以前、テレアポの短期バイトをしていたときに、ラノベ作家を養成する2年制の専門学校に通っている男がいた。
神経質で斜に構えたダチョウ顔の青年で、中二病の傾向が強く、いかにもな出来損ないだった。
こういう存在のことを、生け贄、人柱、養分と呼ぶにふさわしいと確信した。
ラノベの専門学校は、プロ養成施設ではなく集金会場
おそらく学校が最も欲しているのは、反抗的でもなければ優秀でもなく、きちっと授業料を支払い、教育期間が過ぎたら静かに消えてくれる薄雲のような生徒たちだろう。
実際にデビューする者もいるにはいるが、それは学校の存続、宣伝のために、致し方なく実績を作っているようなものである。
どこまでも営利活動だから、大金さえ流し込んでくれる人ならば、誰でも歓迎の状態だ。
だから生徒のレベルが低下しやすく、それに伴って、授業のレベルも下がってゆく。
中には真摯な態度で、物書きになろうと邁進している者もいるだろうが、大半は単なる社会の落ちこぼれだ。
そうした低俗な集団に入り込んでいると、次第に堕落の心が強化されてゆく。
ダチョウ曰く、「日本語が崩壊している奴、本を読むのが嫌いな奴、取りあえず入学した奴が沢山いる」とのことで、まだ就職したくないから、親からモラトリアムをプレゼントして貰ったに過ぎない、消極的な生徒が多いらしい。
それゆえ、「仲間がいるから頑張れる!」といった相乗効果は生まれにくく、低きに流れる組と、孤高の物書き気取り組に分かれてしまうようだ。
「どうしよぉー書けなぁーい」というクソアマと、「おれは、あいつらなんかとスペックが違う」というイキリメンズ。
言うまでもないがダチョウは後者で、彼は、「ラノベはほとんど読まない。バカになるから」と口にするタイプであり、その癖、学園系ラブコメみたいなものばかり書いているとのことだった。
ラノベの専門学校に行くより、プロ作家に弟子入りした方が良い
類い希な執筆技術を持った作家でも、その技術を適切な方法で指導し、与えられるかというとまた別な話であるし、そもそも正解のない曖昧な技術の伝達は不可能に近い。
そしてプロットの作成方法だとか、キャラの創作法だとか、そうしたものは自分で発見しつつ深化させて行くしか道はない。
金を出して学ぶならば、金を出さなくては学べないことにする方が良い
それはなにかといえば、現役作家の弟子となり、生き様に密着させて貰うことだ。
「そんなの無理だろ」という人もいるだろうけれど、名の売れていない貧乏な腕のある作家を探せば問題ない。
小説家になろうなどでデビューした、筆力のある貧困作家を探し出し、現ナマをちらつかせて、心を動揺させるのだ。
「私は、○○に住む○○と申します。専門学校に通うよりも、尊敬する○○様の弟子となった方が、有意義な時間を過ごせるのではないかと思いました。2年間で200万円お支払いします。ノークレームをお約束します。秘密保持契約にもサインします。授業料は毎月、先払いします。履歴書も送付します。ご検討くださいますようお願い申し上げます」
作家業は、冬の時代を迎えているから、札束で殴り続けていれば、OKサインを出してくれる現役作家もいくらかはいると思われる。
浮かばれない作家の中には、「こんなんじゃ暮らせねぇよ」と絶望している者も多々いるから、大金の匂いを嗅がせるだけで、「なんでも教えてやるよ!」と眼光鋭く、弟子入りの許しをくれる人がいるはずだ。
金に目が眩む師匠と金で教えを請う弟子 これぞ、Win-Win
あとは能動的に学習するのみである。
「この人はどんな風に類語辞典を活用しているか、調べ物があった際には本をどのような速度でペラペラ開いて目的の情報を得ているか、それをどんな勢いで小説の文章にして行くのか、どんな風にプロットを書いているか、創作メモはどんなものか、主にどんなネット検索をしているのか、章が切り替わる瞬間にどんな態度を取っているか、キーボードをどれくらいの速度で打っているのか、一日に何回行き詰まっているのか、どれだけスムーズに物語を紡げているのか、何回くらいイライラし始めるか、軽妙洒脱なキャラの会話シーンはどんな顔で書いているか」などを徹底観察し、プロ作家の血を吸い続ける。
