に努力出来る自分が存在するのだ。
精神論とか根性論とか、好感度の高い芸能人礼賛とか、くそ食らえ。

- 作者: アブラハム・マズロー,金井寿宏,大川修二
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
- 発売日: 2001/11/30
- メディア: 単行本
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現代人が嘆きを訴えるのは、誇ることのできない仕事や、自動化され、なんの努力も要しないまでに細分化された仕事を受け入れざるをえないという状況が、予想以上に進展しているせいかもしれない。
これはまさにそうで、一般人の大半は退屈な仕事に向き合って生きてゆく。
気持ちに折り合いをつけ、生きるために忍耐する。
芸能人とは別物の、計り知れない苦労を各自が抱えて、なんとか現実逃避しつつ明日を目指して歩き続ける。
片やくそ食らえ芸能人は、自己実現の最たるモノである時間を満喫し、その上で多額の報酬を得ている。
僕ら一般人が、血眼になってゴシップ雑誌を読み込み、あーでもないこーでもないと、無駄口を叩くのは、微かなる反抗なのだ。
マズローも、『人間は誰でも創造し、働こうという欲求をもっている――中略――あらゆるひとに備わる欲求を、何が抑え込んでいるのだろうか』と語っている訳で、本来、人間それぞれは、夢や希望を持って成長してゆく。
しかし、大方の人間はどこかで挫折し、認められない事実に苦難し、頑張ろうとする気持ちを捨ててしまう。
そして、夢や希望の代わりに、無気力や退屈が心の中に渦巻き、どこにぶつけたら良いのか分からない苛立ちを抱えて生きることになる。
夢や希望の真っ只中にいる芸能人の生き様とは、まるで違う巨大な絶望の中で、僕たち腐った一般人は、忍耐を覚え、全てを悟り、妄想幸福に笑う人生を築き上げなくてはならない。
ゆえに努力に対するハードルが、まったく変わってくる。
マズローの理論で有名なものに、『欲求5段階説』がある。
これは、①生理的欲求(食べる寝るなど)→②安全欲求(健康的な人生など)→③社会的欲求(社会集団に属したいなど)→④承認欲求(尊厳を守りたいなど)→⑤自己実現欲求(自分の生まれてきた意味を感じたい、創造的活動がしたいなど)という順番で、低次の欲求が満たされると、より高次の欲求を膨らませて行くというものである。
この考えを元にすると、『能動的な努力』というのは、『承認欲求』が満たされてこそ完全な情熱を持って行えるものと考えることが出来る。
だからこそ、僕のようなあんぽんたんでも、社内からの『賞賛』をエネルギーにして、自己実現欲求である『努力』を実行出来たのだ。
芸能人に限らず、『賞賛』されている者の努力など、歯磨きのように簡単なものに過ぎない。
こうした人間心理的な事実を忘れて傲慢な天狗になった者は、他者を追い詰めるようになってゆく。
その努力、果たしてあなたのものだろうか?
社会に存在する数限りある宝、『賞賛』のおかげということを忘れてはならない。
それゆえ、全ての芸能人は僕が育てたといっても過言ではない。
僕みたいなダメ人間がいるからこそ、あなたたち芸能人は際立ち、光り輝いて見え、賞賛を得られるのだ。
幸せに浸っている暇があれば、心から感謝せよ。