きっと専門学校に通うよりも、業界で生き残りを目指すプロを見続けている方が、技術面でも精神面でも、良質な成長を望めると思う。
雑記・もうラノベ作家は、正攻法じゃ売れない
昨今は、単一的なスキルでは足りず、地道にファンを集める個人的なマーケティング活動、書き手としてのキャラ付けなど、多用な働きが出来なければ、作家として生き残れなくなってきた。
「小説家になろう」や「カクヨム」を覗くのが好きな人であれば分かると思うが、年がら年中、飽きることなく独自のストーリーを大量生産している者がわんさかいる。
そうしたライティング的スタミナに恵まれた者が、腐るほど存在するのだ。
「書き続けていれば売れる」という甘い世界じゃなくなってきた
作家デビューしたい人たち――いわゆるワナビは、「速筆」「一日一万文字」といった言葉が大好きで、誰よりも情熱を持って毎日一万文字書いていれば、ライバルを出し抜けると信じている。
しかしながら、投稿サイトを観察すれば分かることだが、時間を分けて、3000文字程度の文章を日になんども投稿している者だらけだ。
そればかりか、「量が質を凌駕する」を見せ付けてくるような、続きが読みたくなる作品も増えている。
あまりにも強力なライバルが、ぎょうさん登場している現実。
そこから目を背けたいワナビは、「小説家になろうは文章が酷い」「あんな破綻してるなら、日に二万文字書けて当たり前」などと、ピント外れの主張を繰り返すことで、自分を安心させようとする。
人に厳しく己に優しい彼らが、そうやって2chなどで時間を潰している間、小説家になろうで勢いを持って活動している書き手は、笑いを取るツイートをしようと頑張ったり、ツイキャス放送をしたりと、自己ブランディングに尽力している。
ラノベ作家の読者モデル化
少し前に、ライターの読者モデル化というのが話題になった訳だが、ラノベ作家というのもある意味、芸能人的なキャラ売りの職業になっているところがあるから、「書くことしか出来ません」の人は、よっぽど運がなければ通用しなくなってきた。
それもそのはずで、売れる売れないを別にすれば、文章を書くということは、どんな無学のカスでも出来ることだからだ。
今や、小説のアイデアやパターンが出尽くしているに等しい状況のため、優秀な編集者であっても、どのような作品が当たるのか判別不可能になっている。
そのため、どうせ博打を打つならば、ただ作品を生み出せるだけの人より、書き手のキャラが強くて、それだけでファンを増やせそうなタイプの作家にしようとなるのは、当然の成り行き。
「性格の可愛いブス、性格の可愛い美人。どちらにしますか?」といった話
どうせなら後者にしておこう、となるのは当たり前だ。
飽和化している業界はどこであれ、保険の利く存在を手に入れようとする。
とどのつまり、どこもかしこもピース・又吉直樹が欲しくてしょうがないということ。
ガガガ文庫が、芸人・天津の向清太朗をデビューさせたのも、彼が天から二物を与えられし存在だからだ。
少しは名の知れたアニオタ芸人+読みやすい文章を書く力がある=売り込めば元を取れる可能性が高い
認知度ゼロの無名をデビューさせるよりも、よっぽど良い投資だ。
こう考えると、人生の全てを注いででもラノベ作家になりたい人は、なんらかの特別な活動によって、自己を目立たせておくのが大事なのではないかと思う。
今は、芸人の世界でも、東大や慶応の卒業生や、元アナウンサー、元FBI、といった経歴を持った人が増えている。
ただ面白い人、ただ書ける人。
そんな存在は、在庫に困るほどいる社会になった。
そこで次なる道を考えた結果、あらゆる職業の読者モデル化に行き着くという訳だ。
情報が瞬時に消費される社会だから、歌って踊れるような分かりやすい魅力を持った人が、勝つ社会になった。
芸術家肌の人が、最も損をする時代
あらゆるコンテンツが軽視されながら、消費されるようになっているからだ。
そういった、がさつな消費文化にうまいこと合わせられないと、一生浮かばれない。
ラノベにしても、見ず知らずの新人作家だと、3000部も売れないらしい。
印税の率にもよるが、大体600円の本で、発行数が5000冊なら、作家は15万円ほどしか貰えない。
そして出版社も、売れない作家を育てるような体力がなくなってきているから、無慈悲ではなく、致し方なく、使い捨てする他ない。
そのため、ある程度ネットでファン作りをしてからデビューをしなくては、自分の首を絞めることになる可能性も出てきた。
運良くデビュー出来たと思っていたのに、まともに売れなくて金も次もなくなった。
こういうパターンの作家だらけになっている。
無名が新人賞に突っ込んで行くのは、リスキーな行為となった
微妙な賞を取り、微妙な宣伝をされ、微妙な売れ行きだった場合、希望と絶望を一緒に飲み込んだも同然だからだ。
そこら辺の事情も考えるならば、小説家になろうなどで、地獄の不人気生活を過ごしながら、地道に文章力とファン数を強化して、大器晩成型のデビューを目指す方が、遙かに良いかもしれない。
ラノベ業界のワナビは、他の分野よりも、「すぐに売れたい! そうじゃなければ終わりだ!」というくらいに焦っていることが多い。
それは、毎年ラノベデビュー者がいたり、原作のアニメ化がいくつもあったり、100万部到達作品が目に入ったりするため、「自分もそんなラノベドリームを掴める」と考えてしまうからだ。
こうした思考に陥ることは、奈落に落ちるも同じ。
情熱のみで食えるラノベ作家はほとんどいない。
狡猾にマーケティングして強引にファンを増やす、信者ビジネス的なやり方を覚えなくては、食い扶持を稼げない。
なりふり構ってちゃおしまい。
作家のプライドがどうのこうのと口にして、きざな態度を取っていたら、生涯ジャリ銭生活。
実力のみで食えるジャンルはミステリーくらいではないか。
誰もを驚愕させるような、どんでん返しを見せてくれる作家ならば、新人でも一気に名が売れることもあるからだ。
ラノベだと、常軌を逸した変態系もトンデモ設定も出尽くしているから、「鬼才現る」的なデビューがなくなった。
『俺、ツインテールになります。』が出たくらいの頃であればまだ、「良くこんなぶっ飛んだ設定で書ききったな、天才かよ」という感想を持つ者が大勢いたけれど、もう今は、「へー、変わってるねー」という感じで、読み手が冷めている。
今だと、『ざるそば(かわいい)』『自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨う』『シャチになりましたオルカナティブ』など、美少女がざるそばになったり、主人公が自動販売機になったり、女子高生がシャチになったりと、発想レベルの高い作品が、次々に登場している。
狂った世界観が一般的になったから、「凄いな、この狂い方!」というような熱狂が生まれにくくなった。
もう何を出しても、「へぇー」で終わる。
ラノベ市場から驚愕が逃げた
だからこそ、小説家になろうのテンプレ作品が売れるようになったのだと思う。
もう驚きは手に入らない。他の楽しみ方を探すしかない。
その結果が、テンプレ作品の大量消費に繋がったのだと思う。
どうせなら、徹底的にありきたりにしてくれ、徹底的に破綻させてくれ、徹底的に羽目を外してくれ、という願い。
その結果、プロよりも、徹底的を超えて異常さを醸し出せる素人の作品が売れるようになった。
ラノベが完成し過ぎた。
ゆえに、破壊する楽しみを求める人が増えた。
完成作を作るプロよりも、ぐっちゃぐちゃにしてくれる素人。

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(むっちゃ面白いのに、なぜ2巻が出ないのだろう)

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(ぶっ飛んだ設定を、語彙豊富に、リズム良く、読みやすく書いていて素晴らしい)

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(小説家になろうだと、この作家が一番好きかもしれない。『じっと見つめる君は堕天使』も『魔人勇者(自称)サトゥン』も、とてつもなく面白かった